表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
神伝奇譚  作者: 雲仙嶽
4/15

梛の大妖(一)

建久年間、弥生の鴨川

 二条大路は、京を東西に貫く巨大な道である。 その幅は朱雀大路に次ぎ、京を二つに分けている。 北は公家たちの邸宅ばかりであり、大内裏始め、(まつりごと)の府としての能力の中枢がある。

 南は多くの京の民の住まう、行ってしまえば人間たちの街だ。 と言っても、右京はあまり栄えず、専ら左京が民衆にとっての京の中心だ。

 寒い季節はもはや終わりを告げ、今や春、弥生(やよい)の時頃である。

「いい季節になってきたわね……」

 風は容赦無く吹き付けるが、身を刺すような冷たさはなく、いつもの直垂でも過ごしやすくなってきている。

「あら、私は冬もわりと嫌いじゃないわよ」

 そう後ろから口を挟んできたのは、これまたいつもの黄色い水干に身を包んだ少女、若宇である。 まあそれは神様に寒さも暑さも無いわけで。

「あなたはそうかもしれないけど、私は動きたく季節なのよ」

 そう言い返して、腰に差した太刀の位置を直す。

「まあ、私は雪遊びも花見酒もどっちも好きよ」

「まったく答えになってないんだけど」

 往来は、それなりに人々が行き交っている。 多くの人間は、外出の要があれば日中に済ませてしまう。 最近は洛中でも夜になれば物騒な状態だ。

 そんな事情で、二条大路は市女笠(いちめがさ)や直垂が、連れ合う者と喋ったりしながら、目的地に向けて歩を進めている。

「そういえば、宇治のあの二人とはどうしてんの? たまに遊びに行ってるみたいだけど」

 あの夜以来顔を合わせていない、偉そうな神様と、死なないお付きを思い出した。 たしか、居心地がいいと言って、あそこの山に住み着いたというのは聞いていた。

「一緒に飲んだり、殴ってみたりとかかしら」

「殺し合いも神遊びのうちなのかね……」

 なにか殺伐としているが、どうせ神様は死にもしないから、本当にお遊びに過ぎないのだろう。

「で、いまどこに向かってるの?」

 二条大路の果てが見え始めた頃、若宇が退屈そうに腕を頭の後ろに回しながら言った。 十代前半にしか見えない容姿と合いまって、つまらない外出に連れて行かれる子供にも見える。

「鴨川の東あたりね。 どうも怪しいことが起きてるみたい」

「怪しいこと?」

「色々だけど、主に猛獣に襲われたみたいに、建物とか木が薙ぎ倒されてたり」

 内裏さまからの情報だから、まさか嘘ではないと思うけど、ちゃんと見に行く必要があるだろう。

「今日は、狐は連れてきてるの?」

「いま五匹くらいそのあたりに行かせたわ」

 やっぱり仕事が早すぎる。 どうやって今の一瞬で連絡付けたのかは知らないけど、たぶんまともな手段ではないだろう。

 鴨川といえば、平安京の東限にあたる。 しかし社寺もあるし、右京の衰退から、それなりに人の移動もある。

「ま、力と暇を持て余した神様の仕業ってところかしらね」

 おそらく、最も妥当だと思われる推量を口にする。 最近は仏教の浸透が強く、暇な神様は多い。 それが、何かの拍子に退屈紛れで暴れたりするのだ。

「そんなとこでしょうけど。 会ってみるまでわからないわ」

 若宇はよく晴れた青い空を見上げて答えた。

 やがて二条大路の長い道は終わりを告げ、洛東の鴨川が姿を現した。 鴨川は賀茂川とも、加茂川とも言う。 古代より氾濫の多い川として天下に有名であり、かの後白河院も思い通りに行かぬと嘆いたと言われる。

 その源流は北の山間部の雲ヶ畑に求められ、鄙びたところである。

「…… 最近ここも氾濫とかないわよね」

 賀茂川の神が暴れた可能性も否めない。 しかし若宇は、

「こないだ一緒に飲んだけど、暴れてるような様子はなかったわ」

 と否定した。 それにしても酒の席が多すぎるような気もする。

 河畔についてまずしたのは、川の渡し舟を探すことだ。 幸いなことに、暇そうな老船頭をすぐに見つけたので、少々の報酬で乗らせてもらった。

 木造のやや古びた船が岸を離れる。 舳先に陣取った若宇は、川の水を掬ったり岸で拾った石を投げたりと、物見遊山でもしているかのようである。

 風で乱れる髪を抑え、向こう岸の方へと視線を移す。 京の盆地を覆う山々が眼前に立ちはだかり、雲の流れ行く空を切り取っていた。

 川幅は別段広くもなく、ほんの数分で東岸の桟橋へと降り立った。 船頭に幾らか銭を握らせると、船頭は笑顔で手を振って見送ってくれた。

「で、まずはどこへ?」

 水滴のついた手を払いながら、若宇が訊いた。

「最初は、一番遠いけど若王子(にゃくおうじ)かしら。 被害が大きいらしい」

 若王子は東の山の麓あたりであり、盆地の縁とも言える。

「へぇ、どれくらいやられてるの?」

「それがね、例のご神木の(なぎ)が折られたらしいわ」

 熊野権現を祭る神社は、梛の木をご神木としている。 梛の葉というのは(みそぎ)にも使われ、また、船乗りたちは(なぎ)として、願掛けのお守りにする。

 若王子も梛をご神木として、注連縄をしたりしているが、それが一夜のうちにへし折られたという。 特段風雨などがあったわけでもないらしい。

「梛を折る、さぞかし梛倒し、もとい薙ぎ倒しね」

 神様はおかしそうに笑った。

 若王子は、およそ二条大路から真東にある。 と言っても、距離としてはなかなか歩かねばならないが。 道の脇には侘しい小ぶりな民家が並び、開け放たれた窓から、目新しくはない調度が覗く。

 やや早足で歩くと、道の脇に、途中でへし折られた、太めの木の幹が転がっていた。

「どうも、やられたみたいね……」

 折られた箇所は腰の高さくらいで、切り口からは猛烈な力で強引に倒されたらしき、乱雑な殴打の跡があった。 膝をついて口に顔を近づける。

「斧か縋なんかではないわね。 もっと胡散臭い力の残り香がするわ」

 若宇が折れた口を触りながら言った。

「神力か妖力の類い?」

「でしょうね」

 (こずえ)は道の方ではなく、道沿いの田んぼに向けて広がり影を落としている。 どうやら、ほんの行きずりに倒して行ったらしい。

 特にこれ以上調べられそうもないし、立ち上がって鞘を差し直して、枝を手にしている若宇に行こうと促した。 特に反対するわけでもなく枝を手放して、道を再び歩き始めた。

「枝なんて要らないでしょ」

「さあ、もしかしたらなんか痕跡があるかも、なんてね」

 どうせ触るための口実だったんだろうけど。 道にはやや人がおり、それぞれのんびりと歩いている。 目の前を歩いていた男の影から、一匹の子狐が姿を現した。

「あら、もしかして……」

 驚きを口に出したところで、狐は駆け出して神様の足元に縋り付いた。

「いい子いい子」

 若宇は背中を掴むと、抵抗しない子狐を抱きかかえた。 狐は小さく短い鳴き声を発した。

「羨ましい?」

「いえ、別に?」

 自慢げというか、満足げに若宇が笑った。

 二人が気にも留めず過ぎて行った、なんのことはない民家の茅葺き屋根の上に、一人の少女がいた。 古びてよれた緋色の深衣を身につけているが、体に比して余分に大きな袖などは、風を受けて旗のように波を打っている。

「割と腕の立ちそうな神と、それっぽい人間…… 暇つぶしにはちょうどいい」

 過ぎ行く二人の背中を見て笑うと、次の風ががくるまでの間も無く、彼女は屋根上から姿を消した。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ