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神伝奇譚  作者: 雲仙嶽
12/15

現る百鬼夜行図

「若宇さまー」

「んー?」

 渡殿をばたばたと走り、母屋へと向かう若宇さまを追いかける。 気付いた若宇さまは、生返事しながら振り返った。

 日の頃は丁度正午を回り、太陽が中天にて白く輝いている。 凄まじい熱気のなかでは、いつもの袈裟が若干暑苦しさを感じる。

「今日はお暇なんです?」

「特にやりたいことがないわ。 狐と遊ぶくらいしか」

 狐といえば邸のそこいら中で勝手にのんびりしている。 夏の暑さでぐったりして庭で水浴びしてたり、縁の下に潜り込んでじっとしているのもいる。

 若宇さまは、邸にいる時は見つけた狐を片っ端から撫で回していくのだ。 だから、懐いてるのもいれば避けるのもいる。 だいたいは逃げ切れないのだけど。

「そういうあなたは? 八千代はどうしたの?」

 母屋にずんずん入っていく若宇さまを追いかけて、塵掃除をしている下人たちを横目にしながら、垢が付いた板敷きの床を踏む。

「さあ、昨日の術に関して教えたのですが、疲れたといって部屋に篭ってます」

「術は術でも妖術でしょう? 人間だったら疲れるものよ」

 呆れたように手を振って答え、障子を引いて一室に入って行った。 その部屋は庭に北面し、正午近くには最も日当たりの良くなる場所だ。 開け放った蔀戸(しとみど)から若干の風が吹き込んでいる。

「で、なんの用?」

 若宇さまは畳にどっかと座り込んで、眠そうに大欠伸を一つして、猫のように身体を伸ばす。 暇なら眠くなる性らしい。

「それがですね、面白い話を聞いたんですよ」

「面白い話?」

 そうとさえ言えば興味を持ってくれるのがこの方だ。 面白い、という単語には滅法弱い。

「ええ、ほんの噂話ですが……」

「噂話なんてのは、暇つぶしにはちょうどいいものよ」

 若宇さまは日々暇つぶしの手段を探していて、それは昔から変わっていないようだ。

「なるほど、まあこの話が本当かは別ですが」

「だから確かめに行くのが一興よ」

 焦らさないでと、腕を組みながらもう興味津々で話を促す。 変に焦らされると腕を組んでみせるのも、昔通りだ。

「一条大路はわかりますね?」

「ええ」

 その日の深夜、私と若宇さまは、一条大路の北のある邸の梢から、内裏を北に限るその大路を見下ろしていた。 上弦の月が輝き、星の光が降り注ぎ、夜目に慣れているのも手伝って視界はすっきりしている。

「刻限はどうかしら」

 梢に繁る若葉に体を隠された若宇さまは、暑苦しそうに袖をまくる。 さすがに湿気に満ちた夜に、一張羅の水干では苦しいのだろう。

「そろそろ丑四つ頃ですかね」

 星を見上げれば、だいたいの時刻はわかる。 もしこの刻限で合っていれば、そろそろ噂の証明が始まる。

「永寿、ねぇあっち」

 若宇さまが耳元まで顔を寄せてきて、そっと潜むように囁いた。 彼の人の指先が示しているのは、大路の西の先である。

 闇の幕が下りている大路は、人っ子一人いない。 いるとすればそれは、盗賊団か命知らずかはたまた物知らずだろう。 しかしそのいずれの影もない今、大路は鳥か虫の声の他になにもない。

「なにか……」

 目元にかかる前髪を払い除けて、じっと闇の先を見透かした。 すると、およそずっと先に、黒く固まった群衆が大路を東へ押し寄せているようだった。

「さてさて、来たようね」

 楽しげに顔を歪めて、若宇さまはどこかから持ってきた酒を呷りだした。たぶん懐にでもぶち込んでいたのだろう。 喉を鳴らして飲み込みながら、その足音の方へ目を向けている。

「本当に来るとは……」

「そらぁ、奴らにとってもお祭りよ。 囃子が聞こえたなら家を出ないと、踊れないでしょ?」

 群衆、それが尋常でないものだとは、遠目に見てもすぐにわかる。 おかしな音を立てながら、大きくなったり縮んだりと忙しない。

 先頭を行くのは羅漢(らかん)のような屈強な(なり)をした男、腰に虎の皮を巻きつけ、踏ん反り返って歩くのを見ると、まさに鬼であった。

 しかしそれほど上位な者ではなさそうで、形がいいから先頭を執っているのだろう。 その後ろにつくのは、 一本脚の皺くちゃな老人である。 頭髪も殆ど抜け落ち、鬼の腰巻に捕まりながら、跳ね飛んでいる。 たぶん山の精だろう。

「あれが、百鬼夜行ですか」

 世の乱れのせいか、よくわからないがここ最近よく出るという。

「おっかないおっかない、人間にしてみれば、ね」

 若宇さまは面白い雑技でも見ている気色で、行列を眺めている。 若宇さま自身は、ちっとも恐ろしいとは思っていないだろう。

「どう思います? あの連中」

 足を枝からぶらつかせている師ににじり寄り、眼下を行進する百鬼どもに(はばか)って、声を落とし囁きかけた。 すると、若宇さまは一瞥をくれて、笑いながら再び盃を呷った。

「どうもなにも、放っておけばいいのよ。 それよりあなたも呑まない?」

「えっ? でも」

 有象無象の妖怪どもを見下ろして、やや底が深めの猪口を用意すると、それをぐいと押し付けて、若宇さまは酌をした。 百鬼を見ながら酒を受け、早くしろとでも言うような師の目線を避けるように、杯を含んだ。

 音を立てて濁酒は喉元を過ぎていった。 やんやと騒ぎながら練り歩く妖怪どもは、そんなことにはちっとも気づかず、足元を歩いてゆく。

「こんな面白いものを見て、どうして呑まずにいられるかしら」

 百鬼の夜行せる列は、何里の長さであるか。 およそ人間の視力を越えて、一条大路をゆるゆると長々と連なっている。 どこから来たのか、どこへ行くのか。 さっぱりわからないが、朝日とともに過ぎ去って行くのだろう。

 足元の見越し入道は、巨体の肩を(そび)やかせて、黙念と行列を追う。 またそれを見て、蜘蛛のような脚を地面に突き立てて、牛鬼の群れもその後ろを続く。

「これは、どこで途切れるのでしょう」

「さぁ、輪廻くらいは一回りするかもね。 それとも案外蟻の巣くらいしかないのかも」

 曖昧な言い方は本当に知らないのか、それともわざとなのか、若宇さまのことだから、たぶん知っててとぼけているんだろう。 濁り酒を流し込みながら、そう考えた。

「まあ、夜明けまで見物も乙なものでしょ」

 原理不明な収納能力を持つ袖の中から、酒の入った銚子をごそごそと引っ張り出しながら、そんなことを言った。 一夜を酒で乗り切るつもりだ。

「はぁ、八千代さんが怒りますよ」

「あら、そんなことは考えたこともなかったわ」

 嘆くように諌めても、若宇さまはいつも通りくすくすと笑って聞き入れない。 どうせ八千代は寝てるのだから、と。

 鳥獣にも似た妖怪どもが地上を跋扈(ばっこ)するのを見ながら、舌を痺れさせるような濁酒を舐める。 あれは何者です、と訊けば、若宇さまはだいたい教えてくれる。 若宇さまは、この行列のものどもはだいたいみんなきっと知ってると豪語した。

 そしてその多くは、別に大したことない下っ端どもよ、とも言った。 なにも恐れることなんてないのよ、と。

「さて…… そろそろ…… 酒精がね」

 若宇さまがそんなことを言い出したのは、およそ寅の刻ほどである。

「大丈夫ですか? 木の上で酔っ払うなんて洒落になりませんよ?」

 ふらふらしている肩を抑えるが、夢に落ちかける小さな体は、容赦無く樹上で平衡を崩している。 仕方ないし抱き抱えるように抑えて、頬を叩きながら、これからどうします? と問うた。

「うーん…… 寝る……」

「ここで寝ちゃ駄目ですよ。 帰ります?」

 重ねて問おうとすると瞼が下りだすので、遠慮なく再び頬を叩く。 すると今度は、呻きながらむにゃむにゃと声にならない声を発する。

「帰りますよ? 帰っていいですね?」

 まあどうせもう、聞こえてはいないのだろうし、少女の体を掴んで、抱え上げようと枝のなかでもがく。 不幸だったのは、その水干の袖から銚子が滑り落ちたことだ。

 木の下は無数の妖が充満し、蠢く魔性の闇である。 そこへ、白い陶製の銚子が落ち込んで行った。 軽い音を立てて酒器は割れ、その破片を踏んだ鳥の化生が、甲高い声をあげて飛び上がった。

「邪魔よ邪魔よ……」

 怪鳥は嫌になってくる嗄れた鳴き声を発しながら、木の周りを周回している。 そして、地上の魑魅魍魎(ちみもうりょう)どもは、月明かりに照らされた木の上を見上げた。

「吐く……」

「そんな場合じゃ、なさそうですね」

 土気色の表情をした若宇さまは確かに、もはや一刻の猶予もなく、口から何かしらを迸らせようとしている。 だけど、どうにも構っている暇はない。 怪鳥は地上に舞い降りて行ったが、眼下の闇は深まりながら、ひっそりと邸の塀やら木の幹やらを掴んで、梢に向かってきている。

「うっ…… 出そ……」

 若宇さまが呻いた。 その口を塞いで、もがく少女を抱えて枝を飛び立った。 袈裟(けさ)の袖口やらなんやらを少女の冷や汗で濡らして、鈴を鳴らしながら京の一条大路を飛び越える。

 一条より南は、無数の社寺と神殿に鎮護されし、京城の曲輪の内である。 そこを越えて京へ立ち入れる妖怪はほとんどいない。 向かい風を食らいながら、木とは向いの邸の屋根の上に降着した。 派手に屋根を叩く音を、中にいる人間は恐れたかもしれない。

 振り返ると、枝の上で怪異どもが立ち往生していた。 こちらには来れないのだ。 獲物を取り逃がしたことを口惜しく思っているかもしれない。

「さ、もう大丈夫ですよ若宇さ……ま……」

 息を整えるにつれて、手の内から溢れ出すべちょべちょのなにかを、しっかりと感じ取った。 そう、間に合わなかったわけだ。

 袈裟や袴も、若宇さまの胃の中身のものでぐちょぐちょになっているのだった。

「ごめ…… うぇ」

 胸の前で抱き抱えた若宇さまを屋根の上で降ろしてやると、そのまま倒れ伏して屋根瓦に吐瀉物をぶっかける。

「…… 若宇さま」

「……うん」

 背中をさすってやりながら、耳元に囁きかける。

「もう外でヤケ飲みしないように」

「……はい」

 夜が明け、一条大路を支配していた妖怪どもが姿を消したのは、そのほんの数刻後であった。

やっと更新できました…… なかなか話が思いつかなかったもので。 次回更新も今月中にできたらいいんですが、あまり保証はできないので予定は未定ということで。

感想などお待ちしております。 誰でもどういう内容でも構いませんので、どうぞお気軽にください。


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