第3話「聖剣の継承」
【カイ=オルランド視点】
あの夜の戦いから、数日が過ぎた。
だが、俺の心はあの瞬間に囚われたままだった。
レオンの剣の重さ。
戦場を染める血の赤。
そして、胸の奥で囁いたあの声――「千年の宿命」という言葉。
すべてが、まだ鮮明に脳裏に焼きついている。
騎士団の訓練場。
朝靄が立ち込める中、俺は剣を振り続けていた。
泥に足を取られても、刃こぼれした剣の柄が手に食い込んでも、止まらなかった。
あの夜に見せた一太刀を、俺はこの手で取り戻したい。
あれは偶然じゃない。
俺のすべてを懸けた剣舞の証だ。
もう二度と――誰も死なせないために。
「……ふぅ」
息を吐き、剣を握り直す。
全身が汗で濡れ、肩で息をする。
だが、心の奥に宿る熱だけは冷めることはなかった。
(千年の宿命……それが何であろうと、俺は……)
その時だった。
訓練場の入り口に立つ白銀の鎧。
リシェル=エルフェリア。
銀髪が朝日に微かに光を帯び、翡翠の瞳は俺を真っ直ぐに見据えている。
「カイ、少し……時間をいいかしら?」
その声は穏やかだが、どこか決意を帯びていた。
俺は剣を下ろし、頷く。
「リシェル。何かあったのか?」
彼女は静かに首を振る。
だが、その表情は何かを伝えようとする強い意志に満ちていた。
「……ついてきてほしい場所があるの。私の故郷、聖騎士団の聖域へ」
その言葉に、胸がざわついた。
聖騎士団――かつて王家に仕え、世界を支えた伝説の騎士たち。
リシェルは、その末裔だ。
彼女がそこへ俺を誘う理由……それは。
「聖剣の継承……だな?」
俺の問いに、リシェルは小さく驚いたように目を見開く。
だが、すぐに静かな笑みを浮かべて頷いた。
「……そう。私の一族に伝わる聖剣。その封印を解く儀式を、あなたと共に臨みたい」
リシェルの声は震えていない。
その瞳に映るのは、覚悟だけだ。
「なぜ、俺なんだ? 聖剣はお前の血に連なるものだろう?」
正直、戸惑いはあった。
俺は、聖騎士の末裔でもなんでもない。
ただの下級騎士にすぎない俺が、なぜ――。
だが、リシェルは迷いなく答えた。
「カイ。あの夜、あなたの剣は私たちを守った。運命の剣舞を放ち、あのレオンにすら屈しなかった。……それこそが、聖剣を継ぐにふさわしい“意志”だと私は思う」
その言葉に、心臓が跳ねた。
あの夜の戦いが――偶然じゃなかったと証明されたようで。
(俺の剣は……まだ届くかもしれない)
その想いが、胸の奥に熱を灯す。
「分かった。俺にできることなら、力になる」
そう言うと、リシェルの瞳に微かな安堵が浮かぶ。
だが、その奥にはまだ見えない影が揺れているようだった。
(リシェル……お前もまた、何かを背負っているんだな)
俺は剣を腰に収め、彼女の後を追う。
この先に待つ儀式が、どんな困難を呼ぶかは分からない。
けれど、剣を握る者として、逃げる理由はなかった。
【リシェル=エルフェリア視点】
森の奥へと足を踏み入れると、昼間だというのに光は薄く、まるで夜の底に迷い込んだように世界が沈んでいた。
霧は白く息づき、木々のざわめきが呪いめいた囁きに変わる。空気は冷たく澱んでいて、吐息が白く凍るたび、胸の奥が震えた。
(千年の宿命……私の一族に刻まれた祈りの地)
心の奥で、かすかに指が震える。けれど剣の柄を握る手だけは強く――冷たい鉄の感触にすがるようにして、私は歩みを進めた。
背後を歩くカイも、また無言だった。
だが、その沈黙の中に、確かな変化があった。あの夜、運命を刻む剣舞を放った彼の背には、もうあの頃の影はない。
研ぎ澄まされた気迫が、霧の向こうに鋭く光を放つように感じられた。
「……リシェル、ここが……聖域なのか?」
低く抑えられた声。その声に、私は短く息を呑んで頷く。
「ええ。ここは――千年前に、王家が聖騎士団に託した祈りの地。聖剣の封印が眠る場所よ」
そう言う自分の声に、震えがにじむのを感じた。
私の一族に伝わる伝承。それは神話ではない。目の前に、現実として立ちはだかっている。
霧がわずかに裂け、苔むした石段が現れた。
石は緑に覆われ、時の重みを呑み込むようにしっとりと濡れている。
その先に、荘厳な石造りの神殿が姿を現した。神殿の門に刻まれた聖紋は、薄い光の中で静かに輝き、私たちの歩みを見据えているようだった。
(ここが……始まりと終わりの場所)
「……リシェル」
後ろからカイの声が聞こえた。
目を向けると、彼の視線はまっすぐ神殿を射抜いていた。恐れではなく、ただその先を見据える意志。
私の胸が、熱くなる。
「……行こう」
短く言って、私は門に手をかける。軋む音が、霧の中に溶けていった。
中は薄暗かった。
蝋燭の火さえ揺らめかず、空気はひどく静かだ。
中央に据えられた祭壇。その上に置かれた白布に包まれた剣――それが、私の一族に伝わる聖剣《エルフェリアの光》だ。
足を踏み入れるたび、胸の奥に恐怖が芽生えた。
(この剣を解放すれば……どれほどの重みが、私たちを試すのか)
でも、その恐れは、今はもう私を縛らない。
「カイ」
振り返り、彼の瞳を見つめる。
その瞳に、迷いはなかった。
それでも――私の声は震えた。
「……私の力だけじゃ、この剣の封印は解けない。あなたの“意志”が必要なの」
震えながらも、その言葉に偽りはなかった。
カイは一瞬だけ目を伏せた。唇がかすかに揺れる。
その仕草が、私の胸を刺すように痛い。
(カイ……あなたの中にも、迷いがあるのね)
「……俺は……」
カイは低く呟くように言った。
その声は、どこか遠い場所に届かない声のようだった。
けれどすぐに、まっすぐ私を見据えて言い切った。
「わかった。……お前と、この剣の力を信じる」
その瞬間、私の中で何かが震え、そして静かに灯る。
「……ありがとう」
小さく、でも確かな声で答えた。
祭壇へ近づくと、冷たい空気がひりつくように肌を切った。
白布に指をかけると、その重さに心が一瞬だけ揺らぐ。
それでも――布を剥ぐ。
刃が銀の光を放ち、神殿の薄明かりを照り返す。
触れれば切れる。そんな確信が、指先を凍えさせた。
「……これが、聖剣……」
カイが低く呟く。
その声に、剣を見つめる私の瞳が、かすかに熱を帯びる。
(この剣に、私たちの運命が……この世界のすべてが)
深く息を吸い込む。
そして、胸の奥で囁く恐怖を押し殺す。
詠唱を始める私の声は震えていた。けれど、その震えの奥にあるのは、迷いではなく決意だった。
「――聖なる剣よ、我が祈りを受け入れたまえ。
汝が光を、汝が意志を、我が血と共に紡がん」
言葉が神殿に反響する。石の壁がわずかに軋むような音を立て、冷たい空気が震える。
聖剣の刃が、微かに光を帯びたその瞬間。
――空気が、変わった。
霧が渦を巻くように神殿の奥から黒い影が滲み出す。
それは冷たく、深い闇のような気配だった。
頬を切り裂く風が、私の血を一筋、赤く浮かせる。
「……これは……!」
影の中から声が響く。
『千年の宿命を背負う者よ。汝は試される』
その声は、あの夜カイを囚えた声と同じ。いや、それ以上に深く、古い響きだった。
「カイ……!」
振り返った先で、カイは剣を引き抜いていた。
その瞳に、恐れはなかった。
私の心を支えていた剣の冷たさが、逆に背筋に力をくれた。
(私も……退かない)
「……行こう」
私の声に、カイが短く頷いた。
神殿に満ちる闇の声は、私たちを試すためのものだと知っている。
ならば、恐れる理由はどこにもない。
刃を握る音が、神殿の静寂に響く。
運命はこの剣に宿る。
そして私は――その剣を支える者であると、何度でも誓おう。
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