妖精の嘆き
雨が降る。俺の心なのか、本当に雨が降っているのかはもうわからない。俺は雨が好きだった。だって雨の妖精だから。雨に生まれ、雨に生きる。そんなごく平凡的な雨の妖精――のはずだった。
雨の妖精には昔から試練がある。一人前と認めてもらうのに、『一人、雨嫌いな人間に雨を好きにさせる』というものだった。
俺の試練の対象者が『彼女』だった。雨の妖精は、『雨の日』にしか姿を見せないというのは、あながち間違いではないが、試練を受けているときと、一人前と認められた場合は雨の時でなくとも充分に活動できる。そのため俺は彼女の学校の生徒に紛れ込み、彼女に雨を好きになってもらうように努力した。俺たちにとって人の記憶を操ることは容易なので、『俺が前からその学校にいたこと』 と、『彼女の一番仲の良い男友達であること』この二つの記憶を操作した。彼女はなかなか手強くて、全く雨を好きになる様子がなかった。それどころか俺はうっかり彼女に惚れてしまった。仲の良い者にだけ見せる無邪気なかわいい笑顔。意外と天然なところ。理由をつけて一緒に帰っていたが、終始笑いっぱなしで話題が尽きない。試練のために仲の良い設定にしたのに、いつしか俺たちは本当に仲良くなっていた。このまま試練なんて無視して、彼女の近くにいれさえすれば良いなんて思い始めていた。だが、雨の神様がそれを見据えてなのかどうかは知らないが、俺の幸せな時間は前触れもなく幕を閉じる。
あの日、朝、下駄箱で会った時。彼女の頬が少し紅く染まっているように見えた。その時気づいていれば、何か変えられたかもしれない。彼女は恋をした。記憶を操作したとはいえ、それなりに楽しい時間を共有していたはずの俺ではなくて、見ず知らずの誰かに。皮肉なことに、彼女はそれを機に雨が好きになっていったようでそれがすごく悔しかった。自分の力ではどうにでもできないことを悟った。神様はよくやったと俺を誉めたが、俺の力ではないと言っても聞く耳を持たず、試練終了を告げる。俺は少しの猶予を請うた。何とかして彼女を手に入れたかった。彼女の記憶を操作し、俺を好きにさせるのも簡単だったけど、彼女の決意に満ちた目を見ると、それができなかった。だから噂を流した。――『雨の妖精』の悪い噂を。それでも彼女はなびかなかった。それではと相手の方にも噂を流してみたが、驚いたことに相手も彼女に惚れ、決意を固めていた。俺に残された時間ももうない。だが、そんな俺を嘲笑うように天気予報は雨マークを謳っていた。
そして今に至る。猶予期間切れの日でもある。最後の彼女と帰りたくて、できれば想いを伝えたくて呼び止めたけど、彼女は行ってしまった。でもどうしても我慢できなくて彼女を追いかけ、追い付いたと思ったら、もう遅かった。二人の恋は実り、もう俺の入る隙間などどこにもない。もうじき迎えが来る。俺は皆から記憶を消した。担任、クラスメート……そして彼女。
「あれ、おかしいな?」
視界が霞む。彼女の記憶が消えていく。俺と過ごした時間が、会話が、彼女の記憶が、泡のように弾け無くなっていく。俺の中にはまだこんなにも残ってるのに。交わした言葉、一緒に歩いた道、触れた肩から伝わる体温、少し真剣な顔や声、ちょっとした冗談だったり、柔らかい笑顔、全部、全部、全部、全部。溢れ出る涙と一緒に全て俺の中から出てってくれたらいいのに。
そうか、俺は泣いていた。心に雨が降っていた。世界は晴れていた。視界から消える彼女に向かってもう届かない声で呟いた。
「雨音が響いてますね(あなたを愛していました)」
届かないはずの彼女と目があった気がした。




