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10年越しのプレゼント

 幼い頃の夢を見ていた。

 10年前のあの事件が起きる半年ほど前。そのときの記憶が鮮明に蘇ってくる。


 それは当時の私にとっては、言葉にするのもおぞましいほどの地獄の日々だった。


「おい! 中にいるのは分かってるんや。はよ、扉を開けえ」


 また今日もだ。

 乱暴にドアを叩く音と共に、知らない大人達の声が聞こえる。

 私は布団に包まりながら、必死に息を押し殺していた。


 うちの家に多額の借金があることを知ったのは、父が亡くなってからだった。

 ある日を境に、怖いお兄さん達が何度も家に来るようになり、テレビも洋服ダンスも何もかも、全て持っていってしまった。


 それ以来、母は何とか借金を返すためにパートを掛け持ちし、毎日朝から晩まで働き続けていた。

 そして、その母も今は過労で倒れてしまい入院中だ。


 ただ苦痛に耐え忍ぶだけの毎日。

 希望なんてどこにもなかった。もういっそ死んでしまった方が楽かもしれない。


 そんな折、生きる気力を失っていた私を地獄から救い出してくれたのは、両親の古い旧友だという安倍 祐一郎という男だった。

 突如として私の前に現れた彼は、父親が残した多額の借金を全て肩代わりしてくれたのだ。


「何で? 何で、私たちを助けてくれるの?」

 少しでも気を抜いたら、涙がこぼれてしまいそうだった。


「私は昔、君のご両親に助けてもらった。だからこれは、ほんの些細な恩返しさ」


 彼はそう言って、私の頭に優しく掌を乗せた。


「桃ちゃん、君もさぞ辛かっただろう。よく頑張ったな。もう心配しなくても大丈夫だ」


 祐一郎さんのその暖かい言葉を聞いたとき、私は生まれて初めてと言っても良いぐらいに大声をあげて泣いてしまった。


 私に生きる力を与えてくれた──

 この人のためにも、私は強く生きていこう、そう決心した。



 病室の窓に打ち付ける激しい雨の音で目を覚ます。

 ベッドから起き上がろうとしている学人を見て、私は慌てて椅子の上から立ち上がった。


「おはよう、学人。ごめん、少しウトウトしちゃってた。身体の調子はどう?」


「だいぶ良くなったよ。ありがとう。それよりも三峰さんは?あ、痛っ!」


「まだ大声出しちゃダメよ! ──菜津子ちゃんなら大丈夫。警察から事情聴取は受けるみたいだけどね。でも、あれは正当防衛だもの。大丈夫よ」


 今回の騒動がきっかけで、警察は、もう一度10年前の事件を洗い直し始めたようだ。


 10年前の事件の全ての元凶、朝霧 露乃。

 彼女が菜津子から受けた刺し傷もさほど深くはなかったようで、傷が癒えた後、警察から取り調べを受けるはずだ、とのことだった。


「それにしても桃、あの女の正体を掴むためにまさかうちに盗聴器を仕掛けていたなんて。それにあの脅迫電話は、やり過ぎだろ。一言相談してくれれば──」


「相談? そんなこと出来る訳ないよ。それに、脅迫電話って何のこと?」


 私は、学人の言葉を遮るようにそう言った。


「何って──。『全部壊してやる』だとか、何だとかって。しつこいぐらいに何度も何度も──」


 一体、学人は何の話をしているのだろうか。


「あの女を刺激するようなこと、私はしてないよ」


 学人の目を盗んで、盗聴器まで仕掛けて、秘密裏に露乃の正体を探ろうとしていたのだ。

 そんなあからさまに相手を警戒させてしまうような電話を私はしていない。


 でもそれなら、学人の言うその脅迫電話は一体誰が? ただのイタズラ。それとも──


 考え込む私の横で、学人が静かに口を開いた。


「なあ、桃? ──君は一体誰なんだ? なぜ君にはそこまでして、あの朝霧 露乃を追いかける必要があったんだ?」


 それは抱いて当然のはずの疑問。だが学人のその言葉が、私の胸には深く突き刺さっていた。


「あの女はね──どうしても自分の手で捕まえたかった。私は昔、あなたのお父さんに命を救われたの。感謝してもしきれないほどの恩人よ」


 私はそう語りながら、先ほどまで見ていた夢のことを思い出していた。


「そして10年前のあの日、私は祐一郎さんのご好意で、学人の誕生日パーティに招待されていた」


「彼の優しさを無駄にしたくはなかった。でもね、学人や他のご家族にどんな顔をして会えば良いか分からなかったの。家の門を開けた瞬間、何だか急に怖くなって」


「お庭の先から聞こえてくる笑い声を聞いた瞬間、私は逃げ帰ってしまった。ここは私のいるべき場所じゃない、そんな風に思ってしまったの」


 学人は何も言わず、ただ私の話に耳を傾けてくれていた。


「でもまさかその後、あんなことが起こるなんて──実は学人にね、ずっと渡したかったものがあったの。少し早いけど、これ」


 それは、10年越しの誕生日プレゼントだった。


「開けてみても良いかな?」

「うん、もちろん」


 赤い包み紙の中から、向日葵が周りを縁取る写真立てが姿を現した。

 そしてそこに飾られているのは、私がやっとの思いで探し当てた1枚の写真。


「この写真は──もしかして?」


「そう、そこに写っているのが、学人の家族よ。写真とかは、火事でほとんど燃えちゃってたんだけど」


「ありがとう。最高の誕生日プレゼントだ。これが父さん──母さんも、すごく綺麗だな。それに──」


「どうしたの、学人? 大丈夫?」


 学人が急に左手で頭を抱えて、うずくまってしまった。


「ああ、いや何でもないよ。ちょっと立ちくらみがしただけだ。大丈夫! これありがとう。大切にするよ」


 その学人の笑顔を見るのが辛かった。


「桃? どうしたんだ?」


 学人が私の顔を心配そうに覗き込んでいる。

 私、そんなにひどい顔してるのかな。


「──あのね。実は私、田舎に戻ろうと思うんだ。お母さんのことも心配だし、いつまでもワガママは言ってられないから。卒業式にはちゃんと戻ってくるけど。だからね、学人とはもうここでお別れ」


 しばらくの間、私たち2人の間には沈黙が流れていた。


「桃はさ、10年前の事件の犯人──を捕まえるために、俺に近付いたの?」


 その沈黙を破った彼のその言葉に、何一つ間違いはなかった。


「──うん、そうだよ。ごめんね」


 そして、私は彼に別れを告げ、病室を後にした。

 気が付けば、頬には大粒の涙が伝っていた。


 これで良かったんだ。これで──


 ある日、私はあの祐一郎さんの息子──学人君が近くの高校に通っているという情報を掴んだ。


 その高校の文化祭の日。

 私は、足元の段差に気が付かず、転んで膝を擦りむいてしまった。


 保健室の場所も分からず、途方にくれていたそのとき、私の頭上から声がかかった。


 大丈夫ですか?

 その差し出された手を掴み、顔を上げた瞬間、私の全身は固まってしまった。


 直感で気付いてしまったのだ。この子が、あの学人君なんだと。

 その笑顔には、あの日の祐一郎さんの面影が確かに残っていた。


 最初は、そんなつもりはなかった。でも会えば会うほどに、私は彼の魅力にどんどん惹かれていってしまった。


 病院を出た私は、立ち止まって天を仰いだ。

 先ほどまでの雨雲がまるで嘘であったかのように、空には太陽が光り輝いている。


 祐一郎さん、私に生きる力を与えてくれてありがとうございました。

 

 そして、学人──

 私は、あなたのことが本当に大好きでした。


 さようなら。そして──ありがとう。


 病院の出口へと続く道の両脇には、向日葵の花が空に向かって真っ直ぐに伸びている。

 私は涙を拭い、そして再びその道を1歩ずつ前に向かって歩み始めた。

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