6時間目 能力の片鱗
ガタッ、ゴトッ。
その音は、確かに廊下の奥から聞こえてきた。
俺たちは鉄板をつつく手を止め、顔を見合わせた。
「……ねぇ。今の音、何?」
凛が箸を止めて、怯えたように扉の方を見る。
風の音にしては重すぎる。誰かが歩いているような、あるいは物を引きずっているような不規則なリズムだ。
「風で窓が揺れただけじゃないか?」
「いや、窓は閉め切っている」
東雲センパイが眼鏡の位置を直し、懐からペンライトを取り出した。
彼の目は、科学者特有の好奇心でギラギラと光っている。
「行ってみよう。もし生存者なら保護しなければならないし、侵入者なら排除しなければならない」
「……マジですか。俺、オカルトは勘弁ですよ」
文句を言いながらも、俺はスマホのライトを点灯させた。
一人で教室に残るほうがよっぽど怖い。凛も無言で俺のジャージの裾を掴んでついてくる。
*
廊下に出ると、音の発生源はすぐに特定できた。
図書室だ。
教室から少し離れた特別棟の渡り廊下の先にある、蔵書数3万冊を誇る自慢の図書館。
入り口の引き戸が、少しだけ開いている。
「……誰か、いるんですか?」
俺が声をかけるが、返事はない。
代わりに、バサッ、バササッという、鳥が羽ばたくような音が聞こえた。
センパイを先頭に、俺たちは図書室へと足を踏み入れた。
スマホのライトが、並び立つ背の高い本棚を照らす。
「ひっ……!」
凛が短く悲鳴を上げた。
床に、無数の本が散乱している。まるで、誰かが手当たり次第に棚から引き抜いて放り投げたようだ。
「荒らされている……? いや、これは……」
センパイが床の本を拾おうとした、その瞬間だった。
ズズズズズ……!
俺たちのすぐ横にあった、高さ2メートルはある巨大な木製の本棚が、不気味な音を立てて傾き始めた。
地震じゃない。まるで「意思」を持ったかのように、ピンポイントで俺たち――いや、最後尾にいた凛に向かって倒れてくる!
「凛! 危ない!」
俺は反射的に動いていた。
逃げろと叫ぶよりも早く、俺は凛と本棚の間に体を割り込ませていた。
だが、間に合わない。
数百キロはある本棚の質量が、俺たちの頭上から迫る。
支えられるわけがない。潰れる――!
(止まれッ……!!)
俺は死に物狂いで腕を突き出し、倒れてくる本棚に向けて掌を押し当てた。
脳内で、強烈なイメージが弾ける。
この空間に、画鋲を突き刺すような感覚。
ガギィンッ!!
金属が噛み合ったような硬質な音が響いた。
「……え?」
俺は目を疑った。
本棚が、俺の掌から数センチ離れた空中で「静止」していた。
斜めに傾いたまま、まるで時間が止まったかのようにピクリとも動かない。重さを感じることもない。
「嘘……浮いてる?」
腰を抜かした凛が、下から俺を見上げている。
俺自身もわけがわからず、恐る恐る手を引いた。
ドズゥゥゥン!!
手を離した瞬間、本棚は猛スピードで落下し、床に激突した。
舞い上がる埃。俺たちは呆然と、横倒しになった本棚を見つめた。
「カケル君。今の現象は……」
センパイが何か言いかけた時、さらなる異変が起きた。
倒れた本棚から飛び出した数冊のハードカバーの本が、独りでに宙に舞い上がったのだ。
バサバサとページを開閉させながら、まるで牙を剥く獣のようにこちらへ向かってくる。
「な、何よこれ! 本が襲ってくるなんて聞いてない!」
「くそっ、やっぱりポルターガイストか!」
俺は凛を抱えて後ずさる。
一冊が弾丸のような速度で突っ込んでくる。俺の能力(?)は、どうやら「触れないと発動しない」っぽい。遠距離攻撃には無力だ。
その時、パニックになった凛が叫んだ。
「あっち行ってよおおお!!」
彼女がやけくそ気味に、迫りくる本に向かって手を突き出した。
ボッ!!
凛の細い指先から、赤い閃光が走った。
魔法のような火球ではない。
100円ライターの火を、少しだけ強くしたような小さな炎。
だが、それは乾燥した紙の塊である「本」には効果てきめんだった。
炎に触れたページが一瞬で燃え上がり、襲ってきた本は火だるまになって床に落ちた。
「え……?」
凛が自分の指先を見つめる。
人差し指の先から、チョロチョロと小さな炎が出ていた。まるでロウソクのように。
「あちっ! 熱くない……?」
凛が手を振ると、炎は消えた。
残りの本たちは、炎に恐れをなしたのか、あるいは魔力が尽きたのか、バタバタと力なく床に落ちて動かなくなった。
静寂が戻る。
俺たちは荒い息を吐きながら、散乱した図書室に立ち尽くした。
「……ふむ。興味深い」
一人だけ冷静な東雲センパイが、燃えカスになった本と、俺たちの顔を交互に見て、ニヤリと笑った。
「どうやら、異世界からの『おこぼれ』をもらったのは、場所(学校)だけではなかったようだね」
「おこぼれって……まさか、これが『能力』ってやつですか?」
「しかも厄介なのは、向こう側とこちら側で“時間の流れ”が一致していない可能性が高いことだ」
「黒板の反応速度や魔力の残留量を考えると――ただし、どちらが早いかは測れない。
あるいは、その逆が起きてもおかしくない」
――もし向こうで一年が過ぎて、こちらでは一日しか経たないとしたら。
俺たちは、いつまで“安全圏”にいられるんだ?
俺は自分の掌を握りしめた。
さっきの感覚。空間そのものをピン留めするような手応え。
「カケル君は『対象の固定』。凛君は『発火』。どちらも規模は小さいが、物理法則を無視している」
センパイは嬉しそうに眼鏡を光らせた。
「おめでとう。我々はただの遭難者から、『異能の生存者』にジョブチェンジしたわけだ」
俺と凛は顔を見合わせた。
手のひらに残る熱と違和感。
それは、これから始まる過酷な「校内ダンジョン攻略」の、唯一の武器となるものだった。




