7時間目 初めての夜と、3人の約束
図書室での襲撃から逃げ帰った俺たちは、逃げ込むように拠点の校長室へと戻った。
重厚な扉を閉め、鍵をかけ、さらには重たい観葉植物の鉢をドアの前に置いてバリケードを作る。
「……はぁ、はぁ。ここまで来れば、大丈夫か」
俺はその場にへたり込んだ。
窓の外はすでに漆黒の闇に包まれている。
校内の電気はまだ通っているが、節電のために廊下の電気は消してある。窓から見えるのは、自分たちの部屋の明かりが反射するガラスと、その奥に広がる濃い霧の壁だけだ。
「さっきの、何だったのよ……」
凛が青ざめた顔でソファに座り込む。
指先をさすっている。さっき火を出した感覚がまだ残っているのだろう。
「『ポルターガイスト現象』の一種だろうね」
東雲センパイは、なぜか嬉しそうに校長室の書棚から『学校の沿革』という分厚い本を取り出し、ペラペラとめくっていた。
「空間転移の裂け目から漏れ出した魔力が、物体に宿って『付喪神』化している。図書室の本や、理科室の人体模型は、元々『人の念』がこもりやすいからね」
「分析はいいですけど……あんなのがウジャウジャ出てくるなら、うかつにトイレも行けないですよ」
「ふむ。だが、私の『目』で見る限り、この校長室は安全だ」
センパイが眼鏡のブリッジをくいっと持ち上げる。
そのレンズの奥の瞳が、一瞬だけ青白く発光したように見えた。
「……センパイ、その目」
「ああ、私の能力は『読解』とでも呼ぶべきかな。視界に入った無機物の『情報』や『構造』が文字として見えるんだ。この部屋は結界密度が高い。外の魔物は入ってこられないよ」
地味だが、サバイバルにおいて最強の索敵能力だ。
俺の『固定』、凛の『着火』、センパイの『読解』。
バラバラだった3人のピースが、カチリと嵌まった気がした。
*
夜が更けていく。
誰もいない学校の夜は、想像以上に静かで、そして重い。
風が窓を揺らす音だけで、心臓が跳ね上がる。
俺たちは自然と、部屋の中央にあるソファセットに集まっていた。
広い校長室の隅に離れて寝るのは、精神的にきつかったからだ。
「……ねぇ」
膝を抱えてソファに座っていた凛が、ぽつりと呟いた。
「私たち、戻れるのかな」
それは、今日一日、あえて誰も口にしなかった言葉だった。
昼間は「学校独占だ!」とはしゃいでいたが、夜の静寂はその強がりを容易く剥がしていく。
「異世界に行った連中は、勇者とか賢者とかになったんでしょ? 私たちは、ただの残りカスじゃん。誰も助けに来ないんじゃない?」
凛の声が微かに震えている。
普段は強気な不良少女の、年相応の弱音。
俺は天井を見上げ、ゆっくりと息を吐いた。
「戻れるさ。絶対に」
根拠なんてない。でも、今はそう言わなきゃいけない気がした。
「俺たちの能力は、そのためにあるんだと思う。向こうが剣と魔法で戦ってるなら、こっちは知恵と工夫で生き残るんだ」
「……カケル君の言う通りだ」
センパイが、温め直したコーヒーを3つのマグカップに注いでくれた。
「それに、考えようによってはラッキーだぞ? 明日も1限から数学を受けなくていいんだ」
「ふふっ、何それ」
凛が小さく笑った。
張り詰めていた空気が、少しだけ緩む。
俺はマグカップを受け取り、二人に向き直った。
「一つ、約束しよう」
「約束?」
「ああ。この異常事態だ。何が起きるかわからない。だから――」
俺は言葉を選び、二人の目を見て告げた。
「『絶対に死なない』。これだけは守ろう。誰か一人でも欠けたら、たぶん俺たちは心が折れる。だから、ヤバい時は見捨てずに助け合う。いいか?」
クサいセリフだとは思う。普段の俺なら絶対に言わない。
でも、この広すぎる無人の校舎で、俺たちを繋ぎ止める「言葉」が必要だった。
センパイはニヤリと笑って、マグカップを掲げた。
「了解だ。私の頭脳は君たちの生存率を上げるために使おう」
凛は少し照れくさそうに視線を逸らしたが、すぐに顔を上げ、俺たちを見た。
「……わかったわよ。アンタたちが死にそうになったら、私が燃やして助けてあげる」
「燃やすのは敵にしてくれよ?」
俺たちは笑い合い、マグカップを軽くぶつけ合った。
カチン、と陶器の音が夜の校長室に響く。
*
その夜。
俺たちはソファをベッド代わりにして、3人で川の字になって眠ることにした。
真ん中が凛(本人が端っこは怖いと主張したため)、右が俺、左がセンパイだ。
「……おやすみ」
「ああ、おやすみ」
消灯すると、部屋は完全な闇に包まれた。
だが、すぐ隣から聞こえる二人の寝息が、何よりも安心できるBGMだった。
明日は何をしよう。
もっと食料を集めよう。バリケードを強化しよう。
そしていつか、あの黒板の向こうの勇者に「ざまぁみろ、俺たちは元気だぞ」と言ってやるんだ。
俺の意識は、深い眠りへと落ちていった。
――翌朝。
目覚めた俺たちが、理科室の人体模型が“動いている”光景を見て絶叫するのは、まだ少し先の話である。




