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終末への想像力  作者: 小島 剛
3/6

歴史

西洋人は歴史というものを考えるときに、2通りの考え方をする。

古代ギリシア人のように、緩やかな繰り返しをなしながら進行していく円環的なものと考え。

もう一つは、創造から終末に向けて、明確に始まりと終わりを持つという考え。

キリスト教はもともと、終末に裁きと救いがあると考えていたが、啓蒙思想とドイツ観念論を通じて、ヘーゲル=マルクス的に終末を歴史の完成と見、安定した定常状態が、永久に持続するという論者たちも現れてきた。




 近年では、ソビエト崩壊、東西ドイツ統一、冷戦の終了をもって歴史の終わりとなすフランシス・フクヤマの『歴史の終わり』が想起される。


 私は、当時ちょっとしたブームになったこの本を、「いくら冷戦が終末を迎えたからって、これ以降、歴史に全く新しい展開が無いなどと考えるのは、ちょっと馬鹿げすぎていないか?」と思っていたが、今、この本を真顔で取り上げる人はいるであろうか。

こんなわけで、現代人は近未来についていろいろ言いはするが、100年後、1000年後、10000年後のことになると、全くイメージできない。

したり顔で現代人の賢さを喧伝する御仁も、10000年後のことを尋ねると苦笑するか、冷笑するか、悄然とするかとにかくわからないが、その途方もない賢さを使って明確に語ってみせはしないだろう。


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