第三話 このままじゃ何も変わらない。
吹雪が収まり、雪がしんしんと降っている。
雪が髪の上に積もる。さきほどのジャージ姿よりはましだが、それでもまだ寒い。
「ねえ、どうして元の世界に帰ろうとしなかったの?」
突然、リースさんからそんなことを聞かれ、彼女の目を見る。
何でって言われても……。
「……帰りたくなかったから」
あと異世界ってやつを見てみたかったからっていう興味本位があったかも。。
「私はあの家にずっと住んでたの。生まれた時からずっと――成長してからここに来た人が何人かいたけど、みんなあの木の実を食べる直前で帰っていった。あなたが初めてなのよ」
それは……なんだか自分の選択が間違っていた気がしてきて目をそらしかける。
そうか、自分だけなんだ。
「あなたは、すごいと思う。だって、進もうとする意志があるから」
……? 少し困惑しながら首をかしげる。
「引きこもりだった自分にはそんなのない、と否定するかもしれないけど、私はそうだと思うわ――どれだけ嫌な世界だったとしても、自分の世界を捨ててそんな決断ができるっていうのはすごいことなのよ。……ありがとう、未来を向いてくれて」
お礼を言われる筋合いはない。けど、どういたしまして、と伝えることにした。
おそらくいつか、異世界で辛いことがあってこの選択を後悔する日が来るのかもしれない。
それでも、僕はあの世界に帰りたくなんてなかった。
一歩一歩、道なき雪山を歩いていく。
ふと後ろを振り返ると、真っ白だった。前を向いても真っ白だった。
いくら歩いても風景は変わりそうにない。だんだん飽きてきた。
だけれども、戻ることは許されなかった。僕が決めた道を歩くしかない。
***
最終的に洞窟に着くまでに双方が倒れかけた。
「はぁ、はぁ、先についたのは私じゃなかった……? 私の勝ち、だよね……はぁ」
何の勝負だろうか。
僕は言わずもがな、リースさんもあの家に引きこもっていたという。こんな風に疲れるのも当然だ。
「まぁ、何はともあれついたね。ねえ、ドラゴンってどんなものだと思う?」
「でっかいんじゃない?」
適当すぎる答えだった。
「そりゃおっきいだろうけど。例えば火を吐くとか?」
「魔法を使ってくるとか」
結局のところ、わからないのだった。
僕は洞窟の奥を見る。
この先にドラゴンがいるという。……そう考えると急に戻りたくなってきた。
揺らぐ決心とおびえる心が僕を一歩後ろに下がらせる。
その時、手が引っ張られた。
「どうしたの? 行こっ!」
え、ちょっと待って、まだ決心が……
僕のものすごい動揺に気づかず、彼女は洞窟の中に入っていった。
***
ひたりひたりと水が落ちる音がする。
横に狭く、縦に長いその洞窟を延々と歩き続ける二人。
おでこに水滴が落ちてきた。拭く暇もなくリースさんによって引っ張られる。
彼女の手の温もりが熱い。やけどしそうだった。
「ねえ」
彼女が振り向く。僕は驚いて彼女から目をそらした。
「こら、どっか別の方向かないで」
手を放し、頭を押さえられ視線を彼女の目に合わせさせられる。
顔が真っ赤にあり、何も考えることができなかった。
「……かわいい」
むしろ寒気がしてくる。体が震えてくる。彼女の両手をはたいて、僕は十歩ほど逃げ出し、入り口のほうを向いて座る。
くすりと笑う声が聞こえる。
心の中で謝りながら、体育座りをしてくるまる。
そんな僕のそばまで来て、彼女は背中をたたいた。
「こーら。そんなんじゃあっちについても引きこもりのままだよ」
……。
そうだ。そうだよね。このままじゃ何も変わらないよね。
僕は立ち上がる。少し頷いて深呼吸。
「ちょっと涙目になってたよ」
「うるさい」
と、その時だった。洞窟の奥から、音が聞こえてくる。
キュルルルルルルルルルル――と、風が吹いたような音。
驚いて肩がはね飛ぶ。それは、ドラゴンの鳴き声に違いなかった。
「綺麗な声ね」
僕には、恐ろしい怪物の声にしか聞こえなかった。
肩をつかみながら、もう一度深呼吸。心臓に手を置いて一歩、踏み出した。