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出会いは伏線回収とともに(1)

  図書室に入るとまず一番にインクと埃が混ざったような匂いがした。一気に辞典を運んだことで息が上がっていた俺は埃を胸一杯に吸い込んでむせた。

 少しのあいだ、その場で息を整えたのち、


「……はあ。えっと、国語辞典はどこにあったんだっけ」


 棚を物色しながら、辞書を一つずつ元あった場所に返していく。

 それにしても。

 放課後の図書室は夕暮れに染まっていて、まるでこの空間だけが世界から孤立してしまったかのように静寂で満ちていた。ぐるりと周りを見渡してみるとそれもそのはず、そこには俺を除いて生徒は一人としていなかった。


「――あ」


 訂正。一人だけいた。

 その子は図書室の隅に置かれた椅子に腰掛け、一人、本を読んでいた。


 文学少女――なんて言葉は現代においてもはや死語かと思っていたけど、それでも彼女を表す言葉にこれほどぴったりな表現はないと思った。

 夕日を浴びて淡く照る艶やかな黒髪が、凛とすました美麗な佇まいが、本に注がれる熱っぽくも真剣な視線が、俺を捉えて離さない。

 はっきり言って、俺は彼女に見惚れていたのだ。


 そして。

 数秒にも数十分にも感じられる時間が過ぎたころ、彼女について気づいたことがあった。


「……?」


 さきから彼女がいっこうに文庫本のページをめくらないのだ。


 最初は眠っているのかと思った。だけど彼女の背筋はピンと伸びていて、うつらうつらと船を漕いでいる様子はない。

 彼女はただじいっと、食い入るように、同じページを見つめていたのだ。


 ふと、そのとき俺は、彼女がいったい何に夢中になっているのか気になった。


「ちょっとぐらいなら、ばれないよな?」


 自分に言い訳をしつつ、そっと彼女の後ろに歩み寄って、後ろから彼女の手元を覗き込む。思い返せば、これが全ての始まりだった。

 彼女の読むページが俺の目に飛び込んでくる。

 そこには、



 ――全裸の美少女がいた。



「なっ!?」


 思わず裏返った声が出てしまう。


 だってしかたないだろ!?


 清楚な文学少女が放課後に一人、夕暮れに染まる図書室で食い入るように読んでいたんだ。てっきり彼女は硬派な古典文学でも読んでいるのかと思ったのに。


 まさかそれが『()()()()()()()()()()』だったなんて誰が想像できただろうか!


「――え」


 俺の声に彼女がゆっくり振り向いた。目が合う。


「――」


 ――ああ。

 ほんとうは、今すぐに謝るべきなのだ。


 人の読んでいた本を後ろから盗み見るなんて。しかもそのページがライトノベルの、全裸美少女の挿絵だったとしたら?

 自分がやられたときのことを考えろ。

 まず睨む。なんだこいつは、と。いま目の前の女の子がそうしているように。

 だからまずは謝るべきなのだろうけど、俺はまったく突拍子もないことを考えていた。


 ――もしこれがライトノベルだとしたら。


 このシーンはきっと挿絵付き。主人公とメインヒロインの邂逅シーンに違いないと、そんな場違いなことを考えてしまっていた。


 ほんと、骨の髄まで俺はラノベオタクらしい。


 なんてそんなことを考えていたら、やがて彼女があわあわと引きつった様子で、


「う、う、うそ、ですよね? わたっ、わたし、はだっ、裸、み、み、見られて……」

「待て! 俺が見たのはおまえが読んでたラノベの挿絵な。まるで俺がおまえの裸を見たかのように言うんじゃない!」


 決して生の裸を見たわけじゃないからな?

 てか、学校の図書室で全裸の美少女と邂逅とか、そんなテンプレ学園ラブコメラノベの下手なプロローグみたいなことが現実で起こり得るわけないからね?


 なんて誰に向けてか分からない弁解はさておいて、それでも、今回はたかが挿絵の全裸なのだ。だから俺は錯乱ぎみの彼女を安心させるためにも言った。


「見たって言ってもラノベの挿絵じゃないか。そりゃあ、覗いてしまったのは申し訳ないと思うけど、そこまで恥ずかしがることもないんじゃないかな?」

「何言ってるんですか!? お、男の子にエッチな挿絵をガン見してる場面を見られたんですよ!? ああこの娘はエッチな娘なんだなって思われるじゃないですか!?」

「別に思わないけど!?」


 今は思ってるけどな!

 そういう妄想をする娘なんだな、って。


「うぅぅ……。不覚です……不覚です……、不覚ですぅ……」


 涙目でうわ言のように繰り返す彼女。

 そ、そこまでショックを受けるとは……。


「……そんなにラノベの挿絵を見られたことがイヤだったのか?」


 自然、俺の声が暗くなる。彼女は俺の変化に気付くことなく、


「と、当然ですっ。だってラノベですよ? エッチですよ?」


 ラノベ=エッチという彼女の認識はこの際置いておくとして、それでも俺には彼女の言葉がちくりと刺さった。


「……だってラノベ、と言ったのか?」


 それは聞き捨てならない台詞だった。


「ラノベだから、読んでいるのがバレるとまずいのか。じゃあもし、お前が手に持つその小説が、実写化して全米を泣かせた小説だったとしたら喜んで見せびらかしたというのか?」

「え、え?」


 一歩、二歩と詰め寄る俺と、じりりと後ず去っていく彼女。


「さあ、どうなんだ?」

「そ、それは……」


 最初彼女は戸惑ったようにしていたが、やがて状況を飲み込み始めて、どうやら俺がラノベをバカにされたことについて怒っているようだと気付くと、


「そ、そうですけど?」


 一転、攻勢に転じた。


「なっ」

「もしも、ラノベなんて読んでいることがクラスメートにバレたとしたら、きっと弾劾裁判が始まります。ラノベをリア充に面白半分で取り上げられて、全裸の挿絵が載ったページに付箋を貼られて、それで授業中に悪口お手紙と一緒に回されるのです、そうに決まっているのです!」


 そういう彼女は壁際まで追いつめられていて、目じりにはじわりと涙が浮かんでいて、それでも窮鼠のように俺をじいっと睨みつけていて。


「――っ」


 ――ちくしょう、どうしてそんな顔をするんだよ。


 彼女を怖がらせるつもりなんてなかったんだ。ただ、俺もキミと同類だってことを教えてあげたかった。俺はキミのクラスメートとは違う、同士なのだと伝えたかっただけなんだ。

 だから、


「俺も、」


 言った。


「ライトノベルが、好きなんだ」




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