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神伝奇譚  作者: 雲仙嶽
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天狗将軍(二)

「で、吾妻はどういうところだった? 」

「あ、どうも…… ええ、なかなかいいところですよ。 人は素直ですし、小なりとも社が最近できまして」

 もうほろ酔い気味の若宇が、まだまだ素面の永寿の杯に酒をなみなみと注ぐ。 その代わりかは知らないが、土産話をせがむ。 その離れの主人が母屋から戻ってきた時には、もうそんな様子だった。

「私がいないってのにもう飲んじゃって」

「あらおかえり八千代。 先に頂いてるわ」

「あ、頂いてます」

 床に遠慮なく転がっている空いた酒器を押しのけ、自分の尻を置くための場所を確保してから、庭へ繋がる戸を上げた。

「まだ月見には早いわよ」やや赤くなりながら吟醸を干す少女が声を上げた。

「こんな暑いのに閉めてられるのはおかしいわ」

 そう返し、二人の客人の目の前に腰を下ろした。

「で、あなたが飯綱永寿さん……」

「いやいや、永寿と呼び捨てでいいです」

 僅かに微笑みながら、袈裟懸けの山伏姿の女性は言った。

 飯綱永寿は、腰まで届こう黒髪がまず目立つ。 道ですれ違った男は、はっと振り返させられるかもしれない。 その長髪を後ろで一つに纏めている。

 およそ無駄な肉というものは少なく、背丈は立ち上がれば、五尺七寸(大体172cm)ほどはあるだろう。 表情は優しげだが、目は切れ長で、鼻筋や口元は引き締まっている。

 酒が入って、頬に若干赤みが差しているが、いつもはもう少し色白なのだろう。

「この酒喰らいの昔の部下っていう風に聞いてるんだけど」

 すっかり日の落ちた庭を眺めながら、勢い良く杯を傾ける少女を顎で示して言うと、永寿は静かに頷いた。

「だいたい天平の頃でしたか、若宇さまに吾妻を征服するよう言付かりまして、三百匹の狐たちと共に京を去ったのです」

「吾妻を征服って、あなたそんなことやろうとしてたの?」

 おっさんくさい様子でひたすらに飲んでいる少女に水を向けた。 が、とろんとした目を見ると、もうべろんべろんに酔っているみたいだ。

「ええ、まあどうせすぐに忘れてたんでしょうけどね……」

 そんな主人を見て悲しげに微笑しながら、永寿も一杯の酒を干した。

「折角だし私ももらおうかしら、よっと」

 もうまともに座っていることもできず、ほとんど寝っ転がりながら酒を舐めている若宇を横目にして、足元に転がる安そうな酒を一本くすねた。

「京を去ってからはすぐに坂東に向かおうとも思いましたが、あの地の人々はなかなか難しかったので甲州に入り、ごく最近になって、私を信仰する人間も現れるようになりました」

 やや疲れたような遠い目で語り、再び杯の酒を干した。 随分と端折ったような語り口だけど、長いこと苦労を重ねているようだ。

「こんな狐撫でて酒飲んでるだけのやつの命令なんて無視しちゃえばいいじゃない」

 良い香りのする澄んだ吟醸酒を口に含みながら、そう提案した。 しかし永寿は頭を振りながら答えた。

「確かに自分の興味のあることしかしないような狐馬鹿ですけど、若宇さまには恩義があります」

 当の若宇はいつの間にか杯も手放して寝息を立てている。 肘を立てて頭を支えながら、障子に向けて寝返りを打った。

「それに私がなんとかしないと駄目なんですよ、この人は」

 そろそろ酒が回ってきたのか、永寿は赤くなった頬で、にやっと気持ちよさそうに笑った。

「さあ、私はあなたたちになにがあったのかは知らないけど、この神様が一人ではなんともできないのは確かね」

 いま心地よさそうに眠っている神様の、この離れでの散々な生活を思い出す。 常に誰かしらに尻拭いを押し付けて歩く、若宇はいつも、そんな暮らし向きなのだ。

「私のことはもう話しましたよ。 さあ、あなたはどういう御仁なので?」

 そろそろ酔いで気分が変わったのか、先ほどまでより悪くなさそうな調子で、杯に酒を注いだ。 醸造を重ねた酒の匂いが鼻をくすぐる。

「私はただの人間よ。 神様ほどの自慢ごとも武勇伝もないわ」

 素晴らしい透明の液体を含みながらそう答えるが、目の前の好奇心を持った神様が、そのような答えで承知するわけもない。

「それは卑怯ってものですよ。 私に喋らせたのだから、あなたもなにか喋らねば。 そうは思いません?」

 永寿は笑いながら言い切り、空になった杯をその場に置き捨てた。

「いや本当になにも無いんだけどね。 まあ強いて言えば……」

 すっかり暗い(とばり)が降りた戸の外を眺めると、遥か南に闇に満ちた夜の山が見えた。

「そこの酔っ払いに一発殴りを入れてやっただけの人間よ」

 若宇はもそもそと寝返りを打ち、そばに座す永寿の腰に顔を埋める。 一見、彼女よりずっと年上に見える女性は、嫌そうな顔も見せず、杯を傾けながら短く切り揃えた若宇の髪を撫でた。

「若宇さまに?」

 明らかな疑いも込めながら、そう聞き返す。

「何回もボコボコにされたけど、まあ要するに遊びに付き合わされたってことね」

 ほんの数年前のことを思い出し、まあ別にそこまでは言わなくてもいっかと勝手に結論付け、杯を再び(あお)った。

 宵は深くなり、外の庭の池には月の光が移り、そよぐ夜風で水面は揺れる。 京の都はもうすっかり夜の闇に満ちていた。

「そういえば、若宇さまに突然呼ばれて来たわけですけど、まだ事情を聞いてないんですよね……」

 寝込んだ一人を除き、二人で下らない話を肴に飲んでいると、永寿がそんな話を切り出した。

「やっぱりね…… 想像はついてたけど」

 大事なところでいい加減なことをするのが若宇だ。 彼女に言わせればまったく重要でないから手を抜いてるらしい……

「わかりやすくいうと、若宇でも手に負えない妖怪がいてね」

「若宇さまでも手に負えない?」

 にわかには信じられないようで、杯を運ぶ手を止めた。

「鬼、だけど、ただの鬼じゃない。 殺しても死なない、実力も普通の鬼よりずっと上。 そんなやつよ」

 あの白髪の、十を越えて幾ばくという齢の少女にしか見えない姿の鬼を思い出す。 若宇はあの鬼について私より知っているようだけど、どうせ教えてはくれないだろう。

「そんな妖怪が……」

 永寿は溜息混じりに考え込むようは仕草をして、若宇の方へ目線を走らせながら語を継いだ。

「でも、若宇さまにできなくて、私ならなんとかできるなんてこと、ないはずなんですが……」

「それ、どういうこと?」

 謙遜している風でもなく、ただ不思議がるような言い方だった。

「なにか意味があるのかはわかりませんけど……」

 燭台(しょくだい)上の蝋燭(ろうそく)に灯された火で照らされた永寿の顔は、もう庭の方に向けられていた。 月と星が見下ろす庭では、母屋に住み込んでいる下人が石灯籠に火を零している。

「教えてほしい?」

 永寿が盛大に酒を噴き出し、それが油断していた私の袖に引っかかった。 振り返ると、寝ていたはずの若宇が悪戯っぽく笑いながら、部下の頬を突ついていた。

「わ、若宇さま寝てたんじゃ……」

 口元を袖で拭いながら、永寿は呻き声を漏らす。

「狸寝入りしてたわけ?」

 顔は酒精分のせいで赤いものの、意識ははっきりしていそうだ。

「いいや、いま起きたとこ」

 よほど驚いたらしく、涙目になって床を拭いている永寿の背中にのしかかりながら、若宇は答えた。 どうやら彼女の陰口は聞かれていないらしい。

「八千代、言ってなかったけど、あの鬼からあなたに伝言があるのよ」

「……なに?」

 思わず身を乗り出しながら、酒器が散乱している床に杯を置いた。 その反応を嘲るように笑いながら、若宇は続けた。

「汝を見ている、精進せよ、ってさ」

「……で、後は?」

 若宇があの鬼の代理人であるかのように、その双眸(そうぼう)を睨み据えながら続きを促す。 が、その返答は期待外れのものだった。

「それだけよ」

「……それだけ?」

「それだけそれだけ」

 若宇の腕が永寿の首に絡みつき、さながらおぶさっているようになった。 永寿は大して満更でもなさそうに、再び杯を含んだ。

「あの様子だと、あなたに興味があるみたいよ。 出迎えの準備くらいはしといた方がいいわね」

「うーん……」

 精進せよ、なんて、もっと足掻けるようになれということなんだろう。 妖怪やら神様やらに興味を持たれることの危うさくらいは知っていた。

「あの、若宇さま?」

 永寿が背中に乗っかっている神様に少し赤い顔を向けた。 若宇は答えはしないが、きょとんとした表情で目を合わせる。

「なんで私は呼ばれたんですか? 若宇さまにはわけない相手のようですし」

「ああ、それはねぇ……」

 若宇は床の置き捨てられた杯を拾い上げて、徳利の濁酒を遠慮なく注ぎ入れながら言った。

「八千代に教えてやって欲しくてね。 妖怪との戦い方ってやつを」

 ちびちびとその酒を舐めながら、やっと永寿の背中を滑り降りた。 残念そうな永寿を尻目に、自分の定位置へと戻っていく。

「戦い方、ですか」

「確かに八千代は、妖怪だろうが神様だろうが恐れない。 それは大したものだけど、だからといって対抗できる力は無い。 恐れない、ただそれだけ」

 杯を決して口元から離すことなく、しかし冷静に評定を下している。 それも私についての。

「それはもう、私は人間だもの。 あなたみたいな連中には敵いっこないわ」

「ええ、だけど戦う術さえ知ってれば、妖怪風情はなんとでもできる」

 少女は一気に杯を呷り、ゆっくり顔を下ろして飲み込むと、杯を投げて捨ててしまった。

「でもその程度のことなら若宇さまでもできますよね?」

 永寿がそう口を挟むと、若宇は神妙に目を瞑って答える。

「これは永寿も人になにかを教えることであなたの更なる成長を……」

「かいつまんで言うと?」

「……私がやるのはめんどくさい」

「ですよね」

 主従の妙な三文芝居が終わった頃を見て、自分の盃を再び取った。 若宇の手元にある濁酒を奪い、少ない残りを全て盃に注ぐ。

「つまり、今更棒振りをやり直すわけ?」

 温かい酒を飲み込み、喉を通る酒精を感じながらぼやく。

「それは必要無いでしょう。 体はしっかりしてそうですし」

 胡座をかいて組まれた足先から脳天までをじっくりと見てから、師となる予定の神様は答えた。

「まあ、それは明日にでも話せばいいことよ」

 若宇は笑いながら別の酒を手に取った。 永寿はまた杯を取り直し、それから戸の外を示した。 月がちょうど離れの目の前まで登ってきたらしい。

 まだ宵は浅い。

随分と遅れて申し訳ないです。 会話回はここで終わり、次はまあまあそれっぽい話を用意してあります。

次回更新(目標) は概ね今月中旬です。 誤字脱字報告などございましたら雲仙嶽まで、感想など歓迎でございます。 それではまた。

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