噛みついて
さて、私ことエルナはなぜかとても着飾っています。なんとドレスです、ドレス。
滑らかな生地の桃色のドレスは薔薇の飾りで彩られており、髪は今エーリヒの手でいじくりまわされています。近くにはお茶会を始めると言わんばかりの菓子と紅茶のポット。今座っている椅子はお茶会用の机のすぐ傍だ。
「あー、やっぱり僕と同じでさらさらだねー。今日はどんな髪型にしようか」
「……あの、殿下」
「お兄様」
「…………お兄様。何度も言いますが、私は着せ替え人形ではありませんよ」
なぜこうなっているのか。そもそも自分はエーリヒの専属魔導師だが常にそばにいるわけではない。なのでたまに呼び出されるのだが、その呼び出す理由が毎度『コレ』なのだ。
「エルは僕みたいに綺麗なのにきちんとした格好しないからね。もったいない。でもほかの男にはこんなの見せたくないしー。僕だけのお姫様ってことでね」
ちなみにドレスを着せるのはエーリヒの子飼いである口の聞けない女官のテアナがしてくれる。彼女なら情報を漏らさないとのことで、わざわざ雇ったそうだ。
「はー……可愛い。僕だけのエル超可愛い」
「だいぶ俗っぽいこと言いますよね、殿下……」
エーリヒは暇つぶしによく城下町にお忍びで出かけている。その影響だろうか。毎度毎度その護衛のためにこっそりついていかなくてはならないため仕事が増えてその日は通常の倍疲れる。
そんなことを考えているとエーリヒが眉根を寄せて低い声で言う。
「今、殿下って言ったね……お仕置きだ」
お仕置き、という言葉に思わず反応してしまうがエーリヒは傍にあったクッキーをわざわざ持たせて机の向かい側に座った。
「はい、食べさせて」
「えー……」
この人は本当によくわからない。
渋々とクッキーを口へと運ぶと、エーリヒは指ごと食いついて指先を舐めた。慌てて手を引っ込めると、悪戯っぽい笑みを浮かべながら赤い舌をちらりと見せるエーリヒの姿に思わず言葉を失ってしまった。
この人は黙っていれば間違いなくこの国でもトップクラスの美少年……美青年だ。先日16歳になったばかりでまだ幼さはあるものの、王族としての威厳はあるし、人当たりがいいため初めて会う人間には好意的に見られるだろう。
そう容姿だけなら。
「エルの指は細くて可愛いね。食べちゃいたいくらい可愛いって言うけど、エルは食べないで毎日愛でていたいな」
ご覧の通り、変態なのです。
「エルを食べたらどんな味がするかな」
「人肉は美味しくないですよ」
「大丈夫。本当にエルを食べたりしないから。……別の意味では食べるかもしれないけど」
「丁重にお断りします」
こいつ、仮にも妹に堂々とセクハラしやがる。いや、兄妹と認めるわけではないが一応。
何かを考える素振りを見せるエーリヒ。嫌な予感がする。
「ふーん……ほら、次も食べさせて」
「……」
あからさまに嫌そうな顔で拒否の意を示してみるがニコニコと無言で圧力をかけられ、仕方なくクッキーに手を伸ばしてそのままエーリヒの口元へと運び――
「――っ!?」
クッキーを運んだ人差し指と親指に噛み付いてきたエーリヒ。振り払おうと手を引くが、ガリッと嫌な音を立てて指が外気に触れた。
親指はほとんど無傷だが人差し指は出血していた。どうりで痛いと思った。
「……血の味だね」
「あ、たりまえでしょう」
本格的に何を考えているのかわからないエーリヒに思わず言葉が詰まってしまう。じわじわと血が滲んでくる指を治療しようと魔法を使おうとして、止められる。
「指、もう一度出して」
「……」
嫌です、と言いたかったがエーリヒの目を見てそれは無理だと悟った。
おそるおそる、まだ血の出ている指をエーリヒの前に出すと、それを咥えて舐め始めた。
「っ……」
恥ずかしい、と同時に得体の知れない背徳感に襲われる。
己の舌で血を丹念に舐めとるエーリヒの様子があまりにも扇情的で、いやらしくて、妖しく見えて、くらくらしてしまう。
――嗚呼、実の兄になんてことを考えているんだ私は。
エーリヒは満足したのか、血がなくなったと思われたタイミングで指を舌から解放した。指と唇が離れるとき、唾液の糸が一瞬だけ伝う。
「可愛いよ、僕の愛しい妹」
おかしい。
明らかにこの空間はおかしい。
けれど、私はエーリヒから、兄から逃れることはできないだろう。
「……そうですか」
唾液をハンカチで拭いながら私は無感情でそう返す。
どうして、自分は逃げたいと強く思っているはずなのに、逃げられないのだろう。答えが返ってくるはずのない自問自答をしながらエルはエーリヒを見つめた。
笑顔の王子様。その笑顔の意味するところは、知らないふりをして。
兄がひたすら気持ち悪いですね!