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第1話「運命を刻む剣舞(ソードダンス)」

**【カイ=オルランド視点】**


夜明けの薄明かりが戦場の惨状を容赦なく照らし出していた。空は血のように赤く染まり、その下で無数の兵士たちが呻き、叫び、そして死んでいく。鉄と血の匂いが鼻腔を刺し、遠くから聞こえる断末魔の叫び声が耳朶を打つ。足元の泥は深紅に染まり、踏み込むたびに粘つく感触が靴底に絡みつく。


「うぐ……あああああ!」

「助けて……助けてくれ!」

「母さん……母さん……」


戦場の喧騒が俺の心臓を締め付ける。至る所で倒れ伏した兵士たちの姿が視界に入り、その中には見覚えのある顔もあった。昨日まで一緒に酒を酌み交わしていたトーマスが、腹部を押さえて苦悶の表情を浮かべている。マルクスの右腕は異様な角度に曲がり、彼の口からは泡混じりの血が流れ出ていた。


俺の喉が渇く。手のひらに嫌な汗が滲み、剣の柄を握る指が小刻みに震えた。


(これが……戦争の現実か)


一瞬だけ、足がすくんだ。膝が笑い、立っているのがやっとだった。戦士として数々の修羅場を潜り抜けてきたつもりだったが、これほどまでの絶望的な光景は初めてだった。死の匂いが濃密に漂い、生き残った者たちの絶叫が空気を引き裂いている。


そんな地獄絵図の中心に、一人の男が立っていた。


レオン=グランフォード。


王家直属騎士団長――その名前だけで敵味方問わず戦慄させる男。漆黒の鎧は戦場の泥一つ付けることなく、まるで闇そのものが人の形を取ったかのような威圧感を放っている。蒼い瞳は氷のように冷たく、その視線を受けるだけで背筋に悪寒が走った。


レオンの口元に浮かぶのは、薄い冷笑だった。まるで俺の恐怖を見透かしているかのように、ゆっくりと剣を構える。その動作に一切の無駄はなく、完璧に計算された美しさすらあった。だが、その美しさこそが死の前触れであることを、俺の本能が理解していた。


「……カイ=オルランド」レオンの声が静寂を破る。低く、響く声音には戦場に生きる者だけが持つ冷徹さがあった。「貴様の運命、その剣で示してみせろ」


俺の心臓が激しく打った。血管を駆け巡る血液が熱く、同時に冷たい。手に握った剣が重い。この剣で何人もの敵を斬ってきたが、今この瞬間ほど重く感じたことはなかった。


脳裏に仲間たちの顔が浮かぶ。


震えながらも魔導書を抱えて立つエリス。彼女の緑の瞳には恐怖があったが、それでも俺を信じる光が宿っていた。「カイ……私たち、あなたを信じてる」彼女の声が蘇る。


無精ひげを撫でながら苦笑するジーク。「お前なら大丈夫だ。俺たちの分まで生きろよ」彼は死を覚悟していたのかもしれない。それでも最後まで仲間を気遣い続けた。


そして銀髪の騎士リシェル。血に濡れた鎧を纏いながらも、決して諦めの色を見せない真剣な瞳。「私たちは最後まで戦う。あなたと一緒に」


(そうだ……俺は一人じゃない)


仲間たちの想いが胸の奥で燃え上がる。恐怖はまだある。足の震えも止まらない。だが、それでも立ち上がる理由がある。守りたいものがある。この剣に込められた想いがある。


「はっ……」俺は小さく息を吐き、剣を構え直した。泥に沈む足元を確かめ、重心を低く落とす。レオンとの距離は約十歩。一瞬で詰められる距離だが、同時に地獄への扉でもあった。


レオンの剣が淡い光を纏い始める。魔力が込められた証拠だった。その光は美しく、そして恐ろしい。俺の剣には魔力は込められていない。純粋な技術と気迫だけが頼りだった。


「来るか……」レオンが呟く。その声には期待のような、失望のような、複雑な感情が混じっていた。


遠くで兵士の叫び声が響く。金属のぶつかり合う音。地面を叩く足音。戦場は生きていた。多くの命が失われる中で、それでも戦いは続いている。俺もまた、この戦場の一部なのだ。


夜明けの風が頬を撫でる。冷たく、血の匂いを運んでくる風。だが、その風の中に希望の匂いも混じっているような気がした。


(俺の剣舞を……見せてやる)


レオンが動いた。一瞬で距離を詰め、剣を振り下ろす。その速度は人間の域を超えていた。光の軌跡を描きながら、俺の頭部めがけて降り注ぐ。


時間が止まったような感覚の中で、俺は剣を横に構えた。受け止める。金属が金属を打つ耳を劈く音が響き、火花が散った。衝撃が両腕を駆け巡り、肩に鋭い痛みが走る。


「ぐあっ……!」


鎧の隙間から熱い血が流れ出る。だが、倒れない。倒れるわけにはいかない。


「ほう……」レオンの冷笑が深くなる。「その程度で私の剣を受け止めるとは。だが、次はどうかな?」


再び剣が振るわれる。今度は横薙ぎ。避けきれない。俺は剣で受け流そうとしたが、レオンの力は圧倒的だった。体が宙に舞い、泥の中に叩きつけられる。


「がはっ……」口から血が溢れる。視界が霞み、意識が遠のきそうになる。だが――


(まだだ……まだ終わらない!)


泥まみれになりながら立ち上がる。全身が痛む。鎧は所々で割れ、血が止まらない。それでも、剣を握る手だけは震えていなかった。


「なぜ立つ?」レオンが問う。その声には僅かな困惑があった。「貴様に勝ち目などない。なぜ無意味な抵抗を続ける?」


俺は血を拭い、レオンを見据えた。


「無意味じゃない……」声が掠れる。「俺には……守らなければならないものがある。仲間が……友が……俺を信じて待ってる」


視界の端で、リシェルが敵兵と戦っているのが見えた。彼女もまた血だらけだったが、決して倒れようとしない。エリスは魔法で仲間の傷を癒し続けている。ジークは片腕を失いながらも、若い兵士たちを鼓舞していた。


みんな、必死に生きている。必死に戦っている。


「俺は……」剣を構え直す。「絶対に負けない。この剣に込められた想いがある限り、俺は立ち続ける!」


レオンの瞳に、一瞬だけ何かが宿った。敬意だったのか、それとも憐れみだったのか。


「……そうか」レオンが剣を天に向ける。魔力の光が一層強くなった。「ならば、その覚悟、受け取ろう」


最後の一撃が来る。俺にはわかった。この一太刀で、すべてが決まる。


夜明けの光が戦場を赤く染める中で、俺は剣を握り締めた。震える手。血まみれの体。それでも、心は燃えている。


(運命なんかに……負けてたまるか!)


踏み込む。レオンの剣が光となって降り注ぐ。俺の剣がそれを迎え撃つ。


二つの剣が交わる瞬間――世界が光に包まれた。


これが、俺の剣舞だ。運命を切り裂く、最後の一太刀。



**【リシェル=エルフェリア視点】**


夜明けの光が戦場を赤く染め上げ、血と泥にまみれた大地を容赦なく照らし出していた。空に漂う雲は重く、雷鳴の前触れのような不穏な唸りを上げている。湿った空気は鉄錆と死の匂いを運び、私の肌を刺すように這い回る。


戦場の喧騒が、徐々に遠のいていくのを感じていた。激しい戦闘を続けてきた兵士たちの多くが倒れ、生き残った者たちも疲労の極限に達している。断続的に響く剣戟の音、うめき声、そして死にゆく者たちの最後の呼吸音――それらがゆっくりと静寂へと収束していく。


だが、その静寂の中心で、二人の男が剣を交えていた。


カイ=オルランドと、レオン=グランフォード。


私の視線は、ひたすらにカイを追っていた。血にまみれ、鎧は所々で割れ、立っているのがやっとの状態。それでも彼は、王家直属騎士団長の前に立ち続けている。


(どれだけの痛みに耐えているのだろう)


カイの左肩から赤い血が流れ続け、右足は深い傷を負って震えている。呼吸は荒く、剣を握る手に力が入らないのが見て取れた。普通なら、とうに倒れていてもおかしくない。


それでも彼は立っている。


「はぁ……はぁ……」カイの息遣いが、静まりつつある戦場に響く。その顔には疲労と痛みが刻まれているが、瞳だけは決して濁っていなかった。


一方のレオンは――一見すると余裕を保っているように見えた。漆黒の鎧に傷らしい傷はなく、剣を握る腕も安定している。だが、私には見えていた。彼の息遣いが、僅かに乱れていることを。剣を構える指先が、ほんの少しだけ震えていることを。


(レオンも……相当に消耗している)


これは一方的な戦いではない。カイの意志が、確実にレオンを追い詰めているのだ。


「まだ立つか……」レオンが低く呟く。その声には、困惑と――僅かながら敬意が混じっていた。「貴様の執念、見事と言うべきか」


カイは答えない。ただ、剣を構え直すだけだった。その動作には、もはや華麗さなど微塵もない。純粋な意志だけが、彼の体を支えている。


夜明けの光が徐々に強くなり、二人の剣に反射して閃いた。血に濡れたカイの剣も、魔力を纏うレオンの剣も、等しく光を宿している。


「最後の一太刀だ」レオンが剣を天に向ける。魔力の光が一層強くなり、その輝きは朝日をも上回った。「この一撃で、すべてを終わらせる」


私の胸が凍りついた。あの一撃は、間違いなくカイの命を奪う。どれほどの意志があっても、肉体には限界がある。


(カイ……)


私の唇が小さく動く。声にはならない祈り。遠くから見ているしかできない自分が歯がゆかった。


だが、その時だった。


カイの瞳に、一瞬だけ迷いが宿ったのを見た。足がよろめき、剣を支える腕が下がる。疲労と痛みが、ついに彼の精神を蝕み始めている。


(だめ……このままでは……!)


諦めかけた瞬間――カイの脳裏に何かがよぎったようだった。エリスの顔、ジークの笑顔、そして私たち仲間の想い。それらが彼の中で蘇り、再び炎となって燃え上がる。


「俺は……」カイが口を開く。声は掠れていたが、その響きには確固たる意志があった。「まだ守るべきものがある。まだ……諦めるわけにはいかない!」


泥に沈む足を踏み込み、カイが前進する。血が滴り落ち、痛みで顔が歪む。それでも、一歩、また一歩と進んでいく。


レオンの表情が変わった。困惑から、驚嘆へ。そして――尊敬へ。


「……そうか」レオンが小さく笑った。それは冷笑ではなく、武人としての純粋な笑みだった。「貴様のような男と戦えて、光栄だ」


二人の距離が縮まる。レオンの剣が光を纏い、カイの剣が闘志を宿す。


私は固唾を呑んで見守った。これが最後の瞬間だった。


「はぁああああああっ!」


カイの雄叫びが戦場を貫く。レオンも無言で剣を振り下ろす。


二つの剣が空中で交わった瞬間――世界が光に包まれた。


眩い閃光が視界を奪い、轟音が鼓膜を揺らす。風が巻き起こり、血と泥が舞い上がった。私は思わず腕で顔を覆う。


光が収まったとき――


カイとレオンが、剣を交えたまま静止していた。


二人とも微動だにしない。時間が止まったかのような静寂が、戦場を支配する。


やがて、レオンの口元に微かな笑みが浮かんだ。


「……見事だった」


レオンの剣が、音もなく地面に落ちた。彼の漆黒の鎧に、一筋の亀裂が入っている。


カイもまた、力なく膝をついた。だが、その顔には満足そうな表情があった。


「これが……俺の剣舞だ」


カイの声は小さかったが、その響きは戦場の隅々まで届いた。


戦場の音が、完全に止んだ。血の匂いも徐々に薄れ、代わりに朝の清々しい空気が流れ込んでくる。夜明けの光が二人を包み、その姿を神々しく照らし出していた。


私は立ち上がり、カイの元へ駆け寄った。他の仲間たちも、生き残った兵士たちも、皆が二人の戦いを見つめている。


「カイ……!」


私が駆け寄ると、カイは振り返って微笑んだ。血まみれの顔だったが、その笑顔は誰よりも美しかった。


「リシェル……みんな、無事か?」


「ええ……あなたのおかげで」


エリスとジークも駆け寄ってくる。皆、傷だらけだったが、生きている。カイが守り抜いたのだ。


レオンは静かに立ち上がり、カイを見下ろした。


「カイ=オルランド……貴様の名を覚えておこう」そう言って、踵を返す。「次に相まみえるときまでに、さらに強くなっていることを期待する」


レオンの姿が朝靄の中に消えていく。彼もまた、カイとの戦いで何かを得たのかもしれない。


戦場に朝の光が満ちていく。長い夜が、ようやく明けようとしていた。


私たちは生き延びた。カイの剣舞が、運命を切り開いたのだ。


だが、これは始まりに過ぎない。真の戦いは、これから始まるのだから。


私は仲間たちと共に、新しい朝を迎えた。カイが切り開いた、希望という名の未来を胸に抱いて。

お読みいただきありがとうございます。


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