ムーンディアの恩返し——異世界ハチ公のオフラン王国昔ばなし②
「橋姫の地球・異世界ハチ公と銀細工師シャーリー」より劇中劇
連載版となった場合第10話くらいになるお話です。
ここはヤシマ皇国の都。皇居近くの広場の一角
若い男が語り始めるのを沢山の聴衆が今や遅しと待ち構えていた。
彼の名はクロウ。誰も知らない彼の秘密。そう、彼は転生者だ。
半月ほど前にアマテラスの地球から、新しき神『橋姫』の手引きでこの世界に招かれて来たのだ。
美しい少女と愛らしい子犬の描かれた板の横に立ち、男は語り始めた。
*・*・*・*・*
「いつも同じ話ばかりですと、何度も足を運んでくださっている皆様も飽きてしまうかも知れません。わたしもちょっぴり飽きてしまうかも知れません」
どっと笑いが起こった。
「今日は『真なる忠誠の像の物語』とは別のお話を聞いていただきたいと存じます」
大きな拍手が起きる。新ネタは歓迎されるようだ。
「同じくオフラン王国の物語ですが、こちらは実際にあった話ではなくて作り話かも知れない物語です。
魔法の時代、人も魔獣も現代よりずっと魔力が強く、言葉を話す魔獣や人の姿に化ける魔獣が実際にいた時代のお話ですから、もしかしたら本当にあったお話かも知れません。
「それでは『ムーンディア(魔鹿)の恩返し』の物語、一時耳をお貸しくださいませ。」
*・*・*・*・*
冬の厳しい夕暮れ時でした。
貧しい木こりのジャンは、凍てつく森の中で、一本の銀の矢が脚に刺さり、もがいている一頭の白い牝鹿を見つけました。満月の夜には全身が銀色に輝くことからムーンディアと呼ばれている魔獣です。「おお、かわいそうに。貴族たちの狩りの獲物になってしまったのだな」ジャンは慈悲深くその矢を抜き、傷口を清め、自分のボロの上着を割いて手当をしてやりました。
牝鹿は澄んだ大きな瞳でジャンをじっと見つめると、深い森の奥へと消えていきました。
数日後の嵐の夜、ジャンの質素な小屋の戸を叩く者がいました。そこに立っていたのは、透き通るような白い肌と、驚くほど大きな瞳を持つ美しい娘でした。「道に迷ってしまいました。どうか一晩泊めていただけないでしょうか」身寄りもなく孤独だったジャンは彼女を迎え入れました。
エレーヌと名乗ったその娘は、いつしかジャンの妻となり、二人は貧しくとも幸せに暮らし始めました。
彼女が現れるまでは黒パンと薄い塩味の野草スープだけで満足していたジャンですが、エレーヌのために贅沢とまではいかなくても、もう少しマシな暮らしをさせてやる稼ぎが欲しいなあと切実に思うようになったのです。
エレーヌはジャンと一緒に暮らせれば貧しさなんて気にしなかったのですが、ジャンの気持ちも痛いほど伝わっていました。
ある日、エレーヌはジャンに言いました。
「ジャン、私にひと月だけ時間をください。あの薪小屋に籠もって仕事をします。その間、決して中を覗かないでください。それが約束です」
ジャンが不思議に思いながらも約束を守ると、一ヶ月後、彼女は一枚の布を携えて出てきました。
それは、当時のオフラン貴族さえ見たことがないほど繊細で、まるで朝露が凍ったかのような輝きを放つ、見事な「銀のレース」でした。
ジャンがそのレースを街の市場へ持っていくと、噂を聞きつけた地方の侯爵が、金貨百枚という破格の値段で買い上げました。
二人の生活は一変し、暖炉には常に火が灯り、テーブルにはパンとワインが欠かさぬようになりました。
初めての贅沢、だけどジャンは少しだけ変わってしまいました。
「エレーヌよお前の銀のレースは素晴らしい。もっとたくさん作れないものか」
「ごめんなさい。あの布はわたしの命を削りながら編む特別な物なの。作ってあげたいけどそうしたらわたしは無事ではいられないの」
「わかったよ。無理はしないでくれ。お前の命に替えられるはずがない。もう忘れてくれ」
そういいながらもジャンはため息をつくのでした。
しかし、エレーヌの布に魅せられた強欲な侯爵はさらなる美を求めました。
「次の晩餐会までに、王妃様に捧げるための、さらに巨大で豪華なタペストリーを織れ。さもなくば、お前の土地を没収する」と脅してきたのです。
怯えるジャンを見たエレーヌは、悲しげな顔をして再び薪小屋に籠もりました。
「これが最後です。決して、決して覗かないでくださいね」
しかし、一週間、二週間と経つうちに、ジャンの中に抑えきれない好奇心と、中から聞こえてくる「カサ、カサ」という奇妙な音が不安を掻き立てました。「エレーヌは一体どうやってあの光り輝く糸を作っているのだろう?」
ついに誘惑に負けたジャンは、鍵穴から部屋の中を覗き見てしまいました。
そこにいたのは人間ではありませんでした。部屋の真ん中に立っていたのは、あの日助けた白い牝鹿でした。牝鹿は自らの美しい白い毛を、一本、また一本と口で引き抜き、それを魔法のような手つきで銀の糸へと変えていたのです。
その体はすでに毛を失い、痛々しく痩せ細り、血が滲んでいました。
「ああ、見てしまったのですね、ジャン」
背後で声がし、ジャンが振り向くと、そこにはやつれ果てたエレーヌが立っていました。
「私はあの日、あなたに命を救われた鹿です。あなたの優しさに触れ、恩を返したいと願いました。ですが、正体を見られた以上、もう人間の姿でいることはできません」
「待ってくれ、エレーヌ!私は金などいらない、ただ君がいてくれれば……!」
ジャンの叫びも虚しく、エレーヌの姿は淡い光に包まれ、再び白い牝鹿へと戻りました。牝鹿は最後に一度だけ、あの時と同じ澄んだ瞳でジャンを見つめると、完成したばかりの眩いばかりのタペストリーを残し、積もった雪の中に音もなく駆け去っていきました。
その後、ジャンは二度と結婚せず、残されたタペストリーを売ることもありませんでした。オフランの長い冬が来るたびに、村人たちは森の入り口に佇む一頭の白い牝鹿の姿を見かけたといいます。
しかし、ジャンがその姿を二度と見ることはありませんでした。
*・*・*・*・*
溜息と、鼻をすする音と、こらえても漏れる嗚咽の声。
やがてパチパチと小さな拍手、しだいに大きな拍手の渦に変わっていた。
クロウが手を上げると喝采は止み静寂がもどった。
「魔獣と人との距離がとても近かった時代の物語、みなさまの心に届いたならば、それも一つの魔法なのかも知れません。
お付き合いいただきありがとうございました」
いっそう大きな拍手に包まれた。泣きながら拍手をしているご婦人たちもいる。クロウの本題はこれからだ。
「ありがとうございました。今日ご一緒にこの時を過ごしたみなさん、よろしければ頑張った私にご褒美をください。こちらの箱にお願いします」
笑いが起こった。「またかよー」とツッコミも聞こえる。
「そしてもし、私とともに『真なる忠誠の像』をここに置きたいと賛同して戴ける方はこちらの箱に寄付をお願いします。十エーンでも百エーンでも構いません。お気持ちだけで結構です。勿論もっとたくさんでも大歓迎ですよ」
そう言い終えて彼が「犬のようになつっこい笑顔」を振りまくといっそう大きな笑いが起こった。
満足げな聴衆は自然に列を作ると、語り部の箱に少しの小銭を落としてから、ハチの顔が描かれた箱に寄付をいれた。
今日は「ハチ公の物語」を話さなかった影響か、いつもより語り部の箱に入るお金が多く、ハチ公の箱に入る分が少ない。
最後に少し間を置いてから貧しい身なりの子供達が箱の前に立った。
落ち窪んだ目、痩せた体、継ぎ当てだらけだけど清潔な衣服。おそらく孤児院の子供たちだろう。
「お兄ちゃん、これだけしかないんだけどハチにあげて良い?」
そう言って傷だらけの手のひらに載せた汚れた百エーン銅貨を3枚差し出した。
クズ拾いや物乞いをやって何とか工面したお金だろう。
可哀想な、健気なハチにきっと自分達を重ねているのだろう。
「もちろんだよ。金額なんか関係ないさ。大切なお金なんだろう?そんな大切なものをくれたなら、君たちはもうハチの友達さ」
そう答えると子供たちは歓声をあげた。
「ありがとう、お兄ちゃん。はい」
ハチ公印の賽銭箱に子供達の百エーン銅貨が吸い込まれてゆく。
子供たちは何度も振り返っては手を振り走り去る。彼らが走る先に崩れかけた塀と、その向こうに古い孤児院の建物が見えた。
やはり孤児たちだった。
人々が立ち去り、すっかり重たくなった箱を抱えてクロウは呟いた。
「異世界、チョロすぎ」
おしまい
ハチ公の生まれ変わり?クロウと美貌の銀細工師シャーリーが紡ぐ異世界産業革命
新しき神・橋姫の使命を帯びてクロウはこの世界にやってきました。
この世界が「橋姫の地球」と呼ばれるまでの物語です。
評判が良ければ連載します。
単話で他のお話も掲載しています。よろしければご覧ください。




