4時間目 黒板からの怪文書
校長室での優雅なランチタイムを終えた俺たちは、一旦、元の教室に戻ることにした。
カバンやスマホ、それに東雲センパイが科学部に置いてきた怪しい機材を回収するためだ。
「……やっぱり、誰もいないと不気味ね」
2年B組の教室に入った凛が、腕をさすりながら呟く。
校長室のふかふかソファから戻ってくると、教室の無機質な空気が余計に冷たく感じられた。
「俺のカバンは……あった」
俺は自分の席に行き、椅子の背に掛かっていた通学カバンを手に取る。中に入っていたスマホを確認するが、やはり圏外のまま。LINEの通知も来ていない。
「おや、妙だね」
教壇の近くで床を調べていた東雲センパイが、不思議そうな声を上げた。
「センパイ、何か見つけました?」
「うむ。転移魔法陣の焼け跡なんだが……ここだけ微弱な魔力反応が残っている。まるで、向こう側の世界と『回線』が繋がったままのような……」
センパイがブツブツと呟いた、その時だった。
キィィィィィィィ…………!
鼓膜を引っ掻くような鋭い音が、教室中に響き渡った。
「きゃっ!?」
「うおっ!?」
俺と凛は飛び上がった。
音の出処は、教室の前方――黒板だ。
誰もいないはずの黒板の前で、白いチョークが宙に浮いていた。
いや、見えない透明人間が握っているかのように、チョークが震えながら黒板に押し付けられている。
「な、何よあれ! ポルターガイスト!?」
「落ち着け凛、火を出すな! 黒板が燃える!」
俺は凛を制しながら、黒板を凝視した。
チョークは、まるで幼児が力任せに書くように、あるいはダイイングメッセージを刻むかのように、ゆっくりとギザギザな線を引いていく。
ガリッ、ガリッ、キィィィ……。
粉を撒き散らしながら浮かび上がったのは、ひらがな二文字だった。
『 み ず 』
――みず?
俺たち3人は顔を見合わせた。
幽霊にしては、随分と生活感のある要求だ。
「誰だ! そこにいるのか!」
俺が叫ぶと、チョークはビクッと止まり、再び動き出した。
今度はもっと乱暴に、書き殴るように。
『 ご う と く じ 』
「……は?」
俺は思わず気の抜けた声を出した。
豪徳寺。
それは、このクラスの委員長であり、成績優秀、スポーツ万能、親が政治家という、いけ好かないイケメンの名前だ。
「豪徳寺って……あの転移に巻き込まれた?」
「おそらくね」
東雲センパイが興味津々といった様子で黒板に近づく。
「仮説だが、向こうの世界にある『通信機』と、この黒板が量子的にもつれ合って同期しているようだ。向こうで文字を書くと、ここに反映される」
センパイは落ちていた別のチョークを拾い上げると、黒板の空いているスペースにサラサラと返事を書いた。
『 どちら様でしょうか? 』
すぐに返事が来る。
チョークが折れそうなほどの筆圧で。
『 勇 者 豪 徳 寺 だ ! ふ ざ け る な ! 』
『 お 前 ら だ け 残 っ た の か ! 』
「うわぁ、本人確定だわ。この偉そうな感じ」
凛が呆れたように肩をすくめる。
『 そ っ ち に 戻 せ ! 』
『 無 理 な ら 水 を よ こ せ 』
『 砂 漠 で 死 に そ う だ 』
次々と浮かぶ文字。
どうやら向こうは、いきなり過酷な環境(砂漠)に放り出されたらしい。
文字が震えているのは、怒りか、それとも脱水症状で手が震えているのか。
俺は手の中にある、さっき校長室から持ち出したペットボトルを見た。
『高級・玉露入り緑茶』。
キンキンには冷えていないが、喉を潤すには十分すぎる代物だ。
「……ねぇ、カケル。これ、送ってあげられないの?」
「センパイ、どうなんですか?」
「無理だね」
センパイは即答した。
「黒板はあくまで『モニター』だ。物質転送装置ではない。こちらの映像や文字を見せることはできても、物を送ることはできないよ」
つまり、俺たちは彼らに何もしてやれない。
ただ、黒板を通じて会話ができるだけだ。
俺はチョークを手に取った。
必死に助けを求めるかつてのクラスメイト。
本来なら、同情すべき場面だ。
だが、俺の脳裏に浮かんだのは、いつも俺たち「地味グループ」を見下して鼻で笑っていた豪徳寺の顔だった。
――あーあ、相沢くんは気楽でいいよねぇ。俺なんか期待されてて大変だからさ。
そんな声が蘇る。
俺はニヤリと口角を上げると、黒板に大きく書き込んだ。
『 ごめん、送り方わかんないわ 』
そして、ダメ押しで続ける。
スマホを取り出し、飲みかけの高級緑茶と、食べかけのカツサンドを並べて写真を撮る。
その画面を、黒板の前にかざした。
『 こっちは校長室の茶葉でティータイム中。悪いな 』
一瞬の間の後。
黒板のチョークが、凄まじい勢いで暴れ回った。
『 ぶ っ 殺 す ぞ お 前 ら ァ ァ ! ! 』
ガシャッ!
勢い余ってチョークが粉砕し、床に落ちた。通信途絶。
「……あーあ、怒らせちゃった」
「性格悪いわね、アンタ」
凛がジト目で俺を見るが、その口元は少し笑っていた。
「ま、向こうが勇者なら、水くらい魔法でなんとかするだろ。俺たちは俺たちの生活を守るぞ」
俺の言葉に、二人は頷いた。
黒板に残された『ぶっ殺す』の文字が、不思議と心地よかった。
俺たちは、選ばれなかったんじゃない。
勝ち組として、ここに残ったのだ。




