釘を刺されて(テオバルト視点)
困惑したままのエルを帰したあと、テオバルトことテオが呆れたように部屋に入ってくる。
「エーリヒ様。あまりお戯れは……」
「なあ、テオ。僕ってエルについてはすっごく敏感なんだよねぇ」
突然の話題にテオはぎくりとする。そう、テオは――
「ねえ、どんな気持ち? 好きな女に痕を付けられても何も言えない状況」
「……何のことだかわかりかねます」
当然嘘だ。テオはその意味をわかっている。
「テオとー、あとはー、騎士団副団長のグリーベルと、魔導師のダズだっけ? ほんっと、君まで落としちゃうなんてエルは罪深いね。グリーベルに至っては男として接してるのにアレだし」
「……殿下、私は」
「まあ、渡すつもりはないよ」
これは牽制、戒め、脅迫。
「エルが欲しいなら、僕を殺してみなよ」
悠然と、誰よりも醜く浅ましくこの国の王子は微笑む。
「エルがいない世界なんて、僕にはゴミ以下だからさ」
愛する妹への執着を燃やしながら。
好きの反対は嫌いじゃない。無関心だ。
でも俺は、無関心を装うこともできない、不器用な男だった。
ずっと、出会った時からなんとなく惹かれていたのだと思う。
俺と彼――いや、彼女が出会ったのは何年も前。まだお互いに幼かった頃だ。
幼いながらも彼女の境遇は口にしてはいけないものだと察してしまったし、彼女に関わってはいけないと悟ってしまった。
それでも、惹かれてしまったのだ。
時折見せる、あどけない笑顔。だけど、それは自分に向けられるものではなくて、それを思い出すたびに吐き気がした。
自分の主、エーリヒ殿下の異常さは気づいていた。そして、自分はそれを奪える度胸もない臆病者で、ただ見ているだけの傍観者。
なんて惨めなんだろう。どうして、前に踏み出せない。
自分をそう罵倒しても動くことはできず、結局何も変わらない歪なあの兄妹を見守るしかできない。
それだけならまだよかったかもしれない。最近、彼女に好意を抱く男がいるとのことだ。万が一にもエーリヒ殿下から奪えるはずはないが、自分が諦めてしまった、彼女への想いを信じている彼らが憎い。羨ましい、と……。
機嫌が悪い殿下をなだめるが、なぜか余計に悪化させてしまったらしく、部屋から追い出されてしまう。おそらく理由は間違いなく彼女だ。
すると、部屋のすぐそばに彼女がいるのを見つけ、舌打ちをした。
「……チッ、シクザール様。遅いですよ」
「露骨に舌打ちしないでください。で、機嫌悪いんですか?」
そうやって顔色を伺ってくる彼女に嫌気がさしてくる。彼女はどうせ、殿下が一番なのだから。
「早く行って、どうにかしてください。たっく……私の苦労も知らないで……」
どうにか彼女と関わらないように足早に離れ、回廊に出る。これでもやることは山積みだ。それなのに――
「くそっ!!」
思わず、すぐそばの柱を強く殴る。じんわりと痛むがそうでもないとやってられない。
まるで呪いのように、俺は彼女に惹かれてしまう。
止まれ止まれ止まれ――。
激流をせき止めるように自分を律する。本当は彼女の仮面を剥ぎ取って、素顔に口づけをしたい。あのあどけない笑顔を見たい。けれど、自分は殿下を裏切れない。
「あなたのせいで私は――俺は……!」
いつでも狂ってしまいそうな、危うい道化師だ。
しばらくして、部屋から出ていこうとする彼女を見かけ、立ち止まってしまう。声をかけないで無視しようか。しかし、ここからだとお互いどうやっても目が合ってしまう。
そんな不毛なことを考えていると、彼女は俺の前を通り過ぎようと足早に去っていった。
その一瞬、見えてしまった。
首筋にできた、キスマークが。
腹の底でドロドロと渦巻く感情を必死に押さえつけ、殿下の部屋に入る。
「エーリヒ様。あまりお戯れは……」
つい、先ほどのキスマークについて口を出してしまう。どうしてこんなにも、自分は――
「なあ、テオ。僕ってエルについてはすっごく敏感なんだよねぇ」
ぎくり、と自分の体が強張るのがはっきりとわかる。
「ねえ、どんな気持ち? 好きな女に痕を付けられても何も言えない状況」
「……何のことだかわかりかねます」
ああ、やはりこの人は見抜いている。俺の浅ましい欲望も、想いも。
でもきっと何もしないだろう。殿下もわかっている。自分は何もできない矮小な存在だから、牽制だけで事足りると。自分だけでなく、あの魔導師ダズにもそう思っているはずだ。だが、あいつは自分と違ってどこか達観しているようにも思うが諦めているようには見えない。
「テオ、あとはー、騎士団副団長のグリーベルと、魔導師のダズだっけ? ほんっと、君まで落としちゃうなんてエルは罪深いね。グリーベルに至っては男として接してるのにアレだし」
「……殿下、私は」
決して、あなたを裏切るつもりは。
そう言おうとして、遮られた。
「まあ、渡すつもりはないよ」
低い、昏い声。
脅迫じみた、牽制に背筋が凍る。
「エルが欲しいなら、僕を殺してみなよ」
穏やかに、この国の王子は狂った笑顔を浮かべる。
「エルがいない世界なんて、僕にはゴミ以下だからさ」
きっと、俺はこの人に勝てない。勝てるとしたならば、彼以上に、狂気を身に宿すしかないだろう。
それはきっと、無理だ。
だから俺は彼女を嫌いになろうと努力する。無関心なんて、到底できないから。
たとえ、彼女を嫌うことこそ、無理だったとしても。
とにかくエーリヒを気持ち悪く書くことを心がけてるのですが友人に「こだわるところそこじゃないだろ」と叱られました。てへぺろ