気遣われて
逃げるように自室へ駆け込んでベッドに潜り込む。
首筋が、吐息がかかった場所が熱い。
「どうして……」
エーリヒの考えがわからない。彼は何を求めているのか。
毛布にくるまりながら、浮かぶのはエーリヒの恐ろしい笑み。
兄なのに、主人なのに、どうしてあんなにも恐ろしいのだろう。
「エルー? 帰ってきたのかー? どしたー」
心配そうに扉の向こうからダズが声をかけてくる。部屋にかこけ込むところを見られたのだろうか。
「ごめん、ダズにーさん。ちょっと疲れてて」
「……ちょっと顔見して」
有無を言わさない強い口調。ダズがそんな風に言うことはめったにない。仮面を外して扉の前に立つが開けるのに少しだけ躊躇う。
怒っているのかと思っておそるおそる扉をあけて体を半分出すと心配そうなダズが目線を合わせるように屈んできた。
「で、どうしたんだ。にーさんに話してみなさい」
「なにその兄貴ヅラ……。大丈夫、大丈夫だよ」
空元気だということはダズにも伝わったのか納得していない、と言いたげな顔だ。一瞬、視線がある一点に向けられるがすぐにそらされた。どうしたんだろう。
「……そっか。でもちゃんと飯食ってから寝ろよ。ただでさえお前、不規則な食生活なんだから」
そう言って頭を撫でてくるダズ。こっちのほうがよっぽど兄っぽい。
一瞬だけ、悲しそうに瞳を揺らしたような気がしたが、掻き消えてしまってそれを口にすることははばかられた。
「じゃ、にーさん。せっかくだからおごってよ。町にでも降りて早めのディナーをさ」
からかい混じりに食事の話を持ち出すと、なぜかダズの顔が曇る。言葉を選んでいるようで、口をもごもごとさせており、何かまずいことを言ってしまっただろうかと首をかしげてしまう。
「……外出はしないほうがいいな。あー、食材何もないなら、俺の部屋にあるやつ持ってきてやるから今日はおとなしくしてろ。なっ?」
「う、うん……わかった」
「じゃあ、すぐ取ってくるから部屋で待ってろ」
もう一度頭を軽く撫でてダズは自室へと向かう。
魔導師寮はさほど広くない。自分は少し広めの部屋で、ほかの個室とはやや距離がある。ダズの部屋とも若干距離があり、行って戻るだけで5分程度の時間がかかるだろう。
ちなみに、なぜ自分の部屋がほかの個室と距離があるかというと、デーニッツ爺さん――魔導師長が女の子なんだからとここにねじ込んだのだ。不便極まりない。
部屋へと戻り、ふと鏡を見る。やっぱり疲れなどが滲んでいる顔だなぁとしみじみ思――
「えっ……」
先ほど、エーリヒに首筋を吸われたことを思い出す。そんなこと、今までもなく、知識もどちらかといえば乏しいため気付かなかったのだ。
首筋にはっきりと残る、キスマークの存在を。
「……そっか。ダズにーさんがあんな反応するわけだ」
気を使ってくれたのかそのことに触れない優しさであり余計なお世話。今、鏡で気づいてよかったと心の底から思う。
「……にーさん、やっぱわかったのかな」
これが誰につけられたのかを。
勘が悪くても、ある程度わかっていれば自ずと察せられるだろう。
こんな関係、望んでいない。
ダズが戻る前に救急箱から包帯を取り出して急いでキスマークを隠すように巻きつける。ダズがたとえ分かっていても、見られるのはいい気分じゃない。
「これでよし、っと」
多少、位置的に違和感はあるが怪我した、でごまかせる範囲だろう。しばらくこれでやりすごすしかない。
と、扉をノックする音が聞こえる。少し早めの到着だ。
「今開けるね」
そして私は食材を抱えたダズにーさんを見て笑う。
何もなかったかのように。首に包帯を巻きつけて。
これで、いいんだ。
私が大人しくしていれば誰も困らない。エーリヒも、みんなも。
期間が空いてしまった上に短めで申し訳ないです。