第1話 カダスへの誘い
日常には、ハッキリ言って退屈している。
毎日同じ事を繰り返し、限られた時間を浪費し続ける事にはうんざりしているし、それを打開できない自分には落胆を越えて絶望感すら覚える。
世の中が夏休みに浮かれる中で、俺はいつものように、ネットゲームをしている。RPGというのは、物語を楽しむ以上に、戦闘を楽しむ必要がある。
そうしなければ、日常と同じような退屈を覚え、すぐに飽きる。
だが俺は、どうも飽きっぽい。
「ふぅ」
ため息と共に、終了ボタンをクリックする。確認メッセージが表示され、YESをクリックすると、しばらく画面が暗転し、やがてデスクトップに戻る。
退屈していた。自分の世界はあまりに狭く、そして規則的だ。まるで、腕時計のように。
ふと、携帯電話にメールが来ている事に気付いた。ゲームに集中していたせいで気付かなかったのだろう。ヘッドホンを外し、携帯電話に手を伸ばす。
「なんだ?」
知らないアドレスが表示されていた。タイトルには、招待状、とだけ書かれている。新手の商業メールだろうか。アドレスの変更を考えた方がよさそうだ。
『日常に退屈している貴方へ、このメールをお送り致します。
このメールは、新世界への招待状です。新たな世界は、必ずや貴方の退屈を晴らすでしょう。
パソコンをお持ちの方は、是非とも次の文章で検索して下さい。
我は銀鍵を用いて窮極の門を開かん
ご友人も誘われると、なお一層お楽しみ頂けると存じます。
それでは、ご来訪をお待ち致しております』
「・・・」
奇妙な気分だった。
確かに、俺は退屈している。現実世界というものに飽きている。
それを、解消する。
それは、あまりに魅力的な言葉に思えた。
だが、このメールの送り主は、どこでそれを・・・俺が日常に退屈している事を知ったのだろうか。それともこれは、俺の知り合いの悪戯だろうか。
そう考えるのが自然だ。この文章、我は銀鍵を用いて窮極の門を開かん、というのは、ホームページの検索ワードかも知れない。
手の込んだ悪戯だ。そう考えるべきだ。
「・・・はぁ」
一瞬の刺激は、こうして倦怠の海に沈んだ。
翌日。俺はそれなりの身なりで、電車に乗って街に来ていた。夏休みに入ってからと言うもの、週に2日はこの街に来ていると思う。
街には活気と言うよりも、セミの鳴き声と人の声が織りなす喧噪と、暑さによる倦怠感が渦巻いていた。
熱されたアスファルトがヒートアイランド現象を引き起こし、気温は30度を余裕で超えている。半袖でもまだ暑いが、俺は余り汗をかく体質ではないのが、せめてもの救いだった。
今日は何をするか。そんな事を考えながら立っていると、後ろから肩を叩かれた。
不意の事だったが、いつもの事でもあるので、別に驚きはしなかった。
振り向けば、いつもの顔がそこにある。うっすらと汗をかいた、何処か幼さをぬぐいきれない、少女の顔。おかっぱ頭が、その幼さに拍車をかける。しかし、体の発育だけは良いようだ。
「や、かずき」
浮羽 さつき。高校ではクラスメイト・・・というか、小学校から同じクラスで、一度も違うクラスになった事はない。しかも、決まって席は隣という、陰謀めいた腐れ縁だ。幸いというか何というか、家はお隣というわけではない。が、歩いて5分の距離だ。
「涼しげだね、いつも。うらやましいなぁ」
さつきはいつも、ゆっくりとした口調で話す。それは、そののんびりとした性格に起因するのだろう。行動も、俺の見る限りかなり緩慢で、要領が良いとは言えなかった。
「それに、何か失礼な事考えたね?」
だが、洞察力には優れていた。
「何も考えてないよ。・・・今日はどうするんだ?いつもの漫喫か?」
「ううん。漫画の新刊が出てるから、買うんだよ」
「・・・その為に呼んだのか?まさか」
「うん。そうだよ」
「・・・」
悪意はない。この少女に、悪意は一切無いのだ。ただ単に、悪意無く自分の買い物に他人を付き合わせているだけだ。
タチが悪いが、怒る訳にもいかない。いや、だからタチが悪いのか。しかし怒るわけにも・・・そう考えると、最悪のループだった。
「で、あとは?」
「う〜ん・・・無い。かずきは?」
「俺ははじめから用事はない」
さつきの買い物も終わり、何もやる事が無くなった俺たちは、今こうして大手ハンバーガーショップで暇を持て余していた。
そんな時、ふと思い浮かんだ事がった。
「なあ、さっさと家帰って、ネットしないか?」
「え?良いけど。チャットでもするの?」
「いや。気になるメールが来て、な」
俺はポケットから携帯電話を取り出し、受信メールから1つのメールを選択し、表示した。
「・・・日常に退屈している貴方へ・・・我は銀鍵を用いて窮極の門を開かん・・・なに、これ?」
「俺が訊きたい。で、これを試してみないか?」
「明らかに怪しいよ」
さつきが怪訝そうな顔つきで言う。それは至極もっともな意見だ。
「退屈しのぎにはなるんじゃないか?何もなかったら、いつものゲームで暇つぶし」
「うん・・・」
さつきは小さく頷くと、紙コップの底に残っていた、溶けた氷で薄まったジュースを、音を立てて飲み干した。
「さ、行くか」
「うん」
そして、俺たちは店を出た。
「・・・」
携帯電話の画面に表示された文章を、検索サイトで調べてみる。まずは、情報を集めるつもりだ。が。
「やっぱ、ヒット数1か」
検索結果は1件。完全に、メールの文章に一致する。
我は銀鍵を用いて窮極の門を開かん。
その文章が、画面に青い文字で表示されていた。
携帯電話を操作して、俺はさつきに電話をしてみた。すると、コール1回目で繋がった。おそらくさつきも、携帯電話を手にしていたのだろう。
「もしもし、さつき。今からこのページ開くけど」
『うん。私も開く。・・・大丈夫かな』
「心配性だな。・・・俺は開いてみる」
『あ、わたしも〜」
そして、クリック。
「つっ・・・!?」
一瞬、奇妙な感覚に襲われた。
地面が斜めに傾いたような、床も壁も、全てが液状になって、ドロドロと溶けたような。目眩にも似た感覚。いや、目眩そのものか?
『もしもし、かずき、大丈夫?』
「ああ・・・大丈夫。さつきは?」
『さっき、ページ開いたら目眩がした・・・』
「え?」
奇妙な一致。それは、かなり不気味とも言えた。2人ともページを開いた途端に、目眩に襲われたのだ。
それは、この画面のせいか。
ハッキリ言って、不気味だった。背景色は黒。そこに、血のように赤い色で、何やら魔法陣のような模様が描かれていた。
そして不思議な事に、金色の文字・・・液晶の画面に、小さいながらも、明らかに金だと分かる色調で、こう書かれていた。
人はカダスについて何を知る。
過去、現在、未来の狭間の
尋常ならざる時のなかにある
カダスについて誰が知るや。
「・・・カダス?」
耳慣れない言葉に、釘付けになる。
そしてその下に、文章を入力する欄と、Enterのアイコンがあった。
「さつき。ページ開いたな?」
『うん。・・・怖いよ、かずき』
「その欄に、さっきの文章を入れて、Enterだ」
『大丈夫?かずき、なんだか怖いよ?』
「大丈夫だ。・・・俺は行くぞ」
『あ、待って。私も』
そして、次の文章を、欄に入力する。
我は銀鍵を用いて窮極の門を開かん。
そして、Enterアイコンをクリックした。
世界が暗転して、何かの笑い声を聴いた気がした。