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二人に部屋を掃除してもらい(サリィは終始足を引っ張っていたが)、とてもスッキリとした気分で土曜の午後を迎えようとしている。
コンカフェのバイトがあるため、一希は少し前に帰宅した。
あいつの女装は趣味と実益を兼ねているのだ。池袋にある『男の娘メイド喫茶』で働いているらしい。職場に顔を出しことはないが。
メイドとかコスプレにあまり興味がないのだ。ほら、脱がしたら一緒じゃん?
「さて、今日はどうするかー」
労働に勤しむ一希とは異なり、今日も今日とて無職だった。毎日が夏休みです。
学生時代ならこんな嬉しい事はなかったが、今はただ不安でしかない。
「ね、ねぇ、治……ちょっといい?」
「どうした、サリィ。そんなモジモジして。トイレなら許可なく行っていいぞ」
「違うわよ! 本当にデリカシーないんだから!」
「あ、そろそろ昼飯の時間か? 腹減ったならそう言えよ」
冷凍食品ならあったはずだ。さっきのアレを見て、サリィに料理させようとは思わない。何を食わされるか分かったもんじゃないからな。
「それも違くて! いや、お腹は減ってるんだけど…………わ、私が言いたいのは!
そ、その……何というか、買い物に行きたいというか……」
「ん、なんか欲しいものがあるのか? 今日も暇だし買ってくるけど」
これからの同居生活に向けて、買い揃えなければいけないものが沢山ある。
どうせやることもないんだし、ちょっくら新宿に買い出しでも――――
「いや、その、違くて……」
「どうした、お前らしくもない。ハッキリ言え」
「し、下着が欲しいのよ……!!」
なるほど理解した。それは異性の俺には言いづらいか。
「もしかして、お前ってノーパン?」
「う、う、うるさいっ! し、仕方ないでしょ!」
わお、そう考えるとめっちゃエロいな。
スカート(パーカーだけど)めくりをしたい願望が沸々と湧いてくる。
「分かった、分かった。似合いそうな下着を見繕ってきてやろう」
俺には女性モノの下着屋に一人で入れるメンタルがある。
「なんで治が勝手に決めるのよ! 私に選ばせてよ、普通に!」
「けど、お前を外に連れていくのはなぁ……んー、頭のソレを隠せば何とかなるか?
よし、じゃあ一緒に出掛けるか」
「うんっ!」
頭の耳はキャップを被らせることで解決。
靴下と靴はブカブカだが、無いよりはマシということで俺のやつを貸す。
下着は元々身に付けていたものが乾燥中なので、ランニング用の短パンを下着代わりに穿いてもらうことにした。
さすがにノーパンよりはマシなはずだ。
「うぅ、屈辱」
なんて言いながら目に涙を浮かべていたけど。
全体的にダボダボ。ラッパーだってもうちょっとスマートな着こなしをしている。
この状態で電車移動は酷なので、タクシーを配車することにした。
「わー、すごい!」
東中野の自宅から新宿方面へ移動。駅が近づくに連れて、背の高いオフィスビルや商業ビルが顔を出し始める。
サリィはその高層ビル群を物珍しそうに眺めていた。
「お客さん、新宿は初めてなんですか?」
その様子が微笑ましかったのか、運転手のおっちゃんが気さくに話しかけてきた。
「え、えーとその……」
サリィは不安そうにこちらを見つめる。
おっちゃんに悪気はないんだろうけど、この手の質問は回答にちと困るな。
「こいつ、外国の生まれで。最近、東京に来たばっかりなんですよ」
馬鹿正直に異世界から来たとは言えない。
日本以外の出身という意味では、あながち嘘でも無いわけだからな。
「あ、そうなんですね。日本語がお上手でびっくりしました」
「サリィ、褒められてるぞ」
「ど、どうもありがとう」
サリィは恥ずかしそうに感謝の言葉を口にする。
俺たちの反応から訳アリだと察したみたいで、それ以降おっちゃんから話しかけてくることはなかった。
東京という街の善意的な無関心。
冷たいと言われることもあるが、あらゆる人を受け入れる優しさでもある。
自他の線引きがはっきりしたこの街が大好きだった。
そうじゃないと、俺みたいな人間は三日もあれば村八分にされている。
「観光、楽しんでください」
「どうもありがとうございました」
「あ、ありがとうございました!」
新宿駅西口のロータリーで降ろしてもらう。
土曜日の新宿駅は相変わらず人だらけだ。そんな中でサイズが合わない靴を履いているサリィは、よちよちとおぼつかない足取りをしている。
「キツイかもしれんが、ちと頑張れ。ほら、手」
「ど、ど、どうしてっ! 手を繋がないといけないのよ……っ!」
「転んだら大変だろ。迷子になられても困るし。ほれ、お前は目立つんだから早く」
耳と尻尾を隠していても、サリィの外見は人目を引く。
サリィの立場上、目立つのはリスクでしかない。もし警官に職質でもされようものなら一発アウトだ。自分の所在を示す身分証が何一つないんだから。
「わ、分かったわよ!」
渋々差し出された手を握る――こいつ、手もちっこいな。
「よし、デパートでマシな服を揃えるぞ」
「は、はひ……」
横目で見ると、茹でダコみたいに顔を赤くしていた。
やれやれ、ウブな小娘だな。
いつもの高飛車な態度はどうした。文字通り、借りてきた猫だ。
手を繋ぐのがよっぽど恥ずかしいのか、しばらくはずっとこんな様子だった。
「治っ! 次はどこいく!?」
それから店を回って行くたびに、サリィのコーデがまともになっていく。
定番スニーカー、無地のくるぶしソックス、レディースサイズのキャップ、ゆったり目のロングスカートとオーバーサイズのニットなど数点。
いかにも女子って感じの可愛らしいチョイス。実際に似合っているし。
これが『センスいい』ってやつか。
俺は昔からファッションセンスがないので羨ましい。いつも姉や元カノ達に服を選んでもらっていた。
自分のセンスでコーディネートをしたら、颯太に大笑いされたことがあったからな。
白のコート、赤のシャツ、緑のデニム。色のバランスは完璧だったんだぞ。
赤と緑って補色関係なのにさ。ファッションってむずい。
――――まぁ、そんなことはどうでもいい。
「さてさて、お待ちかねの下着選びだ。俺の好きな青系は外せないな」
ファッションセンスはないが、エロい下着を見繕うのは得意だ。
「治の好みに合わせる気はないしっ! 一人で買いに行くからね!?」
「俺に気を使うなって」
「気遣いとかじゃなくて、明確な拒絶なんだけど!?」
「わーったよ。その辺プラプラしてっからさ。会計の時に呼んでくれ」
冗談はこのくらいにしておこう。
ぷくーっと頬を膨らませる姿は見ていて飽きないが、しつこい男は嫌われるからな。
モテ男というのは押し引きがうまいのだ。
今の恰好なら、そこまで目立たずに買い物が出来るだろう。俺もガキのお守りではなく、自分の好きに行動したい。
「ごめん! ちょっと待ってて!」
「ほいよ」
サリィがランジェリーショップの中に入っていく。
「えーと、どこの店だったかなー」
それを見送った後、お目当ての店に向かって歩き始めた。
「うへー、女の下着って結構たけーな」
かれこれ三〇分くらいしてサリィから会計に呼ばれる。
女子は隠す場所が多い分、下着の代金にもそれが反映されているのか。その辺の相場感に関しては男の俺には分からないけど。
こういう時、女のメンターがいたら心強いよなー。
「その、お金は大丈夫そう?」
少し考え事をしていると、不安そうにサリィが覗き込んできた。
いらん心配をかけてしまったみたいだ。金のことで悩んでいたわけではない。
そもそも、金については常日頃から悩んでいるし。
「へーきへーき。俺、天才だから。金なんて、いつでも稼げるし」
「今更だけど、治って何やってる人なの?」
「一応は社長だな」
肩書き上はそうなる。一切の利益を生み出さない会社の、だけどな。
「しゃちょー? よく分からないけど、お金持ちには見えない」
「まだ本気を出してないだけだ。その気になれば、いつでも富豪になれるぜ」
俺の類まれなる頭脳があれば億だって余裕で稼げる。今はちょっとばかし脳を休ませているのだ。やはり、ここぞというタイミングまで温存しないとな。
「いつか、ちゃんと返すね」
「おい、今の話を聞いていなかったのか」
まるで信用されてない。
「だ、だって……!」
「いいから気にすんな。これは投資なんだからさ。お前が家事をこなせるようになれば、ゆくゆく俺が楽できるし」
俺は生活力が皆無な人間だからな。間違いなくサリィには苦労をかける。
今後の家事代行費用の先行投資と考えれば安いものだ。
「わ、分かった! 頑張るっ!」
「あぁ、頼んだぞ。ってことでショッピングの続きだ。えーと、次は――あ、そういえば寝間着がまだだったよな? 家で着る服もないと困るだろ?」
男ならパンイチという選択もありだが、サリィにそれを強要するのは酷だろう。
俺の理性も間違いなく崩壊してしまうだろうし。
「い、いらない!」
「金で遠慮しているなら無用な心配だぞ」
「違くてっ! 治のパーカー(?)があるでしょ? あれ、着心地が良かったから!
な、なんか安心するっていうかっ!」
そんな真っ赤な顔で言われるとこっちも照れちゃうだろ。
けど、俺はクール系男子だからな。ここは努めて冷静に返事をしようじゃないか。
「ふ、ふーん? ま、まぁ良いじゃね? ほ、他にも何着かあるし?」
駄目でした。ウブな純情男子みたいな反応をしてしまう。こういう駆け引きのない愛情表現が久しぶりでね。ど真ん中のストレートすぎる。
好ましく想われているという事実が、なんかこうむず痒いな。
「う、うん……だから、その、大丈夫…………」
小恥ずかしくて、互いに目を合わせることができなかった。
――いやいや、ちょっと待て! 違うだろ! 俺はモテ男・野老澤治だぞ?
駆け引きでは、常にイニシアティブを取らなくてはならない。
「忘れないうちに……これ、やるよ」
ぶら下げている手荷物の中から、白い紙袋をサリィに差し出す。
「え、なにこれ?」
「ぬいぐるみ。さっきの服屋でガン見してたじゃん」
中身はデフォルメされた茶色いクマのぬいぐるみ。流行りのゆるキャラとファッションブランドのコラボらしく、さっき入った店の商品棚に置いてあったものだ。
ぬいぐるみをプレゼントするのは人生初の経験だったりする。プレゼントとしては敬遠されがちだしな。実用的なものがいいって娘も多いし。
けど、まぁ、サリィはかなり子供っぽいからな。物欲しそうにぬいぐるみを見てたし、普通にアリなんじゃないかと思ってな。
サリィが下着を物色している間、わざわざ買いに戻ったのだ。
「ほ、欲しいなんて一言も言ってないしっ!」
「じゃ、返品してくるわ」
口ではそう言っているが、爛々とした目で物欲しそうにしている。
そんな素直じゃないサリィを揶揄いたくなった。
「い、いらないとも言ってない!」
「どっちだよ」
「私の趣味ではないけど! 仕方ないから貰ってあげるっ!」
ひったくるようにして紙袋を受け取った。
「素直じゃないなー。泣いて喜んでも良いんだぜ?」
「だって、本当に泣いたら――――治が困る……でしょ」
「へ?」
今にも泣きだしそうな表情をしていた。
まぶたで堰き止められているが、雫となって零れ落ちるのは時間の問題だ。
「溢れないように頑張ってるのっ!」
涙のタネは光に反射し、七色に煌めいている。
「いや、泣くほどのことじゃないって! 大したもんじゃないし!」
まさか泣いて喜ばれるとは思わなかった。
下心はなくて、ただ何気ないプレゼントのつもりだったのだが。
「……治って、女心が分かってないよね」
「なっ! それは聞き捨てならないぞ! 俺ほど女性心理に詳しい奴いないって! 女性心理学で教授になれるくらいには精通してるっての!」
「ならさ。私の気持ち、当ててみて」
「そ、そりゃーあれだろ? ぬいぐるみ貰えてハッピーみたいな?」
「ふふっ、治ってほんとバカ」
回答がツボだったらしく、サリィはケラケラと笑っていた。
その拍子に溜まっていたものが溢れて、泣き笑いみたいな状態になっている。
「うっせ! 俺は天才だっての!」
「はいはい、天才天才」
ニヤニヤと腹立たしい顔をしている。
「この話はもう終わりだ! ほら、置いてくぞ!」
「あー逃げた! ちょっと待ってよ!」
先に歩き始めると、生意気な猫耳女が慌てて追いかけてくる。そして、横に並んだかと思うと、自然な動作で左手を握ってきた。
「なっ!?」
「その、ありがとね」
「…………」
はにかみ笑いをする表情に釘付けだった。
さっきまで恥ずかしがっていたのに、どういう心境の変化だよ。
「――じゃあ、行くか」
「うんっ!」
それから二人で歩き回って、生活雑貨や家具などを買い揃えていく。
その間、俺たちの手はずっと重なり続けていた。