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ロストマーブルズ  作者: CoconaKid
第一章 ころがったビー玉
2/62

「それじゃ、始めるわよ。ほら、リラックスして。初めてじゃないんだから、そろそろ私に慣れてきてもいい頃じゃないの?」

 甘いフローラルの香りを漂わせ、早川真須美がベッドで寝ているジョーイを上から見下ろし、微笑している。

 束ねていた髪を解きほぐせば、つややかな黒髪がシルクのカーテンのように広がった。

 誘うような目つきを投げかけ、露出した胸元の谷間を見せるように、わざと腕を組み豊満な胸を持ち上げる。 

 ジョーイは逃げることなくそれを相手の望むままに見つめてから、真須美の顔を見た。

「先生、俺をからかっているんですか」

「あっ、やっぱり色仕掛けもだめか」

 真須美はがっかりとした表情を浮かべて後ろに下がると、デスク前の白い革張りの椅子に、どしっと腰掛けた。

 春の暖かい日差しが窓から入り込んでいる。

 光は部屋の白い壁に反射し、明るさはさらに強められ、清潔感溢れる空間を生み出していた。

 それはただ意味もなく眩しく、さらに空虚さを生み出すだけで、ジョーイを不快にさせる。

「かなり今日は荒治療ですね。精神科医がそんな色気を使って、面白半分に青少年をそそのかしていいんですか?」

「あなたの場合はテストのためにもこれでいいのよ。これで性欲も持ち合わせてないって言うことが証明できたわ。でもちょっとショック。これでもお色気ムンムンの精神科医で通ってるのに、なんか自信なくしちゃう。もしかして男の方が趣味?」

「ちょっと待って下さい。どうしてそうなるんですか。俺は別に先生に興味がないだけで、それにこれは治療の一環となんの関係があるんですか」

「あなたの場合、全てにおいて無関心すぎるのよ。だから少しでも今時の若者らしいことがないか色々と試しているところ。過去のことに拘りすぎてあなたは大切な今の時を無駄に過ごしてるわ」

「俺は何も拘ってなんていません」

 ジョーイは比較的に落ち着いて、真須美の存在を否定するかのように、無機質な天井を見つめた。

 それが真須美を不快にするとわかっていても、わざと生意気さを見せつけたかった。

 真須美は苦笑いになっていたが、そこは医者だった。

 カルテとペンを手に取ると足を組み直し、きりっとした表情をジョーイに向けた。

 そこには治療という名の裏で、自分の芸術を究めて患者を作り変えようとするものが読み取れた。

「それじゃ、桐生ジョーイ君、本題に入るわよ」


 名前はカタカナだが、苗字は漢字。

 アメリカ生まれの、いわゆるハーフ。

 名前だけじゃなく、見かけでもそれは容易に判別できた。

 明るめの栗色のしなやかな髪は、光を帯びれば金髪へとさらに近づく。

 顔つきも目の色も、日本人離れして、西洋の血が入っているのがバレバレだ。

 メリハリがはっきりとした目立つ顔つき。

 母親が日本人で父親がアメリカ人の遺伝子の組み合わせだが、現在母子家庭となって、父親とはずっと会っていない。

 一体何があったのか。

 それがここに居る理由だった。

 今日もいつもの心の覗きがまた始まった。

「目を閉じてリラックスして。そして心に引っかかってることを思い浮かべて」

 ジョーイはうんざりしながらも、言われた通りに瞳を閉じた。

 同じ事を何度も繰り返し言っている。

 そのせいで何度も同じ夢を見ていた。

 またこの日も、あの時の事がありありと浮かんでいた。


「俺はまだ7歳のときだった。いつも一緒に遊ぶ女の子がいた」

「その子は何歳くらいの女の子? もっと詳しく教えて頂戴」

「5歳くらい。時々家にも遊びに来ていた。毬のように元気に飛び跳ねて、いつも笑っていてとてもかわいい子だったように思う。でも顔の詳細まではもう覚えてない」

「その子の名前は?」

「アスカ」

「日本人?」

「分からない。でも俺と同じように血が交じり合ったような顔だったかもしれない」

「どうしてアスカちゃんが忘れられないの?」

「突然俺の目の前で消えたから」

「突然ってどんな風に?」

「家ごとアスカが爆破されて燃え尽くされるように消えてしまった」

「殺されたってこと?」

「わからない」

「どうして家が爆破されたの? それは事故? それとも誰かが爆弾を仕掛けたの?」

「わからない」

「それじゃ他にアスカちゃんを知ってる人は?」

「誰も居ない」

「家に来ていたのならお母さんは見たことなかったの?」

「多分見ていたはず、でも……」

「でも何?」

「アスカの存在を認めない。アスカは俺が作った架空の女の子だと思っている」

「それはどうして?」

「俺が人形を使ってごっこ遊びをするのが好きだったから、アスカも俺が作り出した幻影だと思っている」

「想像上のお友達ってこと?」

「でも違う。アスカは本当にいた。あの爆破が起こる前まで居間のソファで寝ていたんだ」

「その時あなたは何をしていたの?」

「受話器を手に持っていた」

「誰と話していたの?」

「誰かわからなかった」

「何を話したの?」

「母親が待ってるから外へ出ろって言われた」

「外に出たの?」

「とにかく確認するためにドアを開けた」

「その時見た光景を思い出せる?」

「森の中のような木に囲まれた家だったから、少し離れたところで車が一台止まっていたのが見えた。俺が外に出ると、車から母親が出てきて、もう一人知らない男の姿も見えた」

「それからどうしたの?」

「母親に手招きされて、俺は走り寄った。母親は俺を車に乗せようとしたので、アスカが家に居ると知らせた」

「アスカちゃんはどうなったの?」

「男が連れてくると言って家の中に入っていった」

「その人はアスカちゃんを見つけたの?」

「見つけた」

「それからどうしたの?」

「俺の前に差し出した」

「差し出した?」

「差し出したのはアスカが持っていた熊のぬいぐるみだった」

「それでアスカちゃんは?」

「どこにもいなかったって男が言った。そしたら熊のぬいぐるみがアスカだって、俺の母親が言いきった」

「熊のぬいぐるみが?」

「そう熊のぬいぐるみがアスカの正体」

「そしてその後どうしたの?」

「家が突然爆発した」


 この部分は何度語っても、心を締め付けられる。

 歪ませたジョーイの表情に気づくや、真須美は質問するのを止め、向きを変えてデスクに向かって何かを書き込んでいた。

 暫し沈黙が空間を無に変える。

 色がついていない全てが白い部屋の中は、わざとらしいほどに真っ白で気を狂わす。

 光が壁の白に溶け込むように、全てのものの存在が白く同化し、ジョーイも溶け込んでいきそうだった。

 茫洋な空間。

 足場の不安定な雲の上に置き去りにされるごとく、ふわふわと漂っている錯覚に陥る。

 それに酔いそうで吐き気を催し、我慢の限界に達した。

 この白さに染まるように全てを忘れてしまいたい──

 突然湧き出る感情にジョーイは沈黙を破った。


「先生、アスカは本当は俺が作り出した想像上の人物なんです。あの爆発もただのガス爆発の事故だった。だからもうこの治療は必要ないです。全て俺が作り上げたイマジネーション」

 真須美はその発言を無視して、腕時計に目をやった。

「今日はここまでにしましょう。新学期が始まったらまた定期的にカウンセリングをするということでいいわね」

「いつまでこんなことするんですか? もう架空の話を聞いてもつまらないでしょ」

「架空の話? つまらなくないわよ。ジョーイの心が覗けるもの。ジョーイの心の奥底に自分でも分かってないものが潜んでいるわ。ゆっくりと過去の話に付き合っていきましょう」

「だからそれがなんのためになるんですか?」

「あなたの心の傷を取り除いて、笑顔を取り戻すためよ」

「俺はそう思わない」

「あら、どういう意味?」

「いえ、別に深い意味は。だってこの心理治療も母が勝手にそうさせているだけだし、俺は別に悪いところなんてない」

「そうかな。私の目には全然普通の高校生らしく見えないんだけど。常に何かを抱え込んで生きることを諦めているような感じがする」

「俺が、自殺をするとでも?」

「そうは思わないけど、心の奥にある深い闇を取り除いてあげたいだけよ」

「それは口実で、本当は先生はビジネスもあるから、金づるの患者を逃したくないだけでしょ。だからいつも引き止める」

「あら、そんな口叩くのね。まあそうね、ジョーイ程のハンサムな患者は手放したくないのは当たってるかも。なんてね。こう言えば満足かしら?」

「先生は本当に精神科医だ。決して患者を否定しない。さっきのは俺が失礼でした。お詫びします。それじゃ俺、これで帰ります。ありがとうございました」

 ベッドから起き上がり、服を整えてドアに向かった。

「待ってジョーイ、嘘でもいいからもう少し私に笑顔を見せてくれない?」

 真須美にやり込められたジョーイは敗北を認めるが、その代償を払う気はなかった。

 無視をしてドアに向かい、ドアノブに手を掛けた。

 ジョーイは振り返りもせずさっさと部屋を出て行くと、パタンと静かなドアの閉まる音が早川真須美を虚しくさせた。

 自然に湧き起こるため息を、ふーっと吐き出し、デスクの端に置いてあった電話の受話器を手に取って、ダイアルをプッシュした。

「今日も何も発展はなしか……」

 そして電話が通じると、いかにも気だるく誰かに桐生ジョーイのことを報告していた。



 ジョーイはクリニックの受付を通り過ぎ、逃げるようにエレベーターへと向かった。

 下に下りるボタンを壊れるくらいに強く連打する。

 エレベーターは上の階で暫く止まっていた。

 それが下りて来るまでイライラし、右足を無意識にゆすりながら階を表す表示を睨みつけていた。

 やっとのことで、軽やかなベルの音がエレベーターの到着を知らせる。

 しかし、開いたドアの先には、数人の乗客がすでに乗り込んでいて、一斉にジョーイに視線を向けた。

 ジョーイの風貌が一般の日本人と違うと、興味本位で露骨にじろじろ見ている。

 それもいつもの事であるが、カウンセリングを受けた後は気持ちがささくれ立って尖ってしまう。

 ジョーイは仏頂面で乗り込み、くるりと向きを変えてドアの前に立った。

 ゆっくりとドアが閉まると、扉はメタル仕様のために後ろの乗客が映りこんでいるのが見える。

 そして全ての人間がジョーイを見ていた。

 特に過敏になっているこの時は、被害妄想にとらわれやすかった。

 いつも以上に大げさに物事を考え、自分がハーフであるという事になすりつける。

 決して悪い顔ではなく、その証拠にたまに道を歩いているだけで、女子高生に黄色い声を上げられ、露骨に後をつけられたこともあった。

 それはそれで鬱陶しいのだが、とにかくこんな風に常に人の視線を感じてしまうのだった。

 エレベーターのドアが開くや否や、滑るようにジョーイはその場を去った。

 ビルを出ると太陽の光がまぶしく、恨めしい。

 これでまた自分の髪の毛が金髪に近づくと思うとやりきれなかった。

 自分に西洋の血が混ざっているということだけでも、日本で暮らすには目立ちすぎる部分だが、かといってアメリカに戻ってもアジア人と部類されて、いけすかない白人からはチャイニーズとか言われる始末。

 結局はどっちなんだよと、自分のアイデンティティの確立を妨げられる。

 「一体俺は何人だ!」といつも大声で叫びたくなってしまう。

 どこに居ても基本的な状況は何も変わりはしないが、日本に住んでからジロジロ見られる回数が増えたように思う。

 それは常に誰かに見張られていると感じるほど、異常な程に。


 しかし、本当に誰かが故意にジョーイを監視しているとしたら──

 それが過去の記憶に関係のあるものだとしたら──

 消えたアスカと家の爆発の消化できない曖昧な記憶。

 カウンセリングを受けさせられる理由がこれなのだろう。

 過去に苦しみ、環境の変化の中で妄想を抱き、壊れる道まっしぐらの若き青年。

 それがジョーイの今の現状。

「くそっ、また視線を感じる」

 ジョーイは突然立ち止まり、生み出してしまった妄想の中の監視者を確かめるように、後ろを振り向く。

 どこから集まって来るのかわからない人間に取り囲まれ、ジョーイとすれ違った奴らは、一瞥を投げかけて歩いていく。

 ──俺は監視されているのか。

 ──妄想か、現実か。

 自分の容姿を含めた存在自体が、ここでは嘘に思えてならない。

 ジョーイは鼻で馬鹿にするように笑った。

 それは自分に対してか、周りの者に対してか、そんなことなどどうでもよくなくるくらい気が触れた笑みだった。

 来ていたジャケットに手を突っ込めば、前屈みに背中が丸まった。

 ビルとビルの間から発生する突風が、足元を吹き抜け、それを蹴散らすようにジョーイは再び足を動かした。

 それは荒っぽく、粋がって生意気そのものだった。

 その様子を、離れた建物の物陰から確実に誰かに見られているとも知らずに──

 そこには本当にジョーイを監視している輩がいた。

 その人物は、狼のように鋭い目を向け、自分の欲望をむき出しに、口元に笑みを浮かべていた。


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