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神伝奇譚  作者: 雲仙嶽
2/15

宇治の青神(ニ)

 濁酒を含んで、やや顔を紅潮させている若宇(わけう)を連れ立ち、宇治橋のさらに南へと足を向ける。 商家は途絶え、田んぼと農家が宇治川に寄り添って並んでいる。

 百姓たちの日は短い。 灯りを洩らすところは無く、頭上の薄い雲を被った下弦の半月が、暗い畦道(あぜみち)を辿る頼りだ。 もっとも、京でもこの時間まで明るいところは、ごく一部だろうが。

「うーん、この酒はね、私の村の百姓たちが何ヶ月もかけてこさえた濁酒なのよ」

「うん。 知ってる」

「私、最近はなんにもしてあげてないんだけどね、まだこうやって持って来てくれるんだから、そのうち帰ってあげないと」

「うん、飲む度に言ってる」

 この少女、大層酒好きだが、けっこうすぐ回る体質らしい。 小さなお猪口をニ、三杯分含んだくらいだが、だいぶ酩酊(めいてい)しているらしい。

「それより、こっちで間違ってないわよね?」

「うん、祭りでもやってそうだよ」

 橋の袂で亡霊を退け、纏わりつくような禍々しさは失せた、が、あの武者たちが、何者かによって操られただけの人形なのは、まず間違いない。 問題はその黒幕の場所が、私には皆目わからないこと。

「そんなに疑わなくてもいいのよ」

「あんたは疑ってないけど、酔っ払いを疑ってるの」

 田んぼと言っても、もう米はとっく収穫されて、美しい金色の稲穂は無い。 剥き出しの土を見ながら、若宇は瓶子からお猪口に酒を注ぐ。 その足元に一匹の狐が擦りついている。

 まだ仔で、毛は生え揃っているが、寒そうに体を震わせて少女の足に張り付いていた。

「ほら、たまには八千代に構ってあげなさい」

 そう言って子狐を促し、盃を一気に干す。

「え? ちょっと、逆でしょ」

「んー?」

 その意を解したらしく、遠慮なく私の足元まで寄って来て、頭を(くるぶし)にぶつける。 思わずため息が漏れたが、仕方ない、腹を掴んで持ち上げ、抱えてやる。

「お似合いよ。 ふふ」

「はぁ?」

 何言ってんのよ、ちょっとこっち向きなさい…… そんな心の声は届くはずもなく、鼻歌まじりに瓶子を投げ捨てる少女の横顔を見つめる。 子狐は、小さな顔を顎まで持ってきて、無遠慮に舌で舐めてくる。

 両手は塞がってるし、無抵抗に顎や頬が舐めまわされる事となった。 後でこの借り返させてもらうわ……

 しかし、少しの間攻撃を耐えて歩を進めていると、ぱったりと攻撃が止んだ。 疲れたのかは知らないが、腕の中で眠りに落ち、寝息を立て始めた。

「その子は、私に負けて山の支配者から下りた妖狐の孫よ。 可愛いでしょ?」

 まだ手を付けていない瓶子を、ふらふらする手で取り出して、若宇が言った。

「……さあ?」

 鼻から寝息を漏らす子狐の顔を見て、ありのままの感想で応える。

「あーん、なんでよー」

「あなたが愛情注ぐのは別に構わないけどさ」

 別にそこまで動物好きでもないし。

 やがて、道の脇には雑木の木立が現れ、その木立は南の山まで続いているのが見えた。 若宇はその山の方へと、足を踏み出した。黙ってそれに従い、木の根が絡みついた地面へと歩を進める。

  飲み終えた瓶子が投げ捨てられ、月光を反射しながら、地面を転がる。 その転がった先から、狐がぬっと顔を覗かせた。 そして私と若宇の歩調に合わせ、間を歩く。

「……わざわざ死ににきたわけ?」

 少女が(にわ)かに足を止め、猪口を袖に仕舞って、来た道へと振り返る。 彼女のドスを利かせた声の後、連れ立っていた狐がそっちに吠えた。

「え? どうしたの?」

「あなたも鈍いわね」

 殺気、苛立たしそうに言う彼女の体から、人をして畏怖(いふ)せしめるなにか、便宜的には、殺気とでも呼ぶべきものが発露している。 そのピリピリした雰囲気に後退りしたが、それは自分に向けられたものでないのは確かだ。

 彼女の視線の先に顔を向けると、そこには、赤旗を掲げた武者、正確には亡霊が立っていた。 そいつは、自分が持っているものより長い太刀を、私たちに向けて構えている。

 目を引くのは、血に塗れた一匹の狐が、その足に食らいついていることだ。 しかし詮無きことで、それが亡霊に対して、何かしらの負担になっているわけではなさそうだ。

「三下の人形崩れが……」

 吐き捨てるように言い、足元の小さな石ころを拾い上げた。 どうも、本気で殺すつもりらしい。 酔いは覚めたらしく、いつもの顔色だが、表情が険しい。

 石を握り込んだ右手を、太刀を構えて仁王立ちしている亡霊に向けると、激しい音と共に親指で石を弾き飛ばした。 矢玉と化した石ころは、寸分狂いなく武者の左肩に命中、貫通した。

 亡霊が揺らめいた次の瞬間には、少女がその目前まで肉薄(にくはく)、左の拳が古びた太刀を叩き折る。 次いで膝が鎧われた下腹部に突き刺さり、その兜を頭突きでかち割った。

「重傷ね…… でもまだ助かるわ」

 一瞬にして無力化された武者は膝を着き、若宇はその破壊された像を無視して、息も絶え絶えの狐を助け起こす。

「えげつないわね……」

「興も冷めてしまったわ。 悪趣味な人形の持ち主に言ってやりたいことができたし、さっさと行きましょ」

 石ころの発射音で目覚めてしまった子狐を、この隙に下ろしてしまい、山へと踵を返す。 まったく恐ろしい神様だこと……

 それから、半刻ほど山を登り続けると、その頂きが見えてきた。 折しも、登っている間に現れた厚い雲が、月を閉じ込めてしまった頃だ。

 袖を紐で縛り、古い樹皮に手をついて一息つくと、水滴が頬に落ち、肌を濡らした。 上を見上げると、疎らな枝の間から、雲に覆われた空が覗く。

「雨?」

 地面に視線を落とし、怪我した狐を撫でる若宇のもとに、今日連れてきたという、もう一匹の大人の狐と子狐が集まっている。 彼女は、突然の雨については気にしていないようだ。

 やがて雨は勢いを増し、初冬の山の土を本格的に濡らし始めた。 木陰に隠れて雨をやり過ごそうとするが、風に乗って吹き込んだ横雨が、一張羅(いっちょうら)の袴を濡らす。

「女子供が、我々を探っているとな……」

 山の反対側の木立から、直垂姿の男が現れた。 身構えながら太刀の柄に手を掛け、一拳(ひとつか)ほど刃を抜く。 すぐにその男の背後から、四人の弓に矢を(つが)えた武者が現れる。 もちろん死した亡霊だろう。

「女子供、ねぇ。 気色悪い人形弄びしかできない死者に言われたくはないわ」

 その男は、太刀を佩いてはいるが、まだ脅威ではなさそうだ。 むしろ、その後ろの武者たちの方が、今のところは危険だ。

「死者、確かに。 しかし、気色悪い人形とな?」

 男は憤懣(ふんまん)を覚えた表情で、しかし静かに言った。

「知らぬとは言わせぬ。 我ら伊勢平氏、一度滅びたりと言えども、郎党を人形などと愚弄される謂れはない」

 平氏。 見てきた亡霊武者の赤旗で疑ってはいたが、どうやら合っていたらしい。 これでだいたいのことはわかった。 つまり、こいつをとっちめてやればいい。

「愚弄される謂れはない? ふん、それを言うなら私の郎党を傷付けられたことについては、なにかあるのかしら? 私の郎党を愚弄しているの?」

 若宇が嫌味たっぷりの笑顔を浮かべ、男に言い返す。 子狐と狐の二匹は、牙を剥いて平家武者たちを威嚇する。

「宇治橋で先に我々の武者を攻撃したのは誰か、それについて考えてほしいものだ」

 若宇と男は睨み合い、矢の狙いが彼女に向けられる。 若宇はそれを一瞥(いちべつ)し、一笑に付す。

「こっちも忘れないでほしいわね。 いいこと、あんたが数ヶ月も前から起こしてる幽霊騒ぎで、宇治の民も大層迷惑してる。 話は院にまで聞こえてるし、さっさと海にでも帰りなさい」

 童子切の太刀を抜き、男と武者に対して構えた。 間は数歩ほど、足場は良くないが、大股で踏み込めば刃の間合いだ。

「まあいいわ。 私の狐を傷付けた奴は始末しといたし、あなたの相手はそこの人間ね」

 少女はそう言って、山の闇に姿を消した。 また見物に決め込むつもりだ。 しかし男は、少女が忽然と姿を消したことに、目を白黒させている。

 まだ、今のようになって日が浅いから、奇妙な現象に慣れていないのだろう。

「さて、邪魔者はいないし、存分に死合うわよ。 私の名は一ノ鳥居八千代! あなたの名は?」

 夜の闇に負けじと、朗々と叫んだ。 男は、山に鳴り響く声が止むと、楽しそうな表情で応えた。

「我が名は伊勢の桓武平氏、維衡流の平重盛であるぞ。 よろしい、受けてたとう!」


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