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終末への想像力  作者: 小島 剛
4/6

ポスト黙示録?

 ブレードランナーという映画があり、最近続編が公開された。


 ポスト黙示録的(post-apocalyptic:ただ、今日、口語の聖書ではたいてい黙示録はrevelationと訳されている)と言われるジャンルがSFにはあり、これなどでは、人類は環境破壊で一度文明が壊滅的影響を受けた地球の上でみじめに人工的な生活を強いられている。

科学的かどうかはともかくとして、日本の漫画、アニメでも、『北斗の拳』や『AKIRA』のような設定のものは多く見かけるし、『猿の惑星』『ターミネーター』のようなものを考えるとこの種の話は多いように思われる。


 だが、普通、聖書の掉尾を飾る「ヨハネの黙示録」のラスト21、22章は、再臨したイエス・キリストと獣・偽預言者・大淫婦の戦いの後、裁きがあり、新しい天・新しい地における神と人間の共存という大団円が描かれるのであって、現代の「黙示録後」のイメージはキリスト教のそれとは大分かけ離れた創作の感が強く、偽書である『パウロの黙示録』に見られる周到に描かれた地獄でも描いているかのようである。


 「滅び」というテーマがここには共通しているように思われるが、どのように滅んでいくのかを丁寧に描写していく映画やアニメ、漫画で、傑作とされているものについて私は知らない。

わたしはこういったジャンルに詳しくないどころか、かなり音痴なほうなので、よくご存じの方なら、なにがしかを挙げられるかもしれない。


 さて、さきほど歴史の先人たちの考えた2通りの西洋的歴史観を紹介しておいたが、これは抽象的な思考の結果として生み出されたものではないのだろう。

古代ギリシア人の円環的な歴史観なら、毎日は太陽が東からのぼって西に沈むの繰り返し、植物なら種子→発芽→成長→開花→種子、といった繰り返しをなしている以上、自然に発想できる具体的な思考の産物と見ることができる。


 同様にキリスト教的な創造→終末という歴史観も、出生→成長→老い・病→死という一連のプロセスになぞらえることは容易であるから、古代ギリシアのそれ同様、着想は単純で具体的なのであろう。


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