束の間の休息
決して実ることのない想いは、自分の気持ちとはかけ離れて加速度的に膨らんで行く。
止めることができないのならいっその事、この想いに狂って朽ち果ててしまえれば、どれだけ幸福なのかもしれない。
この気持ちが“純粋な好意”を通り越えているという事は、誰に指摘されなくても自分が一番理解している。
こんなにも欲望に塗れた好意は、相手にとって迷惑なだけだから……。
だから……。
××××
煌也の逃げ場であるガラス張りの中庭は、生まれてからこの家に住んでいる獅子導の一族といえども綺萌くらいしか知らない―足を運ばないという、とても貴重な場所だった。
ほんの偶然でその場所を知ったベルタは、その中庭の空気がとても穏やかなことも手伝って、暇を見つけては中庭に足を運ぶようになっていた。
中庭の中央。入り口からは陰になって見つかりにくい、噴水の側にあるベンチに座り読書に勤しむ事が最近のベルタの日課でもあった。
「……ベルタ」
地の底を這うような声に呼ばれて、ベルタはどこか呆れた表情で本から視線を上げた。
「煌也」
相当疲れているのか、気だるそうに肩を落としている煌也を見て、ベルタは軽く溜息を吐いた。
「そんなに疲れるなら、自室に鍵でも結界でもかければいいのに……」
興味なさげに本に視線を戻したベルタに寄りかかるように横に腰掛けた煌也は、苦々しげに息を吐いた。
「前にそれやったら扉の前で泣かれたり、騒がれたりしたんだよ。で、部屋から出てみれば、部屋の中に誰がいるだの何だの言われるし……公大家ほどじゃないとは言っても貴族の子女だから実力行使するわけにもいかないし……」
「……」
疲労の色を濃くにじませて告げられた言葉に、ベルタはしばし逡巡した後、視線はそのままに口を開いた。
「……ご苦労様」
「ベルタ……」
どこか呆れを含んだベルタの言葉に、煌也は僅かに眉を上げてベルタの首に横から抱きついた。
真横から首に縋り付くように抱きしめられたベルタはさすがに苦しかったのか、それまで手にしていた書物を横に置いて煌也に向き直った。
「……何?」
「早く……」
僅かに震える手で、煌也は聞き取ることが難しいほどの声で囁いた。
「早くこの家を出たい」
あまりにも弱々しいその言葉に、ベルタは固く目を瞑ると口を開いた。
「この家から出ても、あなたは“獅子導”の名がもつ柵や立場から逃れることは出来ないのに?」
ベルタの言葉に煌也は縋り付いていた手に僅かに力を込め、どこか困ったような苦笑を浮かべた。
「ベルタは厳しいな……」
困惑気な煌也の言葉に、ベルタはゆっくりと目を開いて悲しそうに呟いた。
「でもそれは切り離せない事実だわ。私は、どこまで行っても“貧乏街の鮮血の魔女”……そしてあなたは、どこまで行っても“獅子導の血を継ぐ王子”――でも」
そこまで一気に言い切ると、ベルタは首にかかっていた煌也の腕を解き、煌也の頭を自分の膝の上に乗せた。
ぽふん
「今、この場所でなら、そんな柵も立場を忘れても、許してあげる」
「今、ここでなら?」
肩から零れ落ちるベルタの髪を軽く引きながら、煌也は穏やかに瞳を閉じた。
「そう……今、ここだけ、なら」
たとえ僅かな、この瞬間だけでも甘えさせてくれるというベルタの言葉に、煌也は目を瞑りながら微笑を浮かべた。
「なら……今だけ、借りる」
完全に頭から力を抜いてベルタに身を預けると、煌也はそのまま眠りについた。
××××
しばらく煌也の寝顔を見下ろしていたベルタは、軽く溜息を吐いた。
胸の奥底に湧き上がる熱に、ベルタは困ったように微笑を浮かべながらただ一言、囁いた。
「……好き」
思いの外、柔らかい髪を無意識に指に絡めながら、ベルタは困惑気に口を開いた。
「それでも……それだからこそ、私は……貴方が好き、だから」
誰にも邪魔されないその場所で、煌也の寝顔を眺めながら零されたベルタのその言葉は、誰の耳に届くこともなくその場所に落ちて消えた。




