7月25日
──10年前──
何故だろう。火を見ていると、随分と心が落ち着く。
目の前で燃え続けている雑誌の束をぼうっと眺めながら、私はそんなことを考えていた。
変わりばえのない退屈な日々だった。
意味があるのかさえ分からない中学校の授業、過度な親の期待、うわべだけの友人達との付き合い、さほど興味の湧かない恋人とのデート。
毎日が同じことの繰り返し。
幸せそうな顔で日常を過ごしている奴らが大嫌いだった。
私は物思いにふけりながら、燃え尽きて灰になった雑誌の束に目を向ける。
ずっとずっと燃え上がるあの赤い炎を眺めていたい。
そう考えていた私の頭に、ある名案が浮かび上がった。
ああ。──なんだ、簡単なことじゃないか。
高まる欲望を抑えきれず、手にしていたマッチに再び火をつける。
もっと大きくて、幸せそうなものを燃やせば良いんだ──
夕食の最中、リビングに突如電話のベルが鳴り響いた。
俺は慌てて電話を取ろうとしたが、そばにいた姉に先を越されてしまった。
だが、その電話先の相手と会話をしている様子は一向に見られない。
「どうしたの? 電話、誰からだった?」
「ううん、何でもない。何だかイタズラだったみたいね」
十中八九、あの脅迫電話と考えて間違いないだろう。
「そっか。暇な奴もいるもんだね。──そういえばさ、南姉ちゃん。この前の土曜日って、確か仕事だったよね」
姉が一瞬だけ見せたその強張った表情を、俺は見逃さなかった。
「そりゃあ、いつも通りバリバリ働いていたわよ。何てったって、うちの部署のエースだからね」
やや目線を逸らしながら、それでもいつもの調子で明るく振る舞っている。
──どうやら菜津子と会っていたことは、俺に話すつもりはないようだ。
その後も、同じような脅迫電話が日に何度かあった。
そのストレスに耐えきれなくなった俺は、家の電話線を引き抜き、床へと思いっきり叩きつけた。
──7月18日──
終業式を終えた後の教室では、1学期最後のホームルームが行われていた。
「さて、明日から夏休みな訳だが、お前達、宿題は計画的にやっておけよ」
庄司は笑いながらそう言い残し、教室を出ていった。
夏休み。本来であれば両手を上げて喜ぶはずのイベントだ。だが、今はとてもじゃないがそんな気分にはなれなかった。
「あれ、どうしたの? ボケっとしちゃって。学人らしくもない」
背後から沙衣美に思いっきり肩を叩かれる。
「うるせえ、俺にだって悩み事の1つや2つあるんだよ」
あの夕立ちの日以来、菜津子と喋ることはほとんどなかった。
あのとき、俺に見せたあの別人のような表情も、それ以来一度も目にはしていない。
だが、菜津子の言動や、姉との密会のことも気になって仕方がなかった。
明日から夏休み。このモヤモヤを晴らすチャンスは、今日しかないのかもしれない。
俺は立ち上がり、隣の席で帰り支度を整えている菜津子に声をかけた。
「三峰さん、聞きたいことがあるんだけど、今から屋上まで来れないかな」
「え、ちょっと。悩みって──まさか三峰さんのことだったの? だって学人には、桃さんが──」
俺の隣で1人慌てふためく沙衣美をよそに、菜津子は黙って俺の言葉に頷いた。
屋上に降り注ぐ日差しは変わらず強かったが、風がある分、教室よりはいくらか心地よかった。
「それで学人君、聞きたいことって何かしら」
俺にはもはやその笑顔が、精巧な作りものにしか見えなかった
「どうしたもこうしたも。君に聞きたいことが山ほどあったんだ。いったい君は誰なんだ? それにあのとき言いかけてた『事件』って何のこと?」
菜津子の雰囲気が、またも別人のように変わった。教室内では決して見せることのない、彼女のもう一つの顔。
「やっぱり──がっ君は何も覚えていないのね。あれから何度も警告しようとしていたのに、電話もつながらなくなっちゃうし」
「警告? それに電話だと。やっぱりあの脅迫電話は、お前の仕業なのか?」
俺は強い口調で、そう菜津子に詰め寄った。
「脅迫電話? 何のことかしら?」
「とぼけるなよ! 毎日のようにかけてきやがって。一体何が目的なんだ?」
菜津子は黙ったまま、一向に口を開こうとしない。
「おい、何とか言えよ!」
痺れを切らし、怒鳴り声を上げてまくし立てる。
すると、彼女は顔色一つ変えぬまま、小声で呟いた。
「『××××年7月25日』」
──何だ? 何かの日付だろうか。
その菜津子の言葉を聞いた瞬間、またも頭に激痛が走った。
「今のあなたには、何を言っても無駄みたいね」
「何なんだよ──『何を言っても』って。俺はまだ何も聞いてないぞ」
だが菜津子は、そんな俺の言葉を無視するかのように、屋上の出口へと向かって一直線に歩いていく。
慌てて後を追いかけようと思ったが、なぜだか足がすくんで動かない。
すると菜津子が屋上の入口付近で立ち止まり、こちらを振り返った。
「少しは自分で調べてみたらどうかしら? あ、それと言い忘れていたけど、年上の彼女がいるのよね? 桃さんだったかしら。彼女には、気をつけた方が良いわよ? これが、あなたへの警告──」
菜津子は去り際にそう俺に言い放つと、扉の向こう側へと姿を消した。
「何でお前が桃のことまで? どういう意味だよ! おい、待てってば!」
しかし、そこには菜津子の姿はなく、屋上にはただ俺の叫び声が虚しく響き渡るだけだった。
菜津子が口にしていたその日付。
只の偶然だろうか。今日からおよそ1週間後にあたる7月25日は、俺の17歳の誕生日だった。
結局、菜津子には肝心なことは何も聞けぬまま、1人ぶつぶつと呟きながら、早足に自宅へと向かっていた。
そうだ、××××年7月25日は、今から10年前の俺の7歳の誕生日のはずだ。
だが、やっぱりおかしい。
どんなに思い出そうとしても、その当時の記憶が何1つとして頭の中に残っていないのだ。
『××××年7月25日』
今から10年も前にあたるその日に、一体何があったというのだろうか。
彼女の正体の手掛かりも、この頭の痛みの原因を解く鍵も──おそらくそこにあるはずだ。
俺は自宅にたどり着くと、すぐさま部屋のパソコンを起動させた。
『××××年7月25日』
パソコンの画面に例の日付を打ち込み、1つずつ検索結果を下へとスクロールしていく。
すると、俺の目にある1つの記事が飛び込んできた。
そんな馬鹿な──
それは初めて目の当たりにする事実だった。
いやきっと何かの間違いに違いない、そう信じて、俺はその記事をもう一度読み返してみた。
だが、そこに記された文字は、一言一句、何の変化も見られなかった。
──××××年7月25日──
『民家全焼。一家を襲った夏の夜の大火災。放火犯の足取りは、いまだ掴めず。長男の安倍 学人君が、病院に搬送された後、奇跡的に一命を取りとめる』
『この事件で、父親・母親・次女の3名の死亡が確認された。また長女の安倍 南さんは、高校の寮で生活を送っていたため、当事件には巻き込まれず──』
これが俺の過去──
こんな話、何も知らないし、一度だって耳にしたことはなかった。
俺はパソコンを閉じ、そのままベッドの上に仰向けに倒れこむ。
部屋の外から聞こえてくる蝉の鳴き声が、今日ほど煩わしいと感じたことはなかった。