第二話 行ってきます。
でも、僕は。
僕はあの世界で生きている意味はないと思った。
異世界。未知の世界。それに対する憧れが一つ。
もう一つは、誰も自分が知らない世界に行きたかった。本当に一人ぼっちになってみたいのだ。
引きこもりというかりそめの一人ぼっちではなく、母親もなく、先生もいない。頼れるのは自分だけ。 そんな世界はつらいだろうけど、でも死ぬときは自分だけでいい。誰も悲しまなくていい。
すなわち、あの世界に一切の未練がないということでもある。
どんな辛い世界であろうとも――今のところ、僕はあの世界で死にたくない。
死ぬならせめて、一歩進んでから。
赤い木の実を口に入れる。とても甘かった。
「ありがとう」
女の子の声が聞こえる。振り向くと、部屋の隅にいた女の子がにっこりと笑っていた。
「食べてくれて」
僕はとっさに目をそらす。女の子に見つめられるなんて、そんな。
「その木の実には、この世界の言語を理解する力があるんだよ。これで坊やはめでたくこの世界の住民だ」
お婆さんは僕の目を見て、笑いながら言う。
僕は、恐る恐る女の子を見る。
肩まで伸びたきれいな茶髪。ほっそりとした体。毛皮の服を着たその子の目は――青色に輝き、美しく見えた。
「――君の、名前は」
「私の名前? ……リース。リース・デルフォイよ。はじめまして」
伝わった。
彼女は笑う。そんな笑顔に僕は目をそらすばかりだった。
「できたじゃないか。……いらっしゃい。この世界に」
おばあさんは僕の肩をたたきながら言った。
***
「この先の雪山の先にある洞窟を抜けると農村につく。そこからは坊やが自分で生きていく道だ」
お婆さんは続ける。
「ただ、その洞窟にはドラゴンが住んでいる。この雪山は、もともとは自然豊かな山だったんだがねえ……そのドラゴンが温かさを奪ってしまったんだ」
僕はジャージの上にお婆さんがくれた毛皮の服を着る。
机の上には、ショートソードと動物の皮でできた袋が置いてある。
袋の中には小銭が少しと木の実が五つ。お世辞にも多いとは言えなかった。
でも、文句を言うつもりはなかった。だって、僕が選んだ道なのだから。
「昔々の話だ。この山の頂上には一本の剣が置いてあった。それには『龍の加護』がかけられていて、それによってドラゴンが封印されていたんだよ。しかし――封印されていたドラゴンが目覚め、その剣を丸呑みしてしまった。それからこの山は雪山に代わってしまった――ドラゴンは龍の加護によってあらゆる攻撃が効かない。剣で斬ろうと、炎で炙ろうと駄目だ。ただ一つ弱点がある――尻尾を切るんだよ。尻尾はすなわち龍の加護が顕在したもの。それを切れば龍の加護が切れる。わかったね」
僕は頷いた後、感謝の気持ちを込めて頭を下げる。
「私に渡せるのはこれだけだよ。強い力も、強い武器も渡してやることはできない。でも、坊やなら大丈夫なはずだ……少しだけ加護をあげよう」
僕の頭の上に手が乗せられる。とてもあたたかなぬくもりを感じた。
「リース、あんたもいくんだ。わかってるかい?」
「……はい、いきます。わかってます」
彼女も僕と同じような毛皮の服を身に着け、腰にショートソードを刺し、手編みの手袋を手にはめているところだった。
「うん、頑張ります。……ねえ、君の名前は?」
彼女に話しかけられ、とっさに目をそらす。
僕の名前、か。前の世界のものなんて忘れたいものだけど――
ゆっくりと彼女の目を見る。
「僕の名前は――仁尾創也」
この名前は好きだった。
「ソーヤ君。……よろしくね」
控えめに頷く。女の子と一緒なんて、初めてだし。
「もう一度聞くよ。……ここにきてしまったのは坊やの運が悪かったからだ。別に危険を冒す必要もない。それでもいいんだよ。本当に、いくかい?」
……怖いし、寂しいし、嫌だ。
でも、それ以外どうすればいいっていうんですか。
でも、それしか選択肢がないのなら、やるしかないんですよ。
「お婆さん――ところで、あなたは一体何ものなんですか」
「私が何者かって? ただのお婆さんだよ。雪山に住んでいる、優しくて物知りで寂しいお婆さんだよ」
そういうんだったらそうなんでしょう。
「……おばあちゃん」
「リース、行きなさい。この時が来るのはずっとわかっていたのでしょう? 別れはいつだってある。今生の別れになったとしても、進むことをやめてはいけないんだよ」
今生の別れ――二度と会うことがないということ。
……少しだけの出会いで、もう一生で会うことはないけれど、ありがとうございました。
じゃあ、行ってきます。僕は異世界で冒険してきます。