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第10話「剣よ、運命を超えて」


【カイ=オルランド視点】


 塔の扉が、錆びた鎖を引き千切るような悲鳴を上げて開いた。瞬間、冷気が靴底から脛へ絡みつき、膝の裏を這い上がって心臓を指先で摘まれる感覚が走る。石造りの回廊は闇に沈み、わずかに灯る紅い光が壁の紋章を血の斑点のように染めていた。息を吸えば硫黄と鉄の匂いが喉を焦がし、鼓動の一拍ごとに鎧の内側へ冷水が滴るような錯覚が広がる。


 ――怖気づくな。

 足を踏み出すたび、靴裏が石に刻む硬い音が天井へ跳ね返り、今しがたの決意を試すように重くのしかかる。剣柄にかけた親指が汗で滑り、ほんの一瞬、刃を抜く角度が狂うのではという妄念が脳裏を掠めた。舌の奥が乾き、喉が嫌な音を立てる。


 (それでも――進む)


 リシェルが隣に並ぶ。銀髪は塔の紅光を反射し、ゆらゆらと涙のように揺れては闇へ溶けた。彼女の白銀の鎧には幾筋もの傷跡が走り、その一つひとつが戦いの数だけ誓いを刻んできた証だ。

 「カイ……この先にこそ、すべての答えがある」

 吐息混じりの声は震えていない。しかし剣を握る指先はわずかに収縮し、眩むほどの緊張が血筋を通じて伝わる。


 「……ああ」

 短く応じた瞬間、胸の奥で小さな恐怖が爪を立てた。だが、それを押し戻すように柄を握り直す。刃は重い。だがその重さは恐怖ではなく、守ると誓った想いの質量だ。


 後列でジークが低く笑い、槍の石突きで床を軽くたたく。

 「息が詰まる静けぇさだな。逆に燃えてくるぜ」

 冗談めいた声が闇の壁に反射し、ほんの少しだけ空気に隙間を作った。


 石段を登る。

 ――コツ、コツ、コツ。

 足音と心音が重なり、やがて判別がつかなくなる。幅の狭い螺旋階段は灯りなき闇を抱え、時折ひび割れた石の隙間から冷風が吹き付けて頬を切った。肩越しに振り向けば、エリスの持つ魔導書が淡い青光を放ち、闇を押し返している。彼女の額には珠のような汗が浮かび、呪文を抑え込む唇がかすかに震えていた。


 階を上がるにつれ、空気が刃のようになった。吸った息が肺胞を切り裂くような痛みをもたらし、それでも呼吸を止めれば即座に意識が遠退きそうな濃密な魔力の層が周囲を埋め尽くしている。指先が痺れ、鎖骨の奥で心臓が硬く跳ねた。


 やがて最上階を示す黒鉄の扉が現れた。蝶番は赤い輝きを孕み、扉の表面を這う封呪の紋様が脈動している。近づくだけで鼓膜が軋み、耳鳴りが裂帛の叫びに変わりそうになる。

 リシェルが膝を落とし、手袋越しに扉へ触れた。赤い光が指先を這い、僅かに火花を散らす。

 「……ここが終点。そして出発点」

 声は静かだが、吐息が震えを隠しきれない。


 私は剣を抜き、わずかに刃を掲げる。鋼が赤光を集め、周囲の闇を切り裂くように一瞬だけ明るんだ。

 「リシェル……お前の背は、俺が支える」

 言葉を発した途端、恐怖が一拍肩を叩いた。しかし次の瞬間、彼女の翡翠の瞳が細く笑み、私の胸を灼く熱が広がる。


 エリスが呪符を解き、空気に淡い震動が走った。

 「扉を開ける一瞬だけ、結界を抑える……準備は、いい?」

 小さな声だが、そこに宿る意志は風の刃より鋭い。


 ジークが槍を真横に構え、肩を鳴らした。

 「いつでも。《因果》ごと貫いてやろうぜ」


 深い沈黙。雷鳴が遠くで轟き、塔の壁を振動させた。

 私は剣を胸元に引き、呼吸を整える。ほんの一瞬、指が震える。その震えを、柄を強く握り込むことで鎮めた。


 「……行く」

 決意の吐息が扉に触れた瞬間、封呪が悲鳴を上げるように赤黒い閃光を散らした。鉄の扉が軋み、内部の魔力と共鳴して低い地鳴りが階段まで逆流する。


 扉の隙間から溢れた光は血の色を帯びた霧となり、私たちの影を延ばし、歪に貪った。刹那、頭蓋の奥であの冷たい声が囁く。

 《……試されるのだ。お前の剣、お前の運命》

 哀しみに濡れた冷声。しかし私は顔を上げる。


 「試すがいい! この剣は仲間と交わした誓い――俺たち全員の光だ!」

 叫びと同時に扉が開き放たれ、紅蓮の光が視界を焼いた。



 塔の頂、天井のない吹き抜けの円形空間――檻のような支柱が赤い雲を背に聳え立ち、その中心で魔導炉が心臓のように脈動している。赤光は脈波ごとに強弱を繰り返し、床の紋章を血走らせた眼のように光らせた。骨を叩くほどの静寂。その中心に、一人の男が剣を下ろして立っていた。


 レオン=グランフォード。

 漆黒の外套が無風のはずの空間で微かな揺れを孕み、鎧の継ぎ目から覗く夜色の刃が塔の光を吸い込む。瞳は深海の底のような蒼。そこに浮かぶのは炎ではなく、氷より冷えた静謐だった。


 「……来たか、カイ=オルランド」

 低い声が石壁に絡みつき、残響が何層もの幻のように広がる。言葉の端に宿る圧力は張り詰めた弦のようで、聞くだけで胸郭がきしんだ。


 私は一歩進み、剣を構える。

 「レオン……お前も運命に挑む者か」

 唇は乾いていたが、声は震えなかった。あの夜の記憶が刃の芯に宿り、恐怖すら光に変えた。


 レオンは静かに剣を抜く。刃渡りには夜闇より深い黒が走り、切先でさえ赤光を反射せず飲み込む。

 「俺の剣は王家への忠誠。しかしその先にある真実こそ切り開くべき未来。お前が立つなら、その剣をもって測らせてもらう」

 言葉を終えると同時に足音が消え、会話も呼吸も沈黙へ呑まれた。


 ――カン……

 刹那の鐘の音のごとく、剣同士がわずかに触れ合っただけで火花が散る。世界が息を呑み、赤い光が影を長く伸ばした。


 「カイ!」

 リシェルの声が背後で鋭く響く。私は剣を肩越しに掲げ、レオンと距離を測る。床石が心臓の拍動と同時に微かに膨張し、次の脈で縮む。塔全体が呼吸をしているかのようだ。


 レオンの瞳に一切の迷いはない。その冷たさは氷冠の刃。視線を合わすだけで背骨が凍りつきそうになるが、同時に胸の奥で火が強く燃え上がる。


 私は柄を握り直し、刃先を正面に揃えた。

 「俺の剣で答える。ここで決着をつける!」


 赤い光がふたりの剣に沈み込み、塔頂の空間が静寂の底へ落ちる。世界が息を止め、次に訪れるのは鋼が奏でる咆哮――。



【リシェル=エルフェリア視点】


 塔の頂に満ちる光は、闇と光が拮抗して生んだ深紅の心臓だった。脈動に合わせて床の紋章が浮き沈みし、まるで世界そのものが血潮を流しているかのよう。冷気は刃となって肌を裂き、吸い込む息ごと肺を凍らせた。胸の内側で小さな震えが跳ねるたび、鎧の継ぎ目へ汗がにじむ。けれどその震えは恐怖ではない。私が握る剣──仲間と交わした光の誓いが、血の匂いにも負けず鼓動を焚きつけている。


◆ 交錯する決意 ◆


 「リシェル……」

 隣で轟くカイの声は、低く掠れているのに確かな炎を抱いていた。鉄臭い風が髪を揺らし、銀糸の前髪越しに彼の横顔を盗み見る。額には浅い裂傷。そこから伝った血が顎を滴り、紅い光に染まる鎧の胸板までひとすじの線を描く。


 私は深く頷き、刃を少しだけ前に突き出した。

 「……ええ。今度こそ終わらせるわ」

 声に乗せたのは剣士としての宣誓。そして──仲間を未来へ連れ出したいという少女の祈り。


◆ レオンの咆哮 ◆


 赤光を背負うレオン=グランフォードの瞳が、剥き出しの氷塊のように鋭さを増す。瞳孔は深い夜の底で静かに震え、その底に潜む絶望と誇りが交わる。

 「運命の剣士……光が偽りでないなら、この刃で証明してみせろ」

 金属を擦るような声が空間を振動させ、耳奥で鈴のように残響した。瞬間、胃がきゅっと縮む。


 カイが一歩踏み出す。

 「……来い!」

 剣を真横に走らせる。赤い光を裂く白刃が、風鳴りで空気を二つに割った。レオンは半身を滑らせて受け、金属と金属が硬い悲鳴を上げる。火花が爆ぜ、視界を赤白の残光が横切った。


 その一撃で私ははっと息を呑む。剣戟の衝撃が床石を通して足裏へ伝わり、膝がきしむほどの震動を吐き出した。鎧の内で心臓が暴走し、喉の奥に鉄の味がじわりと滲む。


◆ 音と痛みの交差 ◆


 二人の剣が交わるたび、火花が赤い雨のように散る。閃光のたびに影が伸び縮みし、その影がまるで意思を持つ生き物のように床を這う。

 カイの呼吸は次第に粗くなり、胸板が上がるたびに乾いた喘鳴が漏れた。レオンの剣圧は氷壁のように重く、受け流すたびにカイの両腕へ鈍い衝撃が蓄積するのが見える。


 (カイ……!)


 思わず前へ一歩出る。剣先が震えた。膝ががくりと落ちそうになるのを踏ん張る。恐怖ではない、己の無力を怖れる揺らぎ。けれどその瞬間、カイが振り向きもせず叫ぶ。

 「俺を信じろ、リシェル!」


 血に濡れた唇が、それでも笑みを刻む。焦茶の瞳に宿る光がまぎれもなく“私が信じた光”であると胸に叩き込まれる。眼窩の奥まで熱くなり、視界が滲みかけた。


◆ カイの一瞬の揺れ ◆


 次の瞬間、レオンの突きが緩急を裏返し、カイの防御が一瞬遅れる。鋼が肌を裂く湿った音。カイの肩甲を貫き、赤い水滴が宙に散った。

 「ぐっ……!」

 膝が半歩沈む。剣先がわずかに下がった。


 私は息が切れる。胸骨が張り裂けそうな衝撃と共に、喉が震撼で凍る。背後のジークが低く舌打ちし、エリスの呪符が青白い脈を早めた。


 その刹那、不意にカイの握る剣が震え、下ろしそうになる。

 (だめ──!)

 私は踏み込む。刃を交差の隙に持ち上げ、レオンとカイの刃の間へ差し込んでわずかに押し返す。間近で見たレオンの瞳は暗闇より深く、そこに一瞬だけ怯えの揺らぎが映った気がした。


 カイが息を吸い込み、緋色の血潮を吐き出すと同時に剣を握り直す。肩口から流れる血が指先へ落ち、石床に滴を描く。風がそれを攫い、血の匂いが冷気に混ざって鼻腔を刺した。


◆ 力の交錯 ◆


 「運命を……超えられると思うな!」

 レオンが吼える。眼中に宿る氷塊が割れ、奔流のような殺気が溢れた。剣が風鳴りを上げ、赤い光を吸い込む刃が横薙ぎに迫る。


 「超えてみせる!」

 カイの声はかすれ、しかし芯は折れていない。剣を上段から振り下ろし、私の刃と交差。ふたつの閃光が〈X〉の残光を描いて衝突し、衝撃波が塔の支柱を揺らす。


 耳鳴りの向こう、エリスの詠唱が風を切り、青い結界が床を走る。ジークの槍が影へ振り下ろされ、レオンの足運びを一瞬だけ鈍らせた。私たちの意志がひとつの波となり、レオンの孤高の殺気に対抗する。


◆ 静寂と再起 ◆


 閃光の渦が収束し、塔の頂に深い静けさが降りた。赤い光が蠢く魔導炉の鼓動だけが、遠雷のように床下で鳴っている。

 中央でカイとレオンの剣が互いを深く抉り、血と熱と魔力をぶつけ合う。肩越しにカイが振り返り、血の滲む唇で笑った。

 「リシェル……俺は、生き抜く」

 断言する声は震え、息も荒い。だがその目は曇っていない。


 私の喉から、抑えきれない嗚咽めいた息が漏れる。頬を一筋の熱が伝い、赤い光を反射した。

 「私も……! 私たちは決して折れない……!」

 剣を握る指が熱く痛む。血豆が潰れ、鉄と血の味が口腔に広がった。それでも私は刃を下げない。


◆ 運命を裂く一太刀 ◆


 息が合った。カイが低く叫ぶ。

 「今だ──!」

 剣先に溜め込んだ光が爆ぜ、私はその軌跡を追うように踏み込む。二人の剣閃が一直線に揃い、レオンの刃と交差した。火花が血の霧を割き、赤い光が白く瞬く。


 時間が伸びた。世界から音が消え、瞬膜の向こうで血の雫がゆっくり回転する。深紅の光景に浮かぶレオンの瞳が揺れ、その奥で何かが――決意か、絶望か、あるいは解放か――弾けた。


 次の脈動で音が戻る。鋼の悲鳴と骨が軋む湿音。レオンの剣が折れ、刃が崩れる。黒い外套が烈風で翻り、彼の膝が石床へ沈んだ。


 私は刃を振り抜いたまま息を吐き、震える足で踏みとどまる。火花が散り終える頃、赤い光は嘘のように薄れ、塔の上空へ昇っていく。


◆ 静けさの中の誓い ◆


 息が荒く、胸が裂けそうに上下する。鎧の隙間に入り込んだ冷気が、火照った皮膚を切り刻む。だが痛みは遠い。

 カイが剣を杖に立ち、血まみれの肩口を押さえながらも微笑む。その笑みは、戦場の闇に照らされてもなお沈まない小さな希望の篝火だった。


 レオンは片膝をついたまま、砕けた剣を見つめている。瞳に浮かぶのは敗北ではなく、鎖が外れたような静かな安堵。

 「……見事だ。運命を超える光……確かに見えた」

 声は低く、鉄錆と血で掠れていた。


 私は剣を胸に当て、震える呼吸を整える。

 「この剣は──私たち皆の未来です。あなたも……ともに立てるはず」

 言葉は震えた。でも刃を通して感じた彼の揺らぎが、私の言葉を支えた。


 そのとき、塔の下層から轟音が上がった。魔導炉が悲痛な呻きを漏らし、床の紋章が再び赤黒く脈を打つ。決着の先に、まだ夜は終わらない。


 私はカイの腕を取り、立ち上がる。涙を袖で拭い、視線を合わせた。

 「終わりじゃない。未来を切り開く、その瞬間まで──一緒に」

 カイは頷き、血だらけの手で私の手甲を握り締める。指と指が重なり、震えが消える。


 赤い光が再び渦を巻くその中心へ向けて、私たちは剣を掲げた。

お読みいただきありがとうございます。


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