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芙蓉ノ奇事録  作者: neg
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Chapter 03 - 「死ぬのは嫌だな。もう死んでるけどね」

 実のところ、どうして自分が死んでしまったのか『サキ』はよく覚えていない。

 事故で、と聞かされてはいるが、そもそもあの時母親の職場の待合室にいたサキに、どのような事故が降りかかればその命を散らす事になるのだろうか。待合室でつまずいて頭を打った?空調が壊れて酸素がなくなった?隕石が天井を突き破って頭に降り注いだ? 病気でない、意図的でない死がすべて事故なのであれば、殺意のない誰かの悪意で死に至った場合も事故と言えるのだろうか?

 そしてずいぶん久しぶりに意識を取り戻して目を開いてみれば、周りの全てがずいぶんちいさい世界。

それもそうだ。「サキ」の今の体は当時の『サキ』と比べてずいぶん大きい。ベッドも、天井も、時計も、花瓶も、目を開いてすぐに話しかけてきたメガネのおじさんも、ずいぶんと小さくて窮屈そうに見えた。


それから少しして、外に出て、久しぶりに会ったアサのあの姿は特に不思議な感覚だった。いつも困ったような顔で短くしゃべるのは、確かにアサの特徴だ。でも手足の長さも、髪形も、声の色も全然違う。久しぶりに会った王子様というよりは、あまりぱっとしない村人A。それでも声を聞いた瞬間は、むずがゆいような、なつかしいような、はずかしいような、そんな心地よい鳥肌が立った。


 本当に、ずいぶんと長い間眠っていたようだ。

(でもあの態度は傷つくわね)

 久しぶりに会ったアサは、姿形は成長していても、その性格はそれほど変わっていないように思えた。相変わらずサキの事で頭がいっぱいで、他の事は見えていない…というより、どうでもいい。朴念仁、察しが悪い、ぱっとしない、というのが今も昔も変わらない彼の印象だ。

(まぁ、仕方ないけど)

 話したいことはたくさんあった。

 真っ先に果たせなかった約束を果たして、散々文句を言った後で、それからちょっとだけ許してあげて、最後に過去に言えなかった秘めた想いを告げたかった。

 しかし、何も言うことはできなかった。

 アサは『サキ』の事は何も覚えていない。

 「サキ」の中で目が覚めた時に、事前に母親から聞かされてはいたが、やはりショックはあった。思わずつっけんどんな態度になってしまい、友好的に話すつもりが、結局アサを怒らせてしまった。思うところがたくさんありすぎて、何から順番に、どんなふうに話したらうまく言えるのか、頭が真っ白になって全然うまく出てこなかった。事務的な事実を述べることはできるのに、肝心なことが、どうしても切り出せなかった。

(察してほしいんだけど、あなたには無理よね)

 とは言え、『サキ』に残された時間は少ない。自分の失われた一部を探すこと。それが実験中のサキが、施設の外に出るための条件だった。そのために今日は放課後それらしき情報を集め、また学校ではミヤコを利用しあやしい噂に向かわせ、手掛りを待った。

 サキの友人を利用する事に若干の罪悪感を感じつつも--でもこれは今やるべきことだから仕方ない。再び、今日久しぶりに会ったアサに想いを馳せる。

(思い出してくれなくてもいいから)

 悲しみ、さみしさが、いまさら涼やかな色となって視界に溢れる。

 過ぎた我が身の不幸を呪ってみても、眩しかった日々は二度と戻らない。

(せめて、昔みたいにいられたらな)


 望む望まないに限らず、日々はやってくる。

 水曜日の朝。「サキ」が普段過ごしている日常に倣い、『サキ』もまた駅でアサを待つ。普段通りにしてほしいとは彼の方から言い出した話なのだから、彼はきっと来るはずだ。

 横を見れば、同じ赤上高校の生徒達が眠そうな顔をしながらふらふらとした足取りで学校へと向かって行く。徒歩、自転車。幼き日に命を亡くしたサキにとっては、そんな普通の高校生活を送ることですら、なんだかとても楽しく、新鮮なものに思えた。

「おはよう!」

 高校生活に必要な知識は、「サキ」の体から直接感じ取ることができた。どうやら「サキ」は、SFやファンタジーといった小説が好きらしい。偏ったフィクションの宇宙戦争の知識は大量にあったが、肝心の英語や数学といった学生生活で必要な知識は、量で言うとそれらの10分の1程度しかなかった。

「あぁ…」

 元気よくあいさつをする『サキ』に、生返事をするアサ。

 (自分でわたしに普段通りに接しろって言ったくせに、その態度はないんじゃないかしら?)

 声を出してアサに言ってやりたかった。が、言えなかった。サキの体を利用している事に負い目があったから――それとも、彼自身に察してほしかったからなのか。でも気に食わない。代わりに少し前を歩くアサのかかとを爪先で軽く蹴とばした。

 軽く蹴ったつもりが、予想外に派手につまづくアサ。

 振り向いて何かを言おうとする彼の姿を見ていたのか、横からいかにも軽薄そうな、甘ったるい声が掛けられた。

「よ、お二人さんおはよ。相変わらず仲が良いね」

 …あぁ、とサキは思った。

 白髪に近い金に髪を染めた猫目の彼は、水島エイ。

 見た目通りの軽薄な声と性格。背はアサより少し高く、だらしなくワイシャツのボタンを開け着くずしている。普段から学校をサボっている彼は見た目通りの素行と成績で、サキは苦手なのだが、なぜかアサとは仲が良かった。

「ああ、水島か」

 少しげんなりした顔で短く返すアサ。二人がどういった経緯で仲良くなったのかは知らないが、サキはあまり彼のそばにはいたくなかった。

 彼はサキの母親が用意した、研究施設の外での監視役だ。

 アサは当然そのことを知らない。どうしてエイのような、いかにも自分さえ楽しければよいと思っていそうな人間が、いかにもお堅い母親のいる研究施設からそんな役割を請け負っているのか大いに疑問だ。だがそれもどうでもいい。『サキ』にとってはとにかく彼が役割的にも見た目的にも目障りだったので、早々にその場から離れることにした。

「それじゃまた後でね」

 それだけ言うと、『サキ』は嫌な顔を隠そうともせず、そそくさと自分の教室に向かっていった。


 午前中の授業。

 光の性質を箇条書きで板書する物理の教諭。ぼんやりと聞きながら、あぁ、これは自分に似ているなとサキは考えていた。

「…だから、ガラスに太陽光を当てると、こうやって見えるんですね」

 この世の全てのものは、ただそこに在るという事実以上に、色々な意味を持っている。例えば、風がおきれば波が立ち、その波に揺られた微生物を追って魚たちが泳ぎだすように。例えば、誰かが生前成し遂げた歴史の事象が、その後を生きる人々の精神に大きな影響を与えるように。

「はいそこ、下敷きで光を反射させて遊ばない。今日は実験ではありません」

 今の『サキ』は、彼女の死後にこの世に残った、生前の生きた軌跡のような情報をひとつひとつ拾い集め、繋ぎ合せた状態だ。

 光は粒子と波動の性質を持つと教諭が板書しているが、拾い集められた『サキ』のかけらは粒子のようなもののように思えたし、「サキ」の体を借りて活動する様子は、波の運動のような物質に関係なく起こる現象のように思えた。

 それならば失ったサキの一部というのは、さしずめ本来だったら光として重なるはずだったスペクトルの中の模様だ。虹色に分解された光の中に、本来だったら含まれていたはずの色。どこかへ消えてしまった光の波。

「ほらやめなさ…まぶしっ!」

 正直なところ、既に死んでしまっている今の『サキ』にとって、その失くしてしまった光を探すこと自体は大して重要ではないと感じられた。それはただの口実だ。それを探すことが研究施設から外出する条件だったし、そういった目的があることをアサに伝えることで『サキ』は再び彼と接点を持つことができた。でも本当は、アサと再開できればなんでもよかった。無理に脱走して突然理由もあいまいなまま彼に話しかけるより、目的があることにした方がやりやすいと思っただけだ。

(まぁでも、一応お母さんとの約束っていうのもあるけど)

 アサとの再会を果たした時、彼女の願いは叶えられた。

 しかしそこで会ったアサはやはり『サキ』の記憶を失っており、結局はただ事実の残酷さを彼女に痛感させるだけのものだった。

 それではなんのために、自分は1ヵ月という、自らの生を謳歌するには短すぎる期間限定でこの世に戻ったのだろうか?

「まぶしっ!こらやめなさい」

 戻らない日々とやってこない未来を想って、ただひたすら絶望するためだろうか。

 それとも自分の感情など関係なく、自分を呼び出した大人達の都合にただ従うためだけなのだろうか。それならそれで構わないけど、だったらせめて、少しくらいの報いを願うことは過ぎた望みなのだろうか。

(死ぬのは嫌だな)

 サキは、今さらながらにそう思った。

 ただ何事もなく変わらない日々を過ごすことができたら、どんなに幸せだろう。

 教室の机につっぷしながら横目に見える、自分以外の全てのクラスメートがとてもうらやましく思えた。日々友達のいる教室に登校して、騒いで、教諭だって真剣に授業をして。楽しいことも、嫌なことも、なんてこともないことも、ただそこにいるだけで流れていって。眺めるだけか、逃げ出すか、自分から動いて別の変化を生むか、自分で選ぶことができる。

 それが生きているということ。選べることが極端に少ない自分は、もっともっと生きて自由な時間を謳歌したい。

(もう死んでるけどね)

 自虐にも似た思いを吐き出し、それから少し息を吸って、体をちょっとだけ起こして、そして考えることをやめることにした。過ぎた過去は戻らないし、くよくよするのは自分には似合わない。いくら悲しんだところで、自分には手に入らないものがあるという事実があるだけで、何か変わるわけでもない。放っておいても明日はやってくる。

 だったらせめて、すでに消えてしまった自分の命の意味を考えるよりも、今を生きて未来を繋ぐ事ができる、母親やサキや、そしてアサのために、自分ができる事をしようと思った。


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