表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
終末への想像力  作者: 小島 剛
5/6

死に対する無知

 そういったわけで、聖書の黙示録の手前、「へブル人への手紙」「ヤコブの手紙」「ペテロの手紙」「ヨハネの手紙」「ユダの手紙」あたりになると、不品行の戒め、「世の終わり」の近づき、イエス・キリストの再臨、神の愛の確認などの記述が多くなる。

ドミティアヌス帝の迫害が強化され、終末の日が近づいていることを使徒たちは感知していたので、終末の裁きに向けての心構えという形で、滅びのイメージが明確になってくるのである。




 聖書、特に旧約聖書は悲惨で血なまぐさい。

やたら沢山の人が死んでいくし、ハンセン病をはじめとする病気、戦争、破壊が繰り返し描かれる。

そして滅びというテーマも非常に重要で、現に北イスラエル王国はアッシリアに、南ユダ王国はバビロニアに滅ぼされる。








南ユダ王国のそれがバビロン捕囚につながる。

その痛切な嘆きはエレミヤの「哀歌」でうたわれている通りである。

私は、旧約聖書の白眉として名高い「詩編」同様、「哀歌」も並々ならぬ高度な文学性を誇っていると感じている。




預言書の文学性の高さを評価する知の巨人としてマックス・ウェーバーが居り、『古代ユダヤ教』でそれを熱烈な口調で強調しているが、全く私も首肯するところである。

これほどに力強く嘆きをうたい上げる詩を私は知らない。







 冒頭に挙げた枯れた水仙を活けて鑑賞する趣向といい、悲惨な歴史・事実を透徹したリアリズムで描き、嘆き、怒る聖書といい、古人は老いや病い、死、滅びというものを受け入れ、それを憶えておくという点ではるかに優れた感性を持っていたといえよう。


それに対し、現代に生きる我々はこの点について劣っていて、あまりにも無知なのではあるまいか。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ