Chapter 02 - 「やっぱりさらった人を食べるのかな」
突然だが、有馬ミヤコはおそらく生まれてから今までの人生で最大のピンチを迎えていた。おそらく、と言うのはそのピンチの根拠が噂でしかなく、その噂を裏付けるための確固たる証拠もなかったからだ。
だがそれでも、ミヤコには直感的な確信があった。
(やばい、死ぬ)
背後から迫る、得体の知れない違和感。
なんとか違和感を撒こうと、夕食前の買い物客の多い商店街を縫って駆け抜ける。
はじめはうしろ髪を引かれる程度だった違和感は、徐々に危険な胸騒ぎへと代わり、今でははっきりとした殺意として感じ取れた。
(どうしてこの私、容姿端麗、成績優秀、運動神経抜群で真面目で美しくて良い子で聡明なこの有馬ミヤコがこんな目に…)
ミヤコは本気でこういったことを考えている人間だった。が、その本性を知るのは中学からの親友の秋野サキくらいである。事実彼女は学内ではとても優秀で、またそれを鼻にかけていることをまわりに悟らせない程度の演技力も兼ね揃えていた。
しかしそんな完璧な彼女でも、今の状況は覆しがたいものに感じられた。
(まぁ、それでもなんとかするのが私なんだけどね)
確固たる自信と実力を兼ね揃え、どんなピンチもその英知で切り抜ける自称天才美少女。
それがミヤコの自分への評価だ。
話は数日前に遡る。
担任から頼まれていた用事をすませて学校から帰宅する途中、ミヤコは突然強烈な違和感を背後から感じて振り返った。
肩と背中のちょうど中間ぐらいまでまっすぐ伸びるミヤコの黒髪。それが後ろに引っ張られるような、うしろめたいような、何か気づかず間違いを犯したかのような、そんなような灰色の違和感。
しかしそこは、いつもと変わらない帰宅路の風景だった。住宅のブロック塀で囲まれた幅3メートルほどの道は歩道と道路の区別もなく、電柱をよけながら歩けば周りの歩行者や自転車とすぐにぶつかりそうになる、住宅街でよくある昔ながらの地元住民向けの道だ。
眉をひそめ、再び前を向く。その容姿と性格ゆえか、ミヤコは時折よからぬ下心を持った輩(男女問わず)に付け回されることがある。良し悪しはさておき、またいつものことかと、その手の類の可能性を軽く頭の片隅に置いただけで、あまり気にも留めずにそのまま帰路についた。
翌日朝投稿すると、いつも通り教室の窓側、後ろから3番目の席で、サキはなんだか神妙な顔をして座っていた。
「どうしたの?」と話しかけてみると、黄色いリボンの少女は生真面目な表情をして妙なことを言い出した。
「なんかさー最近この辺って、人さらいとか出るらしいじゃん」
「人さらい? 物騒ね」
「そうなのよ。なんか最近この辺で男女関係なく行方不明になる人が多いらしいよ。怖いわー学校来たくなくなっちゃう」
唐突な話に、しかしいつもの調子で特段驚いだ風でもなく淡々と言葉を返すミヤコ。しかしサキが時々脈絡もなくこう言った話をし出す時は、真実であることが多いこともミヤコは知っていた。
「へえ、そうなんだ。男女関係なしなんて、雑食な人さらいね」
「やっぱりさらった人を食べるのかな」
「うん、きっと食べるわね」
特に根拠はない。
「それでね、なんか噂によると、その人さらいに狙われて行方不明になった人にはみんな共通点があるんだって」
「それはまたベタな展開ね」
「名探偵かまたは、しょうもない警部が出てきそうなノリだよね」
サキは机に肘をつけながら、指で空中に何やら絵を描く。
おそらく八の字につながった立派なひげか、物語でよく見る茶色い曲線のパイプか。
「それでその共通点てなんなの? 昔同じ団体に入っていたとか、同じ場所にホクロがあるとか」
「おしい!くもない。なんか行方不明になる直前に道端とかで、いきなり後ろ髪を引かれるような違和感に合うんだって」
「へぇ…それは興味深いわね」
後ろ髪をひかれるような、というのは会話の中の比喩表現としてはそんなにめずらしくもないが、この場合の感覚を表現する言葉としては具体的過ぎないだろうか。直感的に「なんとなく後ろから視線を感じた。」「悪寒を感じた。」--そんなようなあいまいな言葉が、各被害者からそれぞれ別の言葉で聞こえてくるならまだなんとなくありそうだが、「後ろ髪を引かるような」という、何か後ろに未練を感じさせるような、そんな言葉をあえて選ぶだろうか。
ミヤコは昨日学校帰りに感じた背後からの違和感を思い出しながら、サキの目を見た。
どうしてサキは今こんな話をし出したのだろう? たまたまなのか、それとも私に何かを告げようとしているのだろうか。
おそらくミヤコだけが気づいていることだが、サキは不思議な子だ。
オモシロオカシイ意味での不思議さもあるが、それとは別に、例えばこう、普通の人なら分かり得ない事を知っていたり、感覚的なものを感覚以上に理解したりするフシがある。言葉にすると難しいのだが、第六感というか、運命的なものというか、非現実的だが、サキはそういうものを感じ取っていると思わせることがある。
例えばまるで別の誰かがサキの体に乗り移って、直接その情報を与えているような。なんとも常人には理解し難い直感力だが、とにかくそういったものをサキは持っている、とミヤコは思っていた。
「それで、さらわれないようにするためにはどうしたらいいのかしら? 怪談っぽい話だから対処法も噂になってそうなものだけどね」
ミヤコは冗談交じりに探りを入れてみた。
「そうそう、よくわかったね。実はさらわれない方法があって、なんでも一度振り返るとその犯人は相手の顔を覚えてまた会いに来るらしいんだけど、次に会いに来た時は振り返らないで無視すればいいんだって」
「そこで振り返ったらさらわれちゃうわけか。無視するだけでいいなら簡単ね」
少しつまらない、とミヤコは思った。確かに知らなければ必ず振り向いてしまいそうだが、知っていて振り向くバカもいない。まぁ、街の噂話ならそのぐらいシンプルな方が広まるのかもしれない、と思った。
「大声出したらびっくりして逃げてくかな」
「それよりも、振り向いて出てきたところを裏拳で倒せないかしら」
「みやちゃんならできそうだけど、一応心配だからやらないでね」
サキは笑ってはいるが、本当に心配そうにそう答えた。サキはミヤコの性格というか、本性というか、嗜好を知っているのだ。悪い方向に自ら行かないよう、本当に心配しているのだろう。
「それじゃあ私は、振り返らずにその犯人を捕まえるわ」
「えぇ、どうやって? とんち的な?」
ぽかんと問い返すサキ。
「それはこれから考えるのよ」
「危ないことはやめてね」
「分かってるわよ。大丈夫、私はこの世で一番、自分とサキが大事だからね」
そう言ってサキの頭を優しく撫でるミヤコ。いつも通りだ。
しかしサキにはそう言ったものの、ミヤコは本気で人さらいを捕まえる気になっていた。
完璧を演じる彼女にとって日常の多くの部分はたいくつなものでしかなく、そのせいかミヤコは自ら危険なことに首を突っ込みたがるという悪癖があった。生徒に犯罪行為を働いていた教諭を追い詰めたり、危険な学生グループに偽りの情報を流して混乱させたり、隣の街で都市伝説化していた殺人犯を事故に遭わせたり。
決して正義感などではなく、むしろ憂さ晴らしの類だ。うまく行き過ぎてあたり前になってしまった退屈な日常の裏での、負の感情の発散。基本的に自分の手は汚さず、周到に準備して周りから追い詰める手口のため、これまで明るみに出たことはなく、サキだけがその直感でそれを知っていた。しかし当然危険であり、社会的にも許容されない行為だ。万が一誰かにミヤコが関わった証拠を握られれば、彼女の表向き明るい学園生活は一瞬にして消え去るだろう。
今まで大事に至らなかったのは、一重にミヤコの機知によるものだ。自称するだけあって、彼女は色々な面で優秀なのだ。
「ところでその犯人って、世間ではなんて呼ばれているの? その手のミステリーみたいな噂話になるんなら、何か気の利いた名前ぐらいないかしら?」
「よくわかったね。後神って呼ばれてるよ。後ろ髪を引かれるような感覚になるからだって」
「なるほど、安直ね」
そしてサキから聞いていたとおり、その日の翌々日の下校途中にそいつは再びミヤコの前、もとい後ろに現れ、今に至る。
(話が違うじゃない! 無視したらどっか行くんじゃないの!?)
捕まえてみようとは思ったものの、特にこれといった策が思いつかないままウシロガミの方からやってきてしまい、とりあえず適当に周りから見えない程度に中指のジェスチャーで煽ったのが悪かったのだろうか。角度的にはウシロガミにも見えないはずだったのだが、とにかくそいつは今、全力でミヤコを追いかけまわしている。
噂通りなら振り向いてしまったら連れ去られてしまうので、行き止まりに追いつめられないように順路を選びながら、商店街を抜けなんとか駅前の交番前までたどり着いた。
(よし、ここまで来れば…)
気配は人間離れしているとはいえ、それでも相手が人間なら警察の目の前で事に及ぶことはないだろう。ミヤコのスタンス的には警察の手を借りるのは若干癪だが、これ以上命がけのマラソンに付き合う気にもなれなかった。
交番前で約3秒。案の定、警察の目を気にしてか、強烈な気配はその場からきれいに消え失せた。
ほっと一息つくミヤコ。腕っ節には多少自信はあったが、追いかけてきた相手は普通ではないと感が告げていた。その異常な気配は、正面切って犯人を捕まえることはあきらめるべきだとミヤコに確信させるほど、常人離れ、というか現実離れを感じさせた。
「まぁでも、警察見て逃げたってことは一応人間よね。人間同士なら、なんとでもなるわ」
「それはどうかな」
ギクっとして体を硬直させるミヤコ。
つい先ほど消えた異様な気配が、すぐ真後ろにぴったり張り付いている。
横目で交番を見るが、そばにいる警察官はこちらの様子に気づいていない。欠伸をしながら、巡回用の自転車のサドルをのんびりと拭いている。
声の位置からして誰かがミヤコの背中にぴったり張り付いて囁いているという異様な状況のはずだが、他の人間にはこの異様な気配は感じ取れないのだろうか。
男とも女ともとれない声で、そいつはミヤコに語りかけた。
「これから2日ごとにお前に会いに来る。振り向いたらお前を殺す。振り向くまで何度でも会いに来る。必ず殺してやる」
「それはそれは、わざわざご忠告どうも。ヒマなのね」
ミヤコは緊張を相手に悟られないようにそっとつばを飲むと、精一杯言い返した。
「必ず殺してやる」
「アンタこそ、必ずぶちのめしてやるわ」
その言葉を聞くと、異様な気配は一瞬笑ったかのような感覚を残し、文字通り風のように消えていった。今度こそ、いつもと変わらない雑多な風景の通りに戻る。
(まったく、なんだって私ばかりこんな目にあうのかしら…)
ミヤコは、過去を顧みない少女だ。