第三話
2018 1/5
「ふぁ・・・」
小さく欠伸を漏らして丸めていた体を伸ばし、目の端に溜まっている涙を払う。
いつの間にか眠ってしまっていたようだ。
寝起き特有の気だるさで、うじうじと目を閉じて横になっていると、生暖かいがざらざらした何かが頬を撫でる。
「ん、ぅ?くすぐったい・・・」
一体なんだろうか?と思って目を開いて頬を撫でるモノを見ようとすると、赤い舌べろが目の前にあった。それを見て一瞬固まり、恐る恐る視線をずらして今私を撫でてるものを確認する。
「うひゃ!?え、おお、かみ?」
とても大きな狼だ。小さなゾウくらいはあるんじゃなかろうか?ずっと私の顔を舐めていたようだ。
敵意は無さそうだけど、刺激しないように注意しつつ周囲の状況を窺って現状の整理をする。
今の天候は雨だけど、小雨。今の時間は早朝の頃だろうか?居る場所は大きな木の下。洞窟じゃない。周りに居るのは、傍にいる大きな狼だけ。私の持ってた荷物は無い。
・・・拉致された?いやでも、この狼があの洞窟に入れるかは微妙な大きさだったし、私が自分でここまで来た?どうして?思い出せない・・・って、そうだ!早く荷物を回収しないと!
「って、洞窟どこ・・・」
知らないうちにここに居たから、洞窟がどっちにあるか分からない。
見覚えもないし、周りの風景を見る限り洞窟からは距離がありそうだ。
それでもめげずに地面に鼻を近づけて、自分のにおいを頼りにして元の道を辿ろうと周囲を嗅ぎまわる。
しかし、昨日の雨でほとんどにおいが流されて分からない。
それでもめげずににおいを探していると、急に体が宙に浮く。
「わきゃ!?狼さん!?」
狼に首根っこをくわえられ、狼は私を器用に背中に乗せるとそのまま歩き出す。
「えっと、狼さん?」
てちてちと背中を叩いてみると、狼は私の方を向いて一つ鳴く。
なんとなくだけど、連れて行ってくれるみたいだ。足もまだ本調子じゃないし、このまま連れて行ってくれるというならとてもありがたい。感謝の気持ちを込めて、「わん」と鳴くと、狼も返してくれた。
狼にのせてもらって運ばれること三十分、私が居た洞窟に戻った来た。
狼に下ろしてもらうと、つれてきてもらったことにお礼を言う。
狼はプイッと顔を背けて座ろうとしたが、すぐに立ち上がって洞窟に向かって唸りだす。
「グルルル・・・」
「え、え?何、何?」
洞窟の中に何かあるのだろうか?洞窟の中へ意識を向けてみる。念のためにすぐに動けるような態勢で。
「何か居る・・・?」
洞穴の周辺は雨で妨害されて分かりづらいが、獣の臭いが洞穴の辺りに残っている。でも、私が洞穴にいた時には確かに獣の臭いは無かった。
でも今は、洞窟からなんらかの獣の臭いがする。
懐剣を取り出し、暗い洞穴の中を注視する。
隣の狼が威嚇するように数回吼えると、中から巨大な何かが身動ぎをしのそのそと洞穴から出てきて姿を現した。
「く、熊だ・・・それに大きい」
大きな熊だ。立ち姿は私の二倍くらいありそう。
熊であろうとも、万全ならどうにか倒せる。しかし、私の足が万全でない以上あの熊を倒すのは難しい。どうにか追い出すことは出来そうだけど、かなり骨がおれそうだ。
熊は懐剣を構える私と唸る狼を睨み据える。特に体の大きな狼に意識が向いており、警戒しているようだ。私に対する警戒が薄いなら好都合だ。上手くいけば隙を突いて追い返すことが出来そうだ。
「ふっ!」
呼吸を整え、一息に熊に迫るとナイフを一つ熊の右目に投げつつ、懐剣で左手を傷つける。
懐剣では切れ味が悪く左手の浅い傷をつけるに留まったが、ナイフは目に深く突き刺さった。
「グルァ!!!」
熊は右目を潰されて怯みながらも、両腕を滅茶苦茶に振るい私を遠ざける。
距離をとって少し様子を見てみるが、逃げるそぶりを見せない。このまま私達と戦うつもりのようだ。
足の負担を考えると、すぐに追い払いたいんだけど・・・タフだ。それに右目を潰されて怒り狂ってる。
此処までつれてきてくれた狼と一緒に戦えばいいだろうけど、ここまでつれてきてくれた恩があるから私一人でどうにかしたい。あの熊と戦えば狼もただじゃすまないからだ。
熊の意識が私に向き、熊へと飛び掛かろうと隙を伺っている狼に手を出さないでほしいという気持ちを込めて一声「わん!」と鳴きながら、懐剣を構えて熊と対峙する。
熊と戦い始めてからしばらく経ち、熊の攻撃をかわしてカウンタをくわえるということを繰り返して、大分疲弊させることが出来たが、熊は退くことをしない。より猛っている。
このまま戦えば倒せるだろうが、厳しい。少し前から急に雨が強くなってきて足場が悪くなってきた。そのせいで、危うく滑る事が多く堪えるために足に大分負担が掛かっている。それに元々体力は多くないというのに、戦い続けていたので大分息が切れてきた。
「ガァッ!」
「はぁ、はぁ・・・まずったなぁ・・・」
私が弱ってきているのも、熊が逃げない理由なのだろうけど早くどっかいってほしい。
普通、熊なら最初の攻撃で逃げるはずだろうに、ここまでしぶといのは何かあるのだろうか?とはいえ、考えてる余裕は無い。
「もう、私のこと、諦めればいいのにさ!」
「グルルァ!」
振るった右腕クルリと回って、避けたついでのように右腕を切りつけたが、パキッという変な音と違和感が手に残った。パッと後ろに跳び退ってちらりと手の中にある懐剣を見る。
「お、折れた!?」
しまった、この懐剣は一年以上使ってるけど、川に流されたり兎捌いたりと手入れ無しに酷使し過ぎた!
根元からポッキリと折れてるじゃないか!
今持ってる武器ってこれしか無いんだけど!?
持っていたナイフは戦う中で使い切っちゃったし・・・。
「っ!?」
私が動揺していても、相手は待ってはくれない。噛み付こうしてきた熊を跳び退ってかわすと、鼻面に折れた懐剣を投げつける。
一瞬だけ怯むが、それだけだ。だがその隙に折れた刃を拾う。
「グガッ!」
「ナイフは、無いし、この攻撃を受けたら私のことを諦めて!」
冷静に熊の動きを把握し、確実に視界を奪うために残った左目目掛けて全力で投擲する。
正確に熊の目へと飛んで行った刃は、見事に左目に突き刺さる。
「ガアアアアアアッ!」
だが、両目と鼻を傷つけられ、体中に浅いとはいえ無数の傷を負った熊は先ほどとは比べ物にならないくらいに暴れ狂う。めちゃくちゃに暴れるせいで余計にかわしづらいが、どうにかかわし続ける。
「あわわ・・・やば!」
どうにかかわしつづけるが、それも長くは続かなかった。
雨が降り続け、地面は泥だらけ。しかも足も痛い。どうにか起死回生の手段は無いものかと考えながら動き続けていると、泥濘に足を取られてしまい転んでしまった。ついでに後ろに生えていた木に頭をぶつけ、痛みに悶える。その隙に熊は私との距離を詰める。
「やだっ!」
もう駄目かと思い反射的に頭を守ろうとすると、嫌な予感がした。
予感に従い、視線は空に向うと、空には稲光が走っている。嫌な予感がますます高まる。
これはまずい!と思い、熊の事も考えず地面の泥濘に足を取られながらも横に跳ぶ。が、動きが遅かった。次の瞬間空が真っ白に光る。
空が光ると同時に今まで静観していた狼が熊の首元に噛み付いていたのが、一瞬の光でも鮮明に見えた。
雷はすぐ近くの木に落ち、雷が木を伝って地面の水溜りを通して広がる。
「っぁ、ああああああああああああああぁ!?」
周囲に肉の焦げる、焼けるような臭いが漂うと共に、足に凄まじい、焼けるような激痛が走る。
熊も狼も私も、全員がびしょ濡れになっていたから余計に電気が伝導しやすい。
近くでどさっという音が聞こえるが、足に走る激痛に耐えるように歯を噛み締め、固く目を閉じることしか出来ない。
焦げ臭いような肉の焼けたような臭いがすぐ近くから漂う。だが、気にする事ができない。
途切れることの無い足の痛みにより、だんだんと意識が薄れていく。
どうしようもない。
「たす、けて・・・」
足の痛みにハッと目覚める。
きょろきょろ周りを見ると、鞄が手元にある。私が昨日見つけた洞穴のようだ。
今朝同様移動した記憶が無い。呆然とするが、意識しないようにしても足に走る痛みを無視し続けることが出来ない。足に目を向けてみると、太ももから下に、無数の火傷、裂傷、切り傷が出来ている。
すぐに治療しなければと思い、鞄から薬を取り出そうとすると、何かが身じろいだ気配がした。
気配がした方向に目を向けると、血だらけの狼が浅い呼吸を繰り返して倒れている。
「狼、さん?が、助けて・・・くれた?」
ありえない。でも、私が移動できるとは思えない。それに、私が移動した記憶が無いときにこの狼は一緒に居た。それは事実だ。
狼を呆然と見つめているうちに、この狼の重傷具合が見てとれた。狼も雷に巻き込まれたのだろう。傷の具合は良く分からないが、このままでは命を落としかねない。
命を落とす・・・その事に言い様も無い恐怖が沸き起こる。
「だめ、やめて・・・」
慌てて救急道具を取り出し、狼の治療に取り掛かる。
足の怪我があるので、立ち上がることも座ることも出来ない。這ってでも横に移動して、詳しく傷の状態を見る。
出血と火傷が酷い。手持ちの道具では十分な治療はできない。応急手当が精々だ。それでもやらないよりはマシだ。
さっそく傷の手当にとりかかる。
一通りの手当てが終えて、まだ何処かに傷の見落としが無いか調べていると、狼は身動ぎして立ち上がろうとする。
「ダメ!安静にしてて!」
慌てて狼に抱きついて横にしようとするが、体格差があって負けてしまう。狼は私を乗せたまま、ふらふらと洞窟から出て行く。
洞窟から出てきて私を乗せた狼がたどり着いたのは、今朝目覚めた大樹の下だ。狼は大樹の下草をむしると、私の足に被せる。この草は火傷に効く薬草だ。
「自分の治療をしろって・・・?」
狼はパタパタと尻尾を振り、一声鳴くと、横になる。
「・・・ありがとう」
正直、私も限界が近かった。相当血が出ており、もしかしたら私の命も危なかったかもしれない。
私の足の治療をしながら、どうして狼の治療を優先してしまったのか考える。
・・・。
分からない。ただ死んでほしくなかった。
ふと、狼の瞳が目に入る。瞳の色は私やお母様たちと同じ紅い眼。たぶん、瞳の色が同じだからだろう。奇妙な仲間意識がある。
すこし胸のつっかえが取れたきがした。
私が納得していると、狼は私に手を止めるなと言うように、がうっと吼える。
一時間ほどで私の足の治療を終える。
私の足は包帯でぐるぐる巻きの状態だ。救急道具に包帯が大量に入っていなかったら、もうなくなっていただろう。だが、薬がもう僅かだ。包帯も、もう一度包帯を巻きなおす分しか残っていない。
「これで、様子を見るしか・・・ねむ・・・」
治療を終えて、緊張の糸が途切れたのか強烈な睡魔が襲ってくる。先の熊との戦いで体力を消耗した私に、睡魔に抗うことは出来なかった。
目覚めたときには狼は居なかった。足取りとなるにおいは残ってはいたが、追おうにも足の怪我で出来ない。諦めて大樹の下草の薬草を使い、足の治療に専念した。
しかし、足の怪我は酷く、暫くは動くことはままならず食料は三日たつ頃に底をついても十分に動くことが出来ず、ようやく動き回れるようになったのは約一週間後。それでも杖をつきながらで、足の怪我の悪化を考えるとまともな狩りが出来ず、蛇を食料としてじっと回復を待つ。
それでも一人である事と、怪我の酷さ、食料が不足したことによる体力の低下と高熱とが相まってだんだんと精神が磨り減っていく。
今日も足の治療を終えると、ぼんやりと空を眺めていた。少し前まで雨が降っていたけど、今は快晴の青空となっている。
今だけの青空が少しだけ憎く、また雨や嵐が来ることにとてつもない恐怖を覚える。
目の前で爆ぜる焚き火で暖を取り、何時この日々が終わるのかをぼんやりと考えていると、唐突に首に強烈な痛みと熱が起きる。
「あぐっ、ぐぅ・・・あっつ、いた、い・・・」
焼けるような痛みだ。雷に打たれたときとはまた違う痛みだ。
痛みがだんだんと全身へと広がっていく。
「いた、い・・・いだい。やだぁ・・・」
涙が目から溢れる。
痛みからどうにか逃れようと暴れるが、苦痛はどんどんと大きくなる。
「おおかみ、さん・・・たす、け」
首筋に走る痛みは手足の先にまで広がり、体内が溶けるような、体内に何かが出来るような異様な感触を感じながら、意識が遠のいていく。
私の体が動く。
意識は朦朧としていおり、なぜ動いているのかわからない。しかし、私の意識とは違い体はしっかりとした調子で杖を支えにして、いつの間にか鞄を肩に掛けた状態で、森の中をゆっくりと何処かへと歩き出している。
足は怪我をしているはずだが、痛みは無い。
夢なのだろうか?しかし、妙に現実味がある。
記憶は途切れ途切れ、天気や風景が気づくたびに違うので、数日、数週間になるだろう。
体はボロボロになり、それでも歩みを止めず。そして、私は――
茂みの中ではっきりと目が覚める。
ずっと眠っていたかのような気だるさがあるが、意識は確かだ。
それと同時に体中に痛みが一挙に押し寄せてくる。
乾いた喉からは悲鳴も出ずに乾いた呼吸のみがでる。
しばらく痛みに耐え、せめて今どこにいるのかだけでも確かめようと茂みから這いつくばって身を出す。
見えたのは街道だ。
古く放棄されたものではなく、整備された大きな街道だった。
何時の間にこんなところまで来ていたのか、驚きを感じながらも人の気配を感じる。
気配の方向を見ると、人の影が見えた。
「っ―――ぁ、ぇ!」
助けを求めようと声を出そうとするが声が出ない。
長く水を飲んでいなかったからか喉が枯れてしまった。
朦朧としていて自覚が無かったが、既に体は限界に近い。
だんだんと視界が霞んでいく。
恐い、嫌だ、暗い、助けて・・・。
遠のく意識の中、三人が駆け寄ってくるのが見えた。
◇ ◇ ◆
イシスの町へと続く街道を二人の子供と保護者らしき男性が共に歩いている。
男性と背の高い少女は褐色肌と栗色の髪、碧色の瞳を持っており、もう一人の子供は白い肌と黒い髪を持っている。
「町が見えたな。もうすぐ着くが、二人とも大丈夫か?」
「はい、大丈夫です」
「こっちも大丈夫。でも早く休みたいよ」
「町に着いて目的の宿を取れれば好きなだけ休め。シャナンには此方の進展しだいで協力してもらうが」
シャナンと呼ばれた黒髪の子共は男性の言葉を聞いて顔をしかめる。
「言っとくけど、俺は戦えないからな」
「それくらい分かっている。ノレッジも戦わないからな。一先ず町に着いたら俺が居ない時は宿に居るようにしておけ。特にヴァイシャは宿から出るなよ」
「分かっています。今回私は出来ることは少ないので、大人しく宿で調合でもしてます」
「言えば必要な物は買ってくる」
「ありがとうございます、お義父さん。お願いしますね。イシスの町なら珍しい薬草がありそう・・・あれは?」
「どうした?」
ヴァイシャと呼ばれた少女は道の先を指差す。
「何か見つけたか?」
「はい。あそこの茂みに・・・人、子共でしょうか?」
「子共だと?」
ヴァイシャにお義父さんと呼ばれた男性はシャナンとヴァイシャは後ろに回し、ゆっくりと子供の居る茂みへと近づいていく。
そのまま茂みの前に来ると、倒れている子供を引きずり出す。
「・・・確かに子供だ。この髪の色、亜人だな」
「どうして此処に・・・息はありますが、がかなり弱っています」
「獣にでも襲われたか?いや、足に包帯を巻いているな」
「まだ息があるならすぐに町に連れて行けば助かるんじゃないか?急ごうよ」
「ダメだ。無理に助ける必要も無い」
「いやでも・・・」
「助ける余力はあるが、この怪我だ。面倒を見る余裕も無いし、この足だ。治ったとしても障害が残りかねん。そんな子共預けることができる相手もいない」
「ちょっと待ってください、首の所を見てください」
男性は助けることに難色を示すが、少女の状態を診ていたヴァイシャは少女の後ろ髪を上げてヴァジュラに首元を見せる。
「この痣、まさか・・・」
「これで助ける理由になるでしょう?」
「分かった。・・・シャナン、俺の荷物を持ってくれ」
「うん。ごめん、なんか俺がわがまま言い出したみたいで・・・」
「かまわん。思った以上のひろいものだ。荷物は持てるな?」
「うん」
「急ぎましょう。すぐに治療を施せば助かります」
男性は子供を抱え、シャナンは男性の荷物を背負い、三人は足早に町へと急ぐ。
改稿前と内容が大分変わってます