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芙蓉ノ奇事録  作者: neg
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Chapter 04 - 「え、なに、なんなのよ。気持ち悪い」

菊池ユマはかなり風変りな携帯音楽プレーヤーを持っている。

「ユマくーん、そろそろ家出ないと遅刻するわよー」

「やべ、かあさん弁当!」

「はいはい、じゃあ気をつけてね」

「行ってきます!」

 あるいは、ひょっとしたら風変りなのはユマの精神状態の方なのかもしれない。

「ちょっとユマ! ネクタイまがってるわよ!」

「これが今のはやりなんだよ!」

 何しろその音楽プレーヤーのディスプレイには勝手に動きまわる10歳前後の少女が映っていて、そこに繋がったイヤホンからは「あそこのアップルティーが飲みたい!」だとか「あっちの店のイチゴのケーキを買ってきなさい!」だとか、絶え間なくワガママ極まりない命令が聞こえてくるのだから。

 その自分の様子を客観的に見たユマが、自分は頭がおかしくなったのだと思ったとしても、仕方のないことだ。

 ちなみに音楽プレーヤーがどうやってケーキを食べるんだ、と言う議論は何度もなされたが、結局「ユマがなんとかしなさい!」と言う一方的な命令により幕を閉じることとなった。電化製品に勢いで言い負かされる中学生。自分の将来が不安になる。

「あらそう。じゃあその開き切った下半身の窓口も流行の最先端なのかしら?」

「へ?…うわあぁぁああぁあああ」


「…もう、なにー、なんなの」

 つい先日、自分のつけているイヤホンから突然幼い声が聞こえてきた時は大層びっくりした。声変わりなどしていない、高くひっかかりのない、澄んでいて、しかし少し舌ったらずな可愛らしい声。何かのいたずらか、デバイスの誤動作か、はたまたホラーの類か、とにかく声が聞こえた気がした。何かの聞き間違いかと思いながら、びっくりした鼓動と冷や汗を感じつつプレーヤーに目を向ける。少し角ばって武骨な形をした、手のひら大の銀色のプレーヤー。おそるおそる手に取ってみると、本来なら楽曲のジャケット画像などが表示される、解像度がそう高くないカラーのディスプレイに、見たことのない形が浮かんでいた。

ゆくるウェーブがかかった、細く軽そうな肩まで伸びた髪の毛。幼さが残る丸めの輪郭に、しかし目鼻はくっきりした顔立ち。その目の大きさや薄めの瞳はハーフかクォーターか、少しはっとするような、吸い込まれるような、ここではないどこか異国の人のもののようにも見えた。

幼いが美さがある、しかしだからこそ不気味さが際立った。この音楽プレーヤーは動画を再生する機能はない。にもかかわらず中に映った少女はめんどくさそうに表情をかえながら、瞬きをしていた。

「え…何?」

「え?」

2人して間抜けな声を出す。危険はないか、何をしようとしているのか、ユマは手に取った音楽プレーヤーをディスプレイが見えるように再度机にそうっと置き、距離をとって観察した。

「え、なに、なんなのよ。気持ち悪い」

「気持ち悪くねーよ!!」

10秒ほど経ったところで、観察してくるユマに少女(?)は何かを感じたのか、そう言い放った。

「お前は…なに?」

おそるおそる聞いてみる。

「お前って言わないで。」

ムッとした顔で言い返す少女。

「わたしはスイフヨウ。ちょっと道に迷っちゃったみたい」


その後、ユマは結局、深く考えることをやめた。

考えること自体が得意ではなかったし、何よりスイフヨウと話しているうちに、面白そうだと思いはじめたからだ。中学に入って普通に日々を過ごしていた中での突然の特別な出会い。わくわくしない男子中学生が果たしているだろうか。

さしあたり、ユマはこのスイフヨウと名乗る少女のヨタ話に付き合うことにしている。

「今日もいい天気ね! はりきって学校に行きましょう! ほれ走りなさい!」

「お前のために行くわけじゃないんだけどな!」

 ユマの学生服の内ポケットの中でそう元気良くしゃべるスイフヨウは、自分が何者なのかを知らないらしい。ただずっと長い眠りについていて、その間はこのあたりの上空を空気のように漂っていた、とのこと。それからしばらくして、とにかく理由は分からないが目覚めたスイフヨウは、手近にあったユマの音楽プレーヤーに取り憑いた。そうしなければ目覚めたスイフヨウの意識は空気のように霧散して消えてしまいそうだったため、とにかく近くにある、自分の存在を表現できそうなものの中に入り込むことにしたのだそうだ。

「そこ犬のうんこ!」

「ぎゃあああぁぁぁ!」

 偶然入り込んだ場所だったが、スイフヨウは今それなりにこの場所を気に入っている。

 ディスプレイの内側から学校や商店街等の様子を眺めるのは楽しかったし、何より持主のユマは優しかった。

「拭き取っている時間はないわ!諦めてそのまま学校に行って、あだ名うんこマンになりなさい!」

「そんなのいやだ!」

 甲斐性、と言うのだろうか。

 まだ中学2年生に過ぎないユマだが、出会ったばかりのスイフヨウの我が儘をよく聞いた。ユマには兄弟はいなかったし、小さな親戚もいなかったが、妹のように感じたのかもしれない。彼女が見たいと言ったものは手に取って見せてあげたし、本当か嘘かよくわからない彼女の話も、茶化すことなく真剣に耳を傾けた。

 それが、目覚めたばかりで不安と寂しさに包まれていたスイフヨウにとっては、とてもうれしかった。

 ユマ自身はただ単に、特別な出来事に対する思春期特有の好奇心やノリで応えていただけかもしれないが、この二人の性格は合っていたと言える。実際、ユマの方もスイフヨウと話をするのは楽しいと感じていたし、億劫だと感じることもなかった。

 何事も楽しめる点は、ユマの長所だ。

「よし教室まであと一歩! そこで一回転!」

「マジで!?ほりゃっ!!」

 そんな彼だからこそ、中学校でも男女問わず人が集まってきて、時にはユマ以外とは会話ができないスイフヨウを悶々とさせることもあった。特別スポーツができたわけでもなければ、頭がよかったわけでもない。ユマはシンプルに付き合いやすい、いいヤツなのだ。

 小さな恋心だろうか。それとも幼きゆえの独占欲だろうか。スイフヨウは、自分がユマ以外の他人と会話できないことよりも、ユマが他の同年代の女の子と仲良くしている姿に悶々とした。自分のお気に入りのおもちゃを人に貸し出し、なかなか返ってこない。おもちゃは意思なんてないから、きっと相手が納得ゆくまでジッとその役割を果たすだろう。それが気に食わない。私のものなんだから、自分の意志で私のもとに戻ってくるべきなのに。

 ユマは心のないおもちゃよりはもう少し人間的だが、スイフヨウの気持ちの浮き沈みが理解できるほど成熟してはいなかった。機嫌の浮き沈みが激しいのは単に彼女の性格で、幼さゆえに仕方ないことで、時間があるときは、彼女の望みを聞けるところまで聞く、ぐらいがちょうどいいだろうと思っていた。しかし理解はできなくとも、スイフヨウが怒っていたら、包容して受け入れる優しさを持っていた。幼い独占欲と、我が儘を受け入れる柔軟さ。それが二人を繋ぐ関係だ。

 

 ユマが通う、東坂中学校の昼食。

 友達同士で机を並べて弁当を広げる生徒もいれば、購買に向けパンを買いに猛スタートを切る生徒もいれば、前の時間机につっぷして寝ていてそのまま起きない生徒もいれば、すでに前の時間に弁当を食べてしまい誰かに分け前をもらいに動く生徒もいれば、それとなく教室を出て別の食事場所を探す生徒もいる。

 ユマは日によってどのパターンもあった。だがここ最近、週に2~3回は、スイフヨウの淡い独占欲を大いに刺激するクラスの女生徒が、ユマと共に昼食を取るために声をかけてくるようになっていた。

「きくちく~ん、ご飯食べよ~!」

「おう!って言ってもおれは2時間目までに弁当ほとんど食べちゃったけどな」

「いつも通りだね…て、きゃあ」

 ちょうど他の生徒と食事をとろうと机を動かしていた別の生徒の足にかかり、これ以上ないくらい派手に躓いて、自分の弁当をユマにめがけて一直線にぶちまけたこの少女の名前は、椎名アミと言う。

 銀紙に包まれた煮物を背景エフェクトにしながら空中で舞い踊る米粒、落下運動、着弾。ユマの右肩からみぞおちのあたりにかけて末広な模様が浮かび上がる。2秒ぐらい経ちしみ込んでくる柔らかさと湿り気が、弁当を被弾したという実感をユマに与える。

「どどどどどどどうしよう!?ごめんなさいごめんなさい!!」

 短めに切り揃えたさらさらなショートの髪を揺らして、アミは体を起こしながら瞳に涙を浮かべていた。

「いいよいいよ、気にすんな」

 アミを安心させるように笑顔を作り、一緒にぶちまけられたエビフライのしっぽを持ち上げてみせるユマ。

 アミは小学校のころから抜けている部分が多く、よくユマに迷惑をかけていた。大雨の日に傘をひらけば隣にいたユマに飛沫を飛ばしずぶ濡れにしたり。校舎の蛇口で手を洗おうとすれば水の勢いが強すぎて隣にいたユマをずぶ濡れにしたり。自転車でユマにぶつかりそうになりうまくかわしたと思いきや、そこに水たまりがあって大きく水を跳ね上げ結局ユマをずぶ濡れにしたり。もはやライフワークかと思えるほど、アミは事あるごとにユマをずぶ濡れにさせていた。

 しかし、ユマがそれに関してアミに強くあたったことは一度もない。そもそもまだ小学生で汚れることに無頓着だった部分もあるが、なんとなく憎めないアミの慌てぶりに毒気を抜かれてしまっていた。ユマが今の性格になったのも、昔からのアミのドジに慣れてしまい、ほとんどの事が笑って許せるようになってしまったからかもしれない。

(またコイツか…)

 一方、ユマの内ポケットの中で様子を見ていたスイフヨウは心中穏やかではない。

 弁当の中身がスイフヨウの近くまで飛んできたのか、煮物の香ばしい匂いがただよってくる…ような気がした。

(大体、ああいう女を甘やかすユマも悪いのよ。もしも、だらしない女としっかりしている女の両方からアプローチを受けたら、ユマはきっと、ほっとけないからとかって理由でだらしない女をえらぶタイプだわ。努力してしっかり生きている女の方が損をするなんて、まったく世の中間違っているわね)

 もっとも、だからと言ってスイフヨウがしっかりしているかどうかは定かではないが。

「ごめんね…」

「いいよ。それより食うもの無くなっちゃっただろ」

「そうだねぇ…」

「おれの弁当の残り分けてやるから。どうせおれは後で購買行くし」

「いいの?」

(そこは遠慮しなさいよ!)

 そんな青い春の香りがする若者同士のやりとりを、スイフヨウはポケットの内側から、今にも噛みつきそうな形相で聞き耳を立てていた。本当は今すぐにでも出て行ってユマの脛を思い切り蹴り飛ばしてやりたいが、残念ながらディスプレイから出ることもできなければ、蹴り飛ばすための足もない。

 この出来事は、スイフヨウにある決意をさせる切っ掛けとなるのに十分なわだかまりを残した。


「決めたわ!私!」

「やめておいた方がいいんじゃないかな!」

「まだ何も言ってないでしょ!」

 放課後、ユマと二人きりになると、スイフヨウは開口一番そう宣言した。

「今まではなんとなくユマのヘラヘラした顔につられて、なし崩し的にダラダラ毎日過ごしていたけど!」

「おれのせいかよ!」

「やっぱり私は自分が何者なのか探すことにするわ。元の自分が何か分かれば、自由に動かせる体も探せるかもしれないし」

「おお!やっと本気を出すのか!」

「まぁね…まぁそうは言っても私は動けないから探すのはアンタだけど」

「…」

「でも上手くいけば、アンタだって厄介払いできる、かもよ…?」

 スイフヨウは少しだけ、ユマの心の内に探りを入れるように聞いてみた。ユマはなんだかんだ言ってもスイフヨウを大事にはしてくれるが、それが本心からなのかどうかはずっと不安だった。態度だけでなく、言葉で直接聞きたい。別の心を持つ他人が述べた言葉が本心かどうか知るすべはないが、それでも音として聞ければ安心できる気がした。

「でもとりあえず目標ができたならよかったな。お前今まではほんとただ寝て騒いでるだけの引きこもりだったもんな」

「ひきっ…アンタ私をそんな目で見てたの!?」

「大して変わらないだろ。でも、お前の体が見つかったら楽しそうだな。夏になったら海とかプールとか、そのままじゃ行けない所に、あちこち連れていってやるよ」

「…」

 一瞬言葉に詰まるスイフヨウ。あたり前のように「その先」で一緒にどこかへ行ってくれるという彼の言葉に、胸の内から熱がこみ上げ、顔が一気に熱くなった気がした。しかしそれを知られたくないという気恥ずかしさから、発すれば上ずりそうな言葉を飲み込んだ。

 ユマは先ほどのスイフヨウの気持ちを汲みとって、そう言ってくれたのだろうか。

 いつも通りの言葉の調子で、自然に、あたり前のことのように、先のことを語り、内ポケットに入っているスイフヨウに笑いかけてくれる。

「あ、ありが…まぁ楽しみにしていてちょうだい」


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