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冥土の土産

作者: 覆水

 ある荘厳な扉を叩く酔っ払いが居た。

 門衛は彼にも入る資格がある事を認めると厳粛な態度を崩さずに扉を開いた。

「もっと早く開けてくれよ」

 酔っ払いは門衛に向かって毒づいた。聞こえていたのかは分からない。門衛たちは酔っ払いを入れてしまうと後の事は知らないと言わんばかりにそっぽを向いている。

 中に入るとたくさんの人たちがいた。そこかしこで楽しそうに話をしている。

 酔っ払いはふらつく足取りである輪の中へ入っていった。

「よお、兄弟。なにをそんなに楽しそうに話をしてるんだい?」

 酔っ払いは両隣の人の肩に乗るようにして肩を組んだ。

「へっ、こりゃあ可笑しな奴が来たもんだな」

「いろんな奴が来るさ」

「しこたま飲んで上機嫌だ。羨ましい奴め」

 体格のいい男が酔っ払いに尋ねた。

「アンタ、なんで死んだんだい?」

 酔っ払いはすごんだ眼で男を見ると大きく口を開けて叫ぶように言った。

「ってことはここは天国かい?」

「似たようなもんだ」

「へええ。ここがそうなのかい」

 酔っ払いはしきりに頷いている。

「俺は、俺は死んだのは、病気でだ。遺伝的に消化器系が悪くてね。酒が祟ったんだろうなと思ってる。これまで禁酒してたから家族が山ほどの酒を棺の中に納めてくれたのさ」

「そうかい。ここではそんなに酔ってる輩はいないよ。みんな酒を飲まずにいい気持ちさ」

「へへ、死んだんだからな。死んでからも苦しむなんてごめんだね」

「ここは天国じゃないのかい?」

「ああ、違うよ。天国は選ばれた者しか行けない決まりさ」

「なんてこった。じゃあ、ここで何してるのさ?」

 酔っ払いが尋ねるとその場にいたみんなが顔を見合わせて言った。

「喋ってんのさ」

 男たちは輪の中に次々と言葉を放り出していった。タバコは好きだったと言う者がある。酒も女もギャンブルも。悪い事は全部好きだったと言う者がいた。もう一度だけ辺りを見回した。話をしている者しかいなかった。

 酔っ払いは考えた。昔から天国と地獄であの世は考えられてきた。なら、ここが天国じゃないならこここそが地獄じゃないのか?

 酔っ払いはますます考えて辿り着いた事実を打ち明けようとはしなかった。

「やれやれ。おい、お前さん」

 酔っ払いの隣にいた男が酔っ払いに声をかけた。

 声をかけられるとは思っていなかったので隣からとは気付かずにきょろきょろと辺りを見た。

「お前さん、俺だよ、俺」

 右隣の男が酔っ払いの胸を叩いた。

「ああ、アンタかい。何かようかい?」

「もしかしたらここが地獄だと思ってる顔だな。違うか?」

 図星だった酔っ払いは真っ赤な顔色を変えなかった。それでも男には返事をしなかった。

「へへ、答えねーな。みんながそうさ。一度はここが地獄かもと考える。天国とは程遠い」

「アンタはなんで死んだんだ?」

「俺は、斬られたのさ」

「斬られた?」

「ああ、刀でばさりさ」

 酔っ払いは頭を抱え込んだ。

「言ってる意味がよく分からないんだが」

「ははは、みんなそう言うさ。日本人ならね」

「あんたいつからここにいるんだ?」

「分からねえさ。ここにゃあ時間なんて意味のないものさ。何もないんだ。雲ひとつ浮かばない。水一滴も降らない」

刀で殺されたという男はどうやら武士らしい。

武士の隣にいた男が話に割り込んだ。

「前にどこかの偉い学者さんは時間を測るために人の言葉で計算しようとしたのがいるよ。そこらへんにほっつき歩いているか、寝転んでいるだろうさ」

それからは酔っ払いも武士も静かになった。

輪の中で多くの人が話をしていた。聞くしかない酔っ払いは話に耳を傾け続けた。

武士の話を聞くと彼は刀で斬られる前に国の姫と話をしたそうだ。と言っても些細な世間話だったが、武士は冥土の土産が出来たと喜んだ。

「どんな話をしたんだい?」

「いい天気ですねと言うとただ一言『ええ』と答えてくださった」

その時に酔っ払いは理解した。彼らが楽しそうに話をしているのは冥土の土産を話し合っているのだ。

そしてそれは酔っ払いにはなかった。どんなことをはなせばいいのか分かっていない。必死にあれこれと考えているが何も浮かんでこない。酔っ払いは人生で初めて頭を抱えた。

思いつめた酔っ払いは武士の隣にいた男の腕を掴んで尋ねた。

「おい、アンタは何か話を持ってるのか?」

「へへへ、俺かい?」

「ああ、アンタだ」

酔っ払いはこの男が嬉しそうに顔を綻ばせるので女にまつわる話だと勘付いた。

「あんたは生きてる時は何してたんだ?」

「生きてる時のことはあんまり話をしたくないんだがな。この土産話以外では」

「いいじゃないか。教えてくれよ」

酔っ払いは食い下がった。

「映画監督だよ」

武士が酔っ払いに教えた。

「お前って奴は。なんて奴だ。映画がどんなものか知りもしないのに」

「じゃあ、映画にまつわる話だね」

「いや、そうじゃねえ。俺が作った映画なんあんたは見たこともないはずだ。売れなかったからなあ」

監督は笑っていた。そして訥々と土産話を喋り出した。

なんとあのマリリン・モンローと席を隣にして酒を飲んだと言うのだ。それも監督が死ぬ二十年前に。

「人生の絶頂の時のように思えたよ」

恍惚とした監督を武士と酔っ払いが見守っていると監督は視線に気が付いてサッと顔を下げてしまった。

この監督にも土産話があった。ますます酔っ払いは自己嫌悪に陥っていった。自分の人生が現世でしか意味のなさないものだと思い込んでしまう。

酔っ払いは酔いが覚めるほど悲嘆にくれた。座り込んで途方にくれた。武士や監督が心配になって側で彼を励ました。時間ばかりがあるのに他には何もないこの場所では人と接していくしかない。こんな風にして落ち込んだり、悩みこんだりする人と接するのは比較的に楽しいことだったのだ。

楽しそうな話す声が聞こえてくるので酔っ払いは耳障りに感じて耳を塞いだ。

「あんた、耳を閉じちゃいけないよ。ここではね」

「そうだぞ。ここでは人と話をして気を紛らすしかない。まず落ち着くことだ」

武士と監督が優しく酔っ払いを励ました。

「ほら、見てみろ。あそこを歩いてる男がいるだろう。見えるか?」

「へへへ、ちょうどいいところに来たな」

二人が指で示したのは前を歩く一人の男性だった。よたよたと歩いている。何かを探している様子でキョロキョロとあちこちを向いている。

「あの人がどうしたって言うんだ?」

武士と監督は顔を見合わせるとニヤリと笑った。そして武士が酔っ払いの背中をポンと叩いた。

「この場所で一番の温和な人さ。話をしてきてみたらどうだ?」

酔っ払いは立ち上がって一人の老人の元へ歩いていった。

「おじいさん、こんにちは」

「ああ、こんにちは」

「僕はここに来て間もないんです。よく分からなくって。あの二人があなたと話をしてみたらどうだと言うんでね」

「そうかい。奴らは好かない。奴らが私をなんと呼んでいるのか知ってるか?」

「ああ、聞きましたよ。温和な人って」

「嫌な奴らだ」

「どうして温和な人と呼ばれているんですか?」

「喧嘩を売れないからさ」

老人は酔っ払いと話す間にも目を動かして何かを探しいる風だった。

「何か探してるんですか?」

「ああ。私は生前に無くした覚えはないんだ。だからきっとここにあるはずなんだ」

「だから、一体なにを探してるんですか?」

酔っ払いは苛立った声を隠しもせずに老人に尋ねた。

「中指だよ。中指が無いんだ」

老人は酔っ払いの目の前に右手を差し出した。開かれた四本の指があった。本来ならそこにあるであろう長い指がたしかに老人の右手には無かったのである。

酔っ払いは肝を抜かれて一瞬間だけ戸惑ったがはたと何か気づいた様子で頷くと老人の肩に手をそっと置いて優しく再び尋ねた。

「ご老人、あなたのお名前は?」

「私はガリレオ・ガリレイ」

「あ、あなたの中指ならイタリアの博物館で見ました」

老人は信じられないといった表情を浮かべて頭を抱え込んだ。



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