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記憶の檻に囚われた伯爵令嬢は、氷の貴公子の慧眼に見出され、偽りの婚約者に裁きを下す  作者: 九葉


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第三話

王宮で最も絢爛豪華な「星見の間」で、今宵もまた華やかな夜会が催されていた。しかし、今夜の私は、以前のように壁際に咲く孤独な花ではなかった。シュヴァルツヴァルト公爵家の威光を背に、アレクシス様の隣に立つ私は、周囲の貴族たちから畏敬と好奇の視線を一身に浴びていた。


アレクシス様が用意してくださった、夜空の深い青を写し取ったかのようなシルクのドレス。控えめながらも、その生地と仕立ての良さは一目で最高級品とわかるものだった。それは、私という人間そのものに敬意を払って選ばれた、戦いのための衣装だった。


案の定、私たちの存在にいち早く気づいたリヒャルトとイザベラが、歪んだ笑みを浮かべて近づいてくる。リヒャルトは、私の変化に一瞬目を見開いたものの、すぐにいつもの侮蔑的な表情に戻った。彼は、私がアレクシス様の庇護下にあることの意味を、まだ正しく理解できていないようだった。むしろ、彼にとっては、自分の所有物であった「人形」が、他の男の隣で美しく着飾っていることが、許しがたい裏切りに映ったのだろう。


「これはこれは、エリアーナ。ずいぶんとまあ、見違えたじゃないか。公爵閣下のお情けでも乞うたのか? だが、そんな付け焼き刃の装飾で、お前の空っぽな中身が隠せるわけでもあるまい」

「リヒャルト様、おやめになって。エリアーナ様も、少しは恥というものをお知りになったらどうです? 婚約者であるリヒャルト様を差し置いて、他の殿方と親しげに……。ああ、見っともない」


イザベラの甲高い声が、わざとらしく周囲に響き渡る。彼らは、ここが自分たちのための舞台だと信じて疑っていない。そして、今宵、この公衆の面前で、私との婚約破棄を宣言し、私を完全に社交界から抹殺するつもりなのだ。その傲慢な計画は、彼らの表情から手に取るようにわかった。


リヒャルトは、集まってきた人々の注目を浴びて満足げに頷くと、芝居がかった仕草で私の前に一歩進み出た。

「皆、聞いてくれ! この場を借りて、皆に報告すべきことがある。私、リヒャルト・フォン・ベルガーは、ヴァインベルク伯爵令嬢エリアーナとの婚約を、本日をもって破棄することを宣言する!」


宣言と共に、場がざわめく。リヒャルトは勝ち誇ったように続けた。

「彼女は、私の婚約者でありながら、その心は氷のように冷たく、感情を持たない。まさに玻璃の人形だ。私の真実の愛に応えてくれる、心優しきイザベラ嬢こそ、私の隣に立つにふさわしい!」


彼はイザベラの手を取り、高々と掲げる。同情的な視線が私に、そして羨望の眼差しがイザベラに注がれる。これが、彼が描いた筋書きのクライマックスだった。


しかし、その筋書きは、次の瞬間、氷の刃によって無残に引き裂かれることとなる。

ずっと黙って成り行きを見守っていたアレクシス様が、静かに、しかしホール全体に響き渡る声で、口を開いた。


「――茶番は終わりか、ベルガー子爵」


その声に含まれた絶対零度の冷たさに、リヒャルトの得意満面な顔が凍りついた。

「ア、アレクシス閣下……。これは、我々の間の……」

「黙れ」


アレクシス様の一言で、リヒャルトは口をつぐんだ。アレクシス様は、リヒャルトとイザベラを、まるで汚物でも見るかのような目で見据えた。


「ベルガー子爵。貴様がエリアーナ嬢を『感情のない人形』と罵ったそうだな。だが、本当に空っぽなのは、貴様の方だ。他人の才能を盗み、自らの功績と偽らなければ、己の価値を証明することすらできぬ、無能な男よ」


「なっ……何を、根も葉もないことを!」

狼狽するリヒャルトを無視し、アレクシス様は近くに控えていた壮年の騎士に合図を送った。その騎士――王宮騎士団長であるマルティン辺境伯は、厳しい表情でリヒャルトの前に進み出た。


「ベルガー子爵。いや、リヒャルト。シュヴァルツヴァルト公爵家からの情報提供を受け、貴官のこれまでの功績について、我々は再調査を行った」


マルティン辺境伯の重々しい声に、リヒャルトの顔から完全に血の気が引いた。

アレクシス様が、反撃の口火を切る。

「三ヶ月前の『隣国との交易路に関する報告書』。あれは、エリアーナ嬢が商業ギルドの会合で得た情報を丸写しにしたものだな? 貴様自身の調査は、一行たりとも入っていない」

「そ、そんなはずは……!」

「では聞こう。その交易路の途中にある、ミルヴァの森の盗賊団について、貴様の報告書には一切の記述がなかった。結果、王国の輸送隊が襲われ、多大な損害が出た。エリアーナ嬢の記憶によれば、ギルドの会合ではその盗賊団の危険性についても言及があったはずだが? 貴様は、己の功績を大きく見せるために、その不都合な情報を意図的に削除した。違うか?」


周囲の貴族たちの見る目が、驚きから疑惑へと変わっていく。アレクシス様の追及は止まらない。

「半年前の昇進試験。戦術史に関する解答は、エリアーナ嬢が王立図書館の蔵書から探し出した情報を、貴様に教えたものだ。先日、貴様が提出した『辺境地域の治安維持に関する報告書』に至っては、現行法と矛盾する、建国初期の古い法を根拠に論を進めている。これは、エリアーナ嬢がシュヴァルツヴァルト家の書庫で発見した古文書の知識を、貴様が聞きかじって悪用した結果だ。その杜撰な報告書のせいで、我が国の法務局がどれだけ混乱したか、わかるか?」


次々と暴かれる偽りの功績。その一つ一つが、私の記憶に基づいた、揺るがすことのできない事実だった。リヒャルトはもはや反論もできず、蒼白な顔でわなわなと震えている。


そして、アレクシス様は私を一瞥すると、その声に初めて、はっきりとした怒りの色を乗せた。

「貴様は、エリアーナ嬢の類稀なる才能を、己の虚栄心のために利用し、搾取し続けた。そればかりか、衆目の前で彼女を辱め、その尊厳を傷つけた。その罪、万死に値する!」


圧倒的な断罪の言葉だった。誰もが、リヒャルトの卑劣な行いを知り、軽蔑と怒りの視線を彼に向ける。

イザベラは信じられないといった様子で、リヒャルトの腕を掴んだ。

「嘘よ、リヒャルト様! この女の戯言でしょう!? あなたは、ご自分の力で分隊長にまでなられた、優秀な方のはず……!」

その言葉が、リヒャルトの最後のプライドを打ち砕いた。彼は、私を睨みつけ、獣のような声を上げた。

「そうだ! こいつが、この女が俺を騙したんだ! 俺は、こいつの記憶力に利用されていただけだ!」


見苦しい責任転嫁。だが、もう誰も彼の言葉を信じない。

私は、今までずっと黙っていた唇を、静かに開いた。

「……いいえ、違います、リヒャルト様。私はあなたに、ただの一度も嘘をついたことはございません。あなたがお聞きになることに、記憶の通りに、正確にお答えしただけです。その情報をどう使い、どのように偽りの報告書を作成なさるのかは、全てあなたご自身の選択です」


冷静に、事実だけを告げる私の声は、ホールによく響いた。人々は、今や私を「人形」としてではなく、理知的で、そして不当な扱いに耐え抜いてきた、一人の気高い令嬢として見ていた。私の真価が、ようやく、この王都の社交界で認められた瞬間だった。


マルティン辺境伯が、リヒャルトに最終通告を突きつけた。

「リヒャルト・フォン・ベルガー! 騎士の名誉を著しく汚し、王国に損害を与えた罪により、貴様の爵位、及び騎士団における全ての地位を剥奪する! また、不正に得た報酬は全額没収の上、辺境の監視所への無期限送致を命ずる!」


「そ、そんな……いやだ、いやだぁぁっ!」

リヒャルトの絶叫が虚しく響き、彼は騎士たちによって引きずられていく。イザベラは、全てを失ったリヒャルトを見て腰を抜かし、その場にへたり込んだまま動けなかった。彼女の未来もまた、共犯者として、社会的に完全に抹殺されたのだ。


嵐が過ぎ去った静寂の中、アレクシス様は、私に向き直った。そして、集まった全ての貴族たちに聞こえるように、はっきりと宣言した。

「エリアーナ・フォン・ヴァインベルク嬢は、シュヴァルツヴァルト公爵家が最大級の敬意を払い、庇護する。彼女の知性と才能は、この国の宝である。今後、彼女を不当に扱う者は、シュヴァルツヴァルト家全てを敵に回すものと心得よ」


それは、絶対的な守護の宣言だった。

そして彼は、私に向かって、そっと手を差し伸べた。その表情には、もはや「氷の貴公子」の面影はなく、ただただ優しい、慈愛に満ちた微笑みが浮かんでいた。

「――さあ、行こう、エリアーナ。君の新しい人生の、始まりのワルツを踊ろう」


私は、その手を、迷うことなく取った。彼の温かい手に導かれ、ホールの中心へと歩み出す。流れ始めた美しいワルツの調べに合わせて、私たちはゆっくりと踊り始めた。

彼の腕の中で、私はもう、記憶の檻に囚われた人形ではなかった。一人の人間として、私の価値を見出してくれた、唯一の人の隣で、未来へと続くステップを踏み出していた。

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