怪物と怪物!
4コーナーをカーブして直線コース!
先頭はサイレンスブライアン!
サイレンスブライアン、依然として5馬身のリード!
最内を突いてロゼッタストーン!
外からシシーリア、間を割ってミヤノカリオストロ!
さらには外からオイチョットマテが迫って来る!
オクターヴはまだ後ろ!
この手応えはどうなんだ!?
さぁ、400を切った!
神谷の鞭が入る!
サイレンスブライアン、これはセーフティーリードか!
サイレンスブライアン!
サイレンスブライアンが先頭!
外から来た来たーーーーー!
大外を飛んでくるピンクの帽子!
オクターヴ、オクターヴ凄い脚!!!
やはり最後はこの2頭!
天皇賞・秋、残り200!
届くのか!? 届くのか!?
オクターヴだ、オクターヴがかわす!
内からサイレンス! 内からサイレンス!
オクターヴ並ぶ! サイレンス粘る!
サイレンスか!
オクターヴか!
サイレンスか!
オクターヴか!
オクターーヴーーーーーー!!!
オクターヴです!
恐ろしすぎる末脚ぃぃぃ!!!
東京都府中市。所在地から府中競馬場とも称されるここ東京競馬場で、18頭のサラブレッドたちによる躍動感溢れる地響きが、西日に照らされた緑色に輝くターフを蹴り上げ鳴り響いていた。
1分54秒1。電光掲示板には、実況が慌てふためくほどのレコードタイムと、驚愕の上がり3ハロン(※ゴールまでの600m)が点灯。さらには数十メートル数百メートル先で繰り広げられた、ラスト30秒ほどの熱い闘い。それらを目の当たりにした競馬ファンたちが、超満員のスタンドから驚きと感動の二重奏を奏でている。
アドレナリンを抑え切れず歓喜に溢れ、馬上で雄叫びを上げている大牙 怜央。毎朝の調教はもちろんのこと、デビュー戦から今日に至るまで、一度たりともオクターヴの背中を譲らず手綱を握り続けている主戦騎手だ。横からスーッと並ぶように馬体を寄せて来たサイレンスブライアン騎乗の神谷 夕貴に右手を伸ばされ、左手で応える。
頭の上げ下げ、いや、最後は半馬身近く差をつけられ敗北した。悔しいが完敗。完璧なレース運びだった。全てを出し切ってくれた黄金色に輝く愛馬に、優しく愛撫をしながら離れていく神谷。硬い表情ながらも、その伸ばされた右手には、祝福の二文字が籠められていた。
ライバルホースたちも、時速70km近い激闘を終えたばかりの荒ぶる鼻息を鳴らしながら、1コーナーから2コーナーへと向かっていく。
「オクターヴ、スゴイデスネーーー」
短期騎手免許の取得は7度目となるスペイン人騎手が、慣れてきた片言の日本語で話しかけてきた。先輩・後輩、同期、関西・関東の所属、それら一切を問わず、皆が一言二言と祝福の言葉をかけながら追い越していく。
2コーナーを過ぎ、向こう正面で一旦常足まで落としたオクターヴ。驚くことにすでに呼吸は整っており、すぐにでも飼葉桶に頭を突っ込んでしまいそうなほど、その表情はケロッとしている。怪物と言われる由縁だ。
最高の走りを披露してくれた愛馬に何度も何度も優しく撫でるような愛撫をしながら方向転換をしていると、近寄ってきた芦毛の馬体。眩しいほどの逆光線でほぼシルエット。騎手からハイタッチを求められ、満面の笑みで応えると、そのままクルッと方向を変え颯爽と立ち去った人馬。
――誰だっけ・・・今の?
他馬が皆、ひとつ内側の砂コースから帰っていく中、用意されたのは勝者だけ走ることが許される芝のカーペット。1コーナーまで戻り、正面スタンド前に差し掛かる頃にはすでに、スタンドからの二重奏は、勝利を称える合唱へと変わっていた。
「お・お・が!」
「お・お・が!」
「お・お・が!」
左腕を大きく力強く掲げ大歓声に応える一方で、ハミをしっかりと噛み直しツル頸の姿勢をとるオクターヴ。一歩一歩力強く踏み込みながら「俺の名前も呼べよ」とばかりに悠然と歩く。
近年では毎年恒例となっている、観覧に来ている天皇皇后両陛下への御挨拶。ヘルメットを脱帽し、そのまま胸に当てて軽く頭を下げると、この小さな動作一つだけで、スタンドからはもう一度ワァーーーと鳴り止まない歓声が上がった。一旦下馬をし、膝を着くパフォーマンスをした騎手もいたっけ。
G1タイトルは初めてじゃないというのに、今日は何故か実感が湧かなかった。着順が表示されている電光掲示板の一番上には、間違いなく18番が点滅している。思わずゼッケンに視線を落とした・・・
「その割には、ッシャーって嬉しそうにガッツポーズしてたけどね」
まるでそう言っているかのように、ブルルっと鼻を鳴らすオクターヴ。
戦前から、サイレンスブライアンとの2強対決と騒がれ続けたこの一戦。
3歳クラシック戦線から幕を開けた直接対決は2勝2敗。
逃亡者サイレンスブライアン。天才・神谷夕貴を背に、2歳時にホープフルステークス、さらに皐月賞、菊花賞と3歳クラシックを制覇し、上がり3ハロンを33秒後半で駆け抜ける怪物。その後続を寄せ付けない走りは、日本競馬界に限らず全世界を魅了した。
一方、額にある「星」と呼ばれる白斑が数字の8に見えることから、馬主の音楽好きもこうじて命名されたオクターヴ。鬼のような末脚に全競馬ファンが驚愕するものの、クラシックは日本ダービーの一冠に終わり、金色に輝くたて髪をなびかせ駆け抜ける逃亡者に、人気・実績共に頭一つ抜け出しを許した。
同年の有馬記念。17分にも及ぶ長い写真判定の結果、ライバルにリベンジを果たし勝負を五分に戻すと、翌年の春には、直接対決こそ叶わなかったものの、上がり32秒台前半を平均して叩き出すほどに末脚に磨きをかけ、その地響きは瞬く間に地球の反対側にまで響き渡った。
日本の競馬会を席巻するとまで言われた脚色の相反する二頭が、満を持してぶつかり合う秋の大一番。遡ること二週間前、両陣営から天皇賞への特別競走登録が行われたその日のうちに、号外は出された。
「本当に強いのはどちらなんだ!」
日本中がこの話題で持ち切りとなり、翌日の早朝から毎日のように取材陣に取り囲まれる関係者たち。もちろんこの話題はテレビの情報番組でも大きく取り上げられ、競馬に興味を持たない人々すらをも「何事か」と惹き込んでしまうほどの社会現象となった。
神谷の塩対応とサイレンスブライアンの艶やかかつ眩しいほどに輝く黄金色の毛並みに女性ファンは悶絶し、しどろもどろな受け答えをする大牙と「馬にも表情筋があるんですか?」と聞きたいほどに表情豊かなオクターヴに皆お腹を抱える。
#サイレンスブライアン #尾花栗毛 #ブルーアイズ #神谷夕貴 #塩対応
#オクターヴ #白斑8 #オク顔 #鬼脚 #大牙怜央
様々なハッシュタグもさることながら、二人と二頭はこの一週間、SNSのトレンド入りをし続けていた。本屋の店頭には「天皇賞(秋)特別号」がずらりと並び、表紙が6パターンにも及んだことにより違う意味で話題を呼んだ。ファッション雑誌の表紙までも競走馬が飾る時代。なんて時代だろうか。
巷では2強崩しの話題にも華が咲き、大いに盛り上がったが、蓋を開けてみれば御覧の結果。一昨年度三冠馬シシーリア、同じく一昨年度のジャパンカップと有馬記念を三歳で制した、昨年の凱旋門賞二着馬ロゼッタストーン、さらには昨年の年度代表馬かつ春の天皇賞馬トゥモローバンデッド。並々ならぬ有力馬の関係者すらも皆「生まれてきた時代を呪うねぇ」と溜め息交じりに口を揃えた。
右から左、そこから少し視線を上げて左から右へ。普段は気にも掛けないが、改めて眺めてみると、とんでもない群衆で埋め尽くされている正面スタンド。端から端までこの視界に入る人たちが皆、僕とオクターヴに注目している。凄いところに僕たちは立っているんだな。そう考えると少し実感が湧いてきた。
「帰るか・・・」
再び軽く鼻を鳴らすオクターヴ。
拍手喝采で迎えられた勝者たちは、ゆっくり地下馬道へと消えていった。