2-1
ピンポーン。インターフォンの音で目を覚ます。
寝ぼけまなこを擦りながら、壁時計を確認すると時刻は七時だった。
「う、体いてぇ」
ソファーで寝たので全身が筋肉痛みたいになっている。こりゃ早急に寝具を買わないと生活に支障をきたすな。
本来、俺がこんな時間に起床することはありえない。一○時間睡眠が基本だ。
小中高生の時は姉に叩き起こしてもらっていた。大学からそれがなくなったので、留年・中退することになったんだけどね。てへへ。
「治、この音は何?」
「起きてたのか」
「ほんのちょっと前だけど」
ピンポーン、と再度インターフォンが鳴る。
土曜のこの時間に訪ねてくるやつには一人しか心当たりがない。
いかん、昨日の夜に連絡入れるのを忘れていた。さすがに帰ってもらうわけにはいかないよなぁー。
「サリィ! 風呂場に隠れといてくれ!」
肩を掴んで懸命に訴える。あいつと鉢合わせになるのはまずい。
「な、なによ……! いきなり!」
ピンポーン、と三回目の呼び出し音。取り決めだとあと二回のはずだ。
「頼む! 俺がいいって言うまで!」
「わ、分かったから……っ! か、顔が近いのよ、もぉ……」
文句を言いながらも、サリィは浴室に向かってくれた。さてと。
「――今開けるから待ってくれ」
「あれ、治さん! 起きてたんですねっ! 珍しい!」
モニターには予想通りの顔が映っている。玄関まで移動して扉を解錠した。
「悪いな、いつも」
「いーえ! ボクは治さんのお世話係なので!」
扉を開けるとそこには美少女がいた。
サリィに負けない白い肌。長く整ったまつ毛。吸い込まれそうになる大きな瞳。スラリと長い手足。服装は地雷系ってやつで、やたらピンクでフリフリだ。
「勝手にお世話係を名乗るな。とりあえず入ってくれ」
「はーい、お邪魔しまーす!」
こいつの名前は一希だ。
かれこれ、二年の付き合いになるんじゃないだろうか。
「治さん、今日はなんで起きてたんですかー? ボクの甘いキッスで起こしてあげようと思ったのにー!!」
「おい、次やったら出禁っつたよな!?」
前回は一希のディープキスで起こされた。当然ブチギレた。美少女の接吻で起こしてもらえるなんて羨ましい? いや、違うんだよ。こいつはだって――
「いいじゃないですかー。同性同士なんだし!」
「それが問題なんだろ!」
中富一希。たぶん今年で二十歳。新潟県出身……そして、性別は男だ。
美少『女』とか地の文で紹介して申し訳ない。見た目は完全に美少女そのものだから、それ以外に表現しようがなかったのだ。
「治さん、今はフリーなんでしょー? なら、試しに付き合ってみよーよー。実はボク、こう見えても超エッチ、だよ?」
「お前が変態なのは知ってるぞ。そんで『彼氏』は間に合ってる」
出会った時からずっとこんな感じだ。好意的に想ってもらえるのは嬉しいが、いささかその表現がぶっとび過ぎている。
「もぉー、いけず何ですからー。でも、そういうところが好きっ!」
毎週土曜日、一希には部屋の掃除をしてもらっている。俺のようなズボラ人間は一週間もあれば汚部屋を生成できるからな。
一希のフォローがあるおかげで、ゴキブリと対面しないで済んでいた。
天才な俺だけど、虫だけはマジで無理なんだよ。昔は姉に助けてもらったのだが、今はその姉もいないからな。ヤツと遭遇しないことを神に祈っている。
「うわー、相変わらず汚いですねー。……くんくん、何やら女の人のにおいがしますね。もしかして、お風呂場に女の人を隠してるんじゃないですか!?」
「お前は犬か。そんな気になるなら風呂場まで見に行くか?」
「ちぇー、鎌かけてみたけど違ったかー」
「(あっぶね! セーフ! 心臓バクバクだよ、こっちは!)」
どうにかブラフで乗り切った。一希とはこの手の事でトラブルになったことがある。
自宅に招いた女子と一希が鉢合わせになるみたいな。「ボクの治さんを取らないで!」と大騒ぎだった。いや、お前のじゃないからな?
こういった背景もあり、日程をズラす必要があれば前日に連絡をしている。
そして、うっかり連絡を忘れてしまった時の最終防衛策として『インターフォンを五回押してから合鍵で入ってもらう』というルールがあるのだ。
「じゃあ、悪いけど部屋の掃除頼めるか」
「おまかせあれ!」
「俺はタバコ――いや、シャワー浴びてくるわ」
ベランダで吸っているうちに、一希が風呂場に入ってしまったら終わりだ。
ここは身を削ろう。サリィにも控えるように言われてるし。
「むむむっ! 治さんがタバコよりシャワーを優先するはずない! やっぱり、風呂場に女の人を隠してるんだ! 男の勘を舐めないでください!」
「おい!? ちょ、待て! 一希!」
ツッコミどころしかないが、言っている場合じゃない。
しかし、静止の声は届くことはなく――――一希は浴室へ。
「出てこい、泥棒猫…………うへぇ?」
「治っ! ど、どうしよう!?」
「あちゃー」
泥棒猫じゃなくて、猫耳美少女がいたという訳でして。
一希お手製のサンドウィッチを食べながら状況を説明する。
「それってあれですよね! いわゆる異世界転移ってやつじゃないですか!」
「俺が言うのもあれだが、理解と順応が早すぎないか?」
「ボク、結構オタクなんで! こういう展開は予習済みですよ!」
「はむはむ」
サリィはサンドウィッチに夢中で、こちらに気を配っている様子はない。
「その異世界転移ものだと、オチとして定番なのは?」
「こちらの世界で暮らすか、元の世界に戻るか、あたりじゃないですかねー?」
「なるほど。サリィは自分の世界に帰りたいのか?」
「……分かんない。どうしてこっちに来たのか思い出せないし」
ご機嫌にサンドウィッチを頬張っていたサリィの表情が翳る。
そうか。記憶がないサリィにとっては、元いた世界が居心地の良い場所なのか、それとも劣悪な環境だったのか、それすらも判断することができない。
「当面はこっちで暮らす方向だな」
やはり結論はそこに落ち着く。
「ぐぬぬ……! つまり、新ヒロインの登場ってことですね!」
「いや、ヒロインじゃないし」
「治さんにとってのヒロインはボクだけってコト!?」
「あーじゃあそれでいいよ」
「めっちゃ適当だ!?」
昔から好意を向けられることが多くてな。おかげであしらうのが上手くなった。
モテるのも結構大変なんだぜ(前髪を掻き上げながら)。
「…………ねぇ、サリィちゃん。なんかこの人殴りたくない?」
「…………奇遇ね。私も同じことを思ってた」
二人揃って暗い目をしている。怖いからやめてくれ。
「てかてか! ボク、サリィちゃんって呼んでも大丈夫かな?」
「う、うん……っ! い、い、一希ちゃんがよければ……」
サリィは恥ずかしそうに身を捩っている。
「治さん! この子可愛すぎ! 食べちゃいたい!」
「ちょ、一希ちゃん! 苦しいよ!」
興奮した様子の一希は、ぎゅっとサリィのことを抱きしめていた。
実に百合百合しい光景である。まぁ、片方は男だけど。
「ほら、落ち着け一希。どうどう。そのくらいにしてやれって」
「はっ! ボクとしたことが我を失ってしまった! ごめん、サリィちゃん!」
「だ、大丈夫っ!」
サリィは苦笑いしていたが、その表情は幾分か柔らかくなっている。こういう時、一希の底なしの明るさはありがたい。居てくれるだけで場が和む。
「はぁーこんな可愛い新ヒロインが登場かー。ここに来てボク、ピンチ! サリィちゃんには悪いけど、治さんのことは渡さないよ!」
「べ、別に……っ! 治が誰とどうなろうと、私はどうでもいいし……っ!」
「出た、ツンデレ! あーもう可愛いな! これが恋敵じゃなければ!」
「ちょいちょい、お前ら。この俺を放置して勝手に盛り上がるなー。言っとくけど、俺からすれば両方とも恋愛対象じゃないからなー」
俺のタイプは年上の巨乳お姉さんだ。おっぱいと夢は大きければ大きいほどいい。
小さくていいのは借金の額くらいである(爆笑)。
「…………サリィちゃん。やっぱこの人ボコさない、二人で」
「…………そうね。治にあそこまで言われるのは癪だわ」
だから怖いって。
「暴力じゃ何も解決しないぜ。それよりも、サリィの今後について話そうじゃないか」
またしても二人が暗い目をしていたので話を逸らす。
サリィの戦闘力を考慮すると、二人掛りだと普通に負ける可能性がある。嫌なことから逃げるのは昔から得意だ。
「ほんと、治さんって飄々と躱しますよねー。そんなクールな所も好きですっ!」
「俺もこういう自分が好きだ」
「ロクでもないわね……」
サリィはやれやれとため息をついていた。
「でも、どうします? サリィちゃんには戸籍とかないんですよね? そうなるとマトモな仕事や家には――」
「ウチで預かるしかないわな」
こればかりは国も頼れない。表沙汰になれば世間を揺るがす大ニュースになりかねないからな。最悪の最悪は解剖とかされちゃうかもしれない。
「えーずるいですよ! ボクも治さんとまた同棲したい!」
「再入学は受け付けてねーぞ。お前はもう卒業しただろ。あと同棲ちゃうし」
「ぷー、ケチー!」
一希も我が家に居候していた過去がある。あれがもう一年前か。
今ではすっかり自立しているわけで、住まわせる理由も必要性もないわけだ。
「この狭い家で三人は定員オーバーだろ。二人でもキツいし」
「やっぱり私、迷惑かけて……」
サリィが目を伏せて悲哀に満ちた顔をする。
そういう意味で言ったわけじゃない。フォローしておくか。
「はーいそこ、ネガティブ禁止。タダ飯を食わす気はないからな。一通りの家事をやってもらうぞ。――ってことで、一希が色々と教えてやってくれないか?」
どうせバレてしまったんだ。それを活かさない手はない。
「乗りかかった船ですからね。承りました! ここで恩を売っておけば、治さんの好感度アップも間違いナシでしょうし! 二人のゴールインは近いですよ!」
「ははは」
「なんですか! 適当に場を流そうとする雑な笑いは!」
日本人の十八番である『曖昧な笑い』だ。
「悪い悪い。とりあえず今度メシ奢るから」
「やった! つまり、デートってことでいいんですよね!?」
「ははは」
「だからそれー!」
一希には申し訳ないけど、今の関係性が心地よいから許してほしい。どうでもいい相手だとしたら、曖昧な反応はしないではっきり答える。
すべて白黒はっきりするのは疲れるじゃん。俺はこういうぬるま湯が結構好きだ。
「ほんともぉー。とりあえず、サリィちゃん! あらためてよろしくねっ!」
「う、うん! よろしく! 正直、身近に同性の子がいてくれると安心するわ」
やはり、サリィも勘違いしているみたいだ。
「落ち着いて聞いてくれ。こう見えて、一希は男だぞ?」
「はぁ? 冗談はやめてよね! 一希ちゃんにも失礼でしょ!」
「ごめんねー。こんなに可愛くても性別は男なんだよねー」
「おい、自分で言うな」
「え!? じゃ、じゃあ、本当に……?」
本人の発言もあって、冗談ではないことを理解してくれたようだ。
「大丈夫、安心して! サリィちゃんは魅力的だけど、恋愛対象ではないから! ボクは常に治さん一筋!」
「俺が安心できないんだが」
「え? え? まぁ……うん?」
そんなこんなで、サリィをサポートする心強い仲間が一人増えたのだった。
「ギャー!!」
「ちょ、サリィちゃん!?」
この後、サリィの家事レベルの低さが露呈しました。
今までどうやって生きてきたんだ、ってくらいのポンコツ具合です。
――――うむ、これは前途多難そうだな。