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夏の音ずれ

 菜津子の話を一通り聞き終えた俺は、どうしても彼女の言葉を受け止めることが出来なかった。


「桃が俺の家族を殺した放火犯だって──まさか、嘘だろ」


「嘘じゃない。こんな話、冗談で出来る訳ないよ。私はよくがっ君の家に遊びに行っていたけど、彼女を見たのはあの夜が初めてだったもの」


 菜津子の表情は、真剣そのものだった。


「でも、それなら何でわざわざ俺に近付いてきたんだ?」


「それは、私にも分からないわ。あとこれ、渡しておくわね。南さんには黙っていてと言われたのだけど」


 菜津子が俺の掌の上に、小さな機械のようなものを乗せた。


「何だ、これ?」

「盗聴器。あなたの家の中から見つかったそうよ」


 彼女は、平然とそう答えた。


 そんな──。俺には、これを仕掛けられる人物が彼女の他には思い浮かばなかった。


「あとは、自分で確かめてみることね。でも──無茶だけはしないで。何かあったら相談して。必ず力になるから」


 彼女は、俺の目を真っ直ぐに見据えたままそう言った。

 そして菜津子は、俺に連絡先を書いた紙を渡し、その場を去っていった。



 翌日、炎天下の中で俺は1人、桃の家へと向かっていた。

 今日の彼女は、大学の講義で帰ってくるのは夜遅くになるはずだった。

 やけに足取りが重いのは、この暑さのせいだけではない。


 ──桃のことを疑いたくはなかった。

 だが、どこかで彼女のことを信じきれずにいる自分がいるのも事実だ。


 俺は渡されていた合鍵を使って、彼女の家の中へと入った。

 普段、何度も見ているはずの女性らしさ溢れるこの部屋が、今日はどことなく不気味に思える。


 ──ごめん、桃。

 罪悪感に苛まれながらも、10年前の事件の手がかりになるものがないか捜索を始める。


 部屋の中を物色し始めてから、1時間ほどが経っていた。

 だが、桃の部屋の中からは、10年前の事件に関係のありそうなものは一向に出てこなかった。


 ほら、見ろ。何もないじゃないか。

 やっぱり菜津子の見間違いだったのではないか、そう思い始め、机の引き出しを閉めようとしたそのときだった。


 引き出しの奥底に、彼女の趣向にはそぐわない歪な箱があるのが見えた。


 ──何だこの箱は。

 机の中から取り出し、おそるおそる蓋を開ける。


 その箱の中身を見た瞬間、俺の口は空いたまま塞がらなくなってしまった。


 その中には、菜津子から受けとったものと同じ盗聴器が、そして、その下には10年前のあの事件の記事が置いてあったのだから。


 彼女の家から出た俺は、ポケットから携帯電話を取り出し、1本の電話をかけた。


「もしもし、三峰さん? うん、見つかったよ、盗聴器。うん、今日の夜、桃と話をつけてこようと思う」

 電話の向こう側で、菜津子が何かを言っているようだったが、もう俺の耳には何も届いてこなかった。


 今日は一段と時間が経つのが遅い気がしていた。


 桃との約束の時間までは、あとわずか。

 自宅に戻ってきていた俺は、姉に見つからないように、細心の注意を払いながら部屋を出た。


 だがその努力も虚しく、玄関先でサンダルに足を通したそのとき、背後から声をかけられた。


「おーい、不良少年。こんな時間にどこに行くのかな?」


「げ、南姉ちゃん──。いや、ちょっと小腹が空いたからコンビニに」


「桃さんの所に行くのよね? 彼女が私たちの家族を奪った犯人──そうなんでしょ?」


 どこで嗅ぎつけたのだろうか、どうやら俺の考えは、全てばれてしまっているようだった。

 姉のその言葉に俺は、黙って頷く。


「私も一緒に行くわ。お願い! 私は学人を失う訳にはいかないの」


 その姉の頼みを断ることが出来なかった。

 俺だけではない。姉にとってもこれは大切な問題のはずだから。


 住宅地の路地の裏。

 他に人の気配はなく、辺り一帯は不気味なくらいに静まり返っていた。

 こんなにも暗い場所がこの街にもあったのか、と思う。


 待ち合わせていたその場所に、桃はすでに来ていた。


「あ、学人遅いよ。こんな時間に、しかもこんな場所に呼び出してどうしたの? それに──2人揃って怖い顔しちゃって」

 俺は警戒しながらも、彼女に近づき、話しかける。


「桃の部屋で、10年前の事件の記事を見つけたんだ。脅迫電話も、うちに仕掛けられた盗聴器も──桃の仕業なんだろ?」


 だが桃は黙ったまま、何も喋ろうとはしない。


「なあ、桃っ! ──どうしてなんだ?」

 俺は声を絞り出して、必死に桃に問いかける。


「そう、あの箱の中を見たのね。でもその様子じゃ、まだ何も思い出せていないか──」


 今まで感じたこともない桃のその雰囲気に、ただならぬ恐怖を覚えた。

 俺はとっさに姉のことをかばうようにして、桃の正面に立つ。


 目の前にいた桃の右手には、いつの間にか包丁が握られていた。


 それは、どこかで見たことのある光景だった。

 そうだ。毎年のように見ていたあの忌々しい夢に似ている。


 ──だが、何かが違う。何かがおかしい。


 桃が少しずつこちらへと迫ってくる。


「そいつから逃げて! お願いだから早く!」


 そうだ、早く逃げなければ。いや、でもおかしい。逃げる?


 一体誰からだ?


「早く、その女から逃げて! 学人ー!!」


 そう叫んでいたのは、他でもない目の前にいる桃だった。


「さようなら」

 背筋が凍るような冷たい声が聞こえた。


 慌てて後ろを振り返ったその瞬間、俺の肩口から鮮血が飛び散った。


 その場に崩れ落ちた俺の目に映ったもの。

 それは返り血を浴びて、不気味に微笑む姉、南の姿だった。

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