りびんぐでっと!
九割。人はこれほど多くのものを外見だけで判断されてしまうという。
だからこそ、白を通り越して青い色をしている自身の顔を自覚していた彼女は、せめてものあがきで姿勢を正した。ぴんと伸びた背筋は、しかし一瞬と間を置かずにふらりと揺れ、元のように俯いてぼんやりと地面を眺める無気力な姿勢へと巻き戻る。
色々な事柄をどうやっても見た目で判断されてしまうこの世の中では、そんな女の評価は推して知るべしであった。
しっかりしなきゃ。
言い聞かせるように呟いたはずの声が、その耳に届くことはなかった。
ふと意識を向ければ、真っ直ぐに歩いているはずが、すぐ脇にあったはずの壁が、大分遠いことに素直に驚いた。手を伸ばさずに届いていたはずなのだが、今では手を伸ばしても届くそぶりもなかった。
そういえばここは何処なのだろうかと、薄暗い石畳に覆われた通路を見渡す。同じところを回っているのだろうか。真っ直ぐに歩くことさえ困難な中さらに道に迷ったと自覚したのはいつだったろうか。生憎と彼女は覚えていない。
「まるでRPGに登場するダンジョンみたい」知らず浮かんだこの考えを嘲笑う。自分の名前もよく覚えていないのに、変なことばかり記憶に残っていることが可笑しくてたまらないと言わんばかりに。
霧が掛かったような鈍い頭に浮かぶのはアルファベットのAの文字。Aから始まる名前だった。気がする。ついでと言わんばかりに思案して、そしてすぐにどうでもよくなって思考を放棄する。名前などなくとも案外どうとでもなるのだから、無理に思い出す必要性は生憎となかった。
「逃げろ!」
道に迷ったときにはその場を動かないほうがいいらしい。
ツテがあるのならばそうしただろう。けれど残念かなアテさえないのだからじっとしていても始まらない。
右手の法則。迷路で迷ったら壁に右手をつけて歩けば時間は掛かるが攻略が出来るといわれている。けれど壁伝いに歩いていたはずがいつのまにか通路の真ん中をふらふらするようではこれもまた実践できそうにもない。
どうしたものかと、その場で前後に揺れながら彼女は考えた。真っ直ぐ立つことさえ出来ない自身の身体がただただ恨めしかった。そんなんだから就職にあぶれてブラック企業なんかに捕まってしまうんだ。自分がどんな仕事をしていたかなんて碌に覚えてもいない癖に言葉は自然と続いた。
見下ろした自身の身体は黒のジーンズに黒のセーターと黒尽くしだった。もしかしたら何処かの悪の組織員だったのだろうか? 違うと言い切れるが、少しくらい期待しても罰は当たらないだろう。生憎と私服であろうこの服ではそれくらいのちんけな想像が精一杯なのだからと、おそらく季節が秋から冬であったろう何処かの場所では赤い花が咲いていた。
「こっちだ!!」
俄かに騒ぎ出したダンジョンのたぶん真ん中あたりで、彼女は現実逃避を全力で行っていることに気がついたが、つとめて無視をすることを同時に決意していた。
遠くから響く切羽詰まった声を聞く限り、さきほどすれ違った骸骨騎士のスケさんあたりにでも出くわしたのだろう。おそらく性別が彼であろうあの骸骨は、この場所きっての高レベルモンスターであることからして、悲鳴の音源である名も知らぬ冒険者達では彼らが英雄クラスか勇者クラスでもない限りはおそらく。
「くそ! シエル!!」
「おい! やめろ逃げるんだ! 早く!」
「でも、でもシエルが」
シエルさんがどこの誰かさんかはもちろん知る術さえないのだが、さっそく一人ご臨終してしまったらしい。いや、もしかしたらまだ生きているかもしれないが時間の問題だろう。静かに形ばかりの黙祷を捧げつつ彼女はよろめいては壁を目指す。
喧騒がドップラー効果よろしく近づいてくる。通路のど真ん中で棒立ちになっていてはさぞ邪魔だろう。彼女という障害物があろうがなかろうが彼らの辿る道は一つしかないのだが、そこは気分の問題だ。共犯者になるよりかは目撃者のほうがマシなような気がしたのだが、はてさてこれがもしも二時間サスペンスだったとしたら……結局は両方殺されるであろうことからして意味はまるでなかった。見知らぬ冒険者の末路よりも可愛い自身の末路を真剣に心配するべきかもしれない。
「えっ、あれって……」
「お、んなだよな?」
早くも避けることを諦めて、睨みつけた通路の向こうからは四人の男が駆けて来るのが見えていた。そのさらに後ろに目を凝らすが、スケさんはいない。シエルさんとやらが最期の力でもって凌いでいるのだろうか。これが噂の俺の屍を超えていけという奴なのかと思うと感慨深くさえある。もしかしたらシエルさんとやらは「このダンジョンを踏破したら、そしたら今度は君を攻略させてくれないか?」などというフラグを立てていたのかもしれない。もちろんのこと彼女の想像の中でだけなのだが。
「馬鹿なこと言うなよ! ここ、何処だと思ってんだよ?!」
「あんな軽装で、こんな奥に、ありえない」
大分手前のほうで急停車した彼ら一行はしきりに後ろを気にしながら、頭を抱えている様子だった。
前の虎か。後ろの狼か。迷わずに前を選択していたのならば、もしかしたら彼らの運命は変わっていたのかもしれない。もしも、その結果は誰にもわからない。
「おい、どうするんだよ!?」
「進むしかないでしょ!? それとも戻る?! 今ならシエルと一緒になれるかもよ!」
「やめろ! シエルなら大丈夫だろ?! 後から追いつくって約束したんだから……だから信じろよ」
大声でなにやら急ピッチでフラグを建設する彼らを見て、深いため息を吐く。
私なんか無視してればよかったのにね。
送った言葉は既に過去形だった。後ろ! 後ろ! どこかのコントのように声を大にして叫びたかったのだが、唇から零れたのは「ぅ……」残念なことにもうめき声だけだった。
息を大きく吐き出す。ため息一つで幸せが三つ逃げるのならば、目の前にいる彼らは此処に至るまでに一体どれだけため息を吐き出したと言うのだろうか。
「……シ、エル。すまな」
目の前で繰り広げられた一方的な光景は、虐殺と呼ぶに相応しいのだろう。光が失われる直前、血と一緒に誰かの口から零れたのは謝罪の言葉だった。
此処に来て、彼女は目の前の冒険者の名前を姿かたちもわからぬシエルさん以外知らなかったことに気がついたが、もはや関係などあるまい。名を呼んでも彼らが返事を返すことはもう二度とない。
「スケさん。相変わらず格好付けまんだよね。微塵も似合ってないけど」
無駄に芝居がかった仕草で、剣に付いてもいない血を払う動作をする骸骨に無言で見つめられた彼女は、首を竦めてから仕方ないと大きなため息を吐いて、面倒くさいという思いを隠そうともせずに言葉を出した。
「相変わらずアミ嬢は手厳しい。外では娘さんたちから黄色い声を頂いたものだというのに」
空気が口から零れ、骨がカタカタと音を出し、けれどそこに言葉は存在しない。
魚のようにはくりと口を時節動かす彼女、アミからも。カツカツと上下の顎をあわす骸骨、スケさんからも。音は聞こえるが言葉はなかった。
思念を飛ばしているんだよ。いつか光の玉のような謎の物体にアミはこの不思議な現象の答えを聞いたのだが、それはつまるところどういうわけなのさ? と、質問攻めにして未確認飛行物体なその存在に苦手意識を植え付けていたなど、もちろん知ったことではなかったりする。
「そもそも、私アミじゃないって。たしかにAから始まる。気がするけどさ」
「アミ嬢が私のことをスケさんと懇意にしてくれるのですから、こちらもそれに答えねばと思いましてね」
「スケルトンだからスケさんであって、私からしたら個別意識してる気は微塵もないけど」
アミ。と、そう呼ぶ目の前の骸骨は、しかし自身の知る“スケさん”なのだろうか。スケルトンでありさえすれば、それがたとえ色が違おうが性別が違おうが亜種だろうが“スケさん”と呼ぶであろう彼女のことを、勿論骸骨騎士も理解していた。このダンジョンには自分と同じ存在が多数いることも把握していた。けれどもアミが“スケさん”と呼ぶのは自身だけなのを彼は知っていた。だからこそ彼は彼女をリビングデットと呼ばずに“アミ”と。そう呼ぶことにしたのだ。Aから始まるという彼女の名前を彼なりに真剣に考えて。結果本人からは「昔の彼女の名前? それとも初恋の君? これだから男は」酷い暴言を頂く羽目となったのはいい思い出なのだろう。思い出すだけでないはずの眼球から涙が零れるのだから、それはそれは麗しい思い出に違いない。
友達。とある言語でアミというのはそんな意味を持つ。骸骨騎士はこれを彼女に伝える気は最初からないのだが。もしもアミがその事実を知れば、もしや貴様リア充か?! 爆発すればいい! と笑顔で言い放つのだろう。
「ところでアミ嬢、本日は何故こちらに?」
ぐちゃり。響く粘着質な音は彼の背後から。倒れた冒険者に群がる影が自然の摂理なのだと、言い聞かせたところで恐怖は消えない。
アミ嬢? 不思議そうに問いかける声を無視して、彼女は指を拾い上げる。原型を留めずに床に咀嚼されていく様は何度見ても不思議な光景を作り出す。底なし沼のように沈んでいくときもある。今のように明らかに“何か”が食べているときもある。モンスターが頭から美味しく食べて骨が残ったときは、外の天気は槍でも降るのだろう。大事に持ち上げた指を見つめる。
「あぁ、失礼。アミ嬢のために残すべきでしたね」
「私偏食だから、食べないけど」
「リビングデットは脳がとくに好きだと、今度は気をつけます」
口に運ばないのを不思議に思ったのか、私としたことが! 酷く申し訳なさそうにスケさんが頭を下げた。謝罪のつもりなのだろう。大げさなその動作が道化じみていて馬鹿にされたようにしか思えずとも。
命を失ったものはこの場所に食べられてしまう。最も生きながらにモンスターに食べられることを思えば、そちらのほうが幸せなのかもしれない。けれど、モンスターに食べられたのならば装備品は残る。存在していた証は残る。逆に言えばこの場所に食べられてしまえば何も残らない。それこそ彼らがやってきたという記憶さえ残らない。
「ところでアミ嬢。その指はどうされたんですか?」
骸骨騎士が首をかしげた。目の前で拾ったでしょうが。冒険者をついさっきアンタ倒したでしょうが。ハリセンでその如何にも軽そうな頭を叩きたい衝動に駆られながらもアミはため息一つで諦めた。ここで生まれたわけではない彼女以外、場所に食べられてしまった冒険者のことは食べ終わった時点で皆忘れてしまうのだから仕方ない。覚えているとすれば、この前食べた奴は不味かったなぁ、その程度でしかない。
たぶん、この場所が経験値として吸収しているのだろう。この場所に吸収されればそれは全て還元される。冒険者を倒した事実は記憶に残らずとも反映はされている。言葉での説明はこれが限界ではあったが、彼女はそう解釈することにしていた。結果ではなく過程を欲する。理数系の研究者にままいるタイプである。
誰の指かはわからぬ指からそっと指輪を抜き取る。足元に落したはずの指はすでに見当たらなかった。誰の立てたフラグかは知らないが指輪には”愛を誓う”の文字。永遠と続かぬ時点で全てを覚悟していたのだろうか。想像することしかできない。
「スケさん。ところで此処は何処?」
「スレイの地下七階です。こんなところでお会いするとは私も思いませんでしたよ」
物に執着するのは、生に執着する代償行為だと既にアミは気がついていた。リビングデット。生ける屍。わかりやすく言えばゾンビだ。
ウイルスだろうか、化学兵器だろうか、何故ゾンビになったのかはわからない。何故ダンジョンのような建物に居るかもわからない。結果しかないその状況ゆえに彼女はあえて過程にこだわるのかもしれない。ないない尽くしのその身に残る最後の残滓がアミという人格だったと考えればよけいしっくりとその考えだけが馴染んでいく。
「そっか、そりゃ見たことないわけだ」
「もしかして迷われたのですか?」
「うん。初めからずっと」
辺りをゆっくりと見渡してから、そういえばどこに行こうとも結局風景に代わり映えはないことを思い出したアミだったが、よくよく観察してみればたしかに雰囲気のようなものが違って見えた。なるほどこれがプラシーボ効果と言う奴か。訳知り顔で頷くスケさんを視界に納め彼女はひとつ息を吐く。えぇ、迷子ですとも。それも世界さえ超えていそうなね。心で続けた言葉にしかし首を傾げる。記憶がないのにある。この身体にまとわりついている残滓がこういうときだけは邪魔でしかたがなかった。アミと呼ばれる名も知らぬ少女の思い出。それは本当に私のことなのだろうか? 首を傾げて、けれどそれ以外に何も残っていないことを理解して、そして彼女は結局いつのも結論にたどり着く。
「まっ、いっか」
表情筋が動いたのならば、清清しい笑顔を浮かべていたことだろう。生憎とゾンビでしかない彼女は虚ろなまま遠くを眺めていたのだが、小さくサムズアップしている右手のなんとそぐわぬことだろう。物事を楽観的に捉えすぎるようになったことを彼女が嘆くことはない。一に食欲。二に食欲。百までいこうが億までいこうがどこまでいこうが食欲以外を考えないのがゾンビなのだから。
書きたいところを書きたいようにやらかしました。たぶん俺TUEEEな成り上がり系になっていたらいいなぁと思いつつ続きはありません。誰か続きを書いてくry