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「足りたか?」
泣き声が聞こえなくなったタイミングで声を掛ける。食事を平らげてからも一〇分以上は泣いていた。溜めこんでいた感情が、一気に溢れ出してしまったのだろう。
「その……ごちそうさまでした。美味しかった」
まぶたは腫れぼったく、目は充血しているけど、憑き物が落ちたように笑っていた。
うむ、良い笑顔だ。これでいい。人が泣いていると俺もブルーになるし。
「料理の天才でもあるからな」
「ちょっと味が濃すぎると思ったけど」
「シャラップ! 元々、酒のつまみなんだよ!」
この憎まれ口も、涙と一緒に流れてしまえば良かったのにな。
「それで、あの、えっと……」
モジモジと何やら言いにくそうにしている。
「どうした、トイレか?」
「ち、違うわよ!」
「じゃあ、なんだよ?」
「いや、その……私の今後のことなんだけど……」
そういうことか。今後のことねぇ。
「まぁ、その前にさ。お前、臭いからシャワー浴びてこいよ」
「なっ!? く、臭っ!? ほんと信じられない! デリカシー無し男! こんな汚い所に住んでる人に言われたくないわよ! バカ! バカ! バーカ!」
どんな美少女だって、数日も風呂に入ってなければ臭いはする。込み入った話をするのは身綺麗にしてからでも遅くはない。
すみませんね、ハッキリ物を言う性質でして。婉曲表現を勉強しておきます。
「だから天才だって。ほら、風呂の場所教えてやるから」
「今の言葉、一生忘れないからね! いつか後悔させてやるんだから!」
「遠回しのプロポーズか?」
「ムキぃー!!」
リアルに『ムキぃー』って言うヤツを初めて見た。
こいつを揶揄うの面白いな。けど、さっきからポカポカ――いや、ボコボコと殴られて痛いのでこれくらいにしとく。
パンチ・キックを躱わしながら、玄関横の脱衣所へ移動する。
「まず訊きたいのは、お前の現代日本に関する知識はどのレベルだ? シャワーの使い方とかは分かるのか?」
こいつは間違いなく日本人ではない。そして、日本人じゃないからと言って、アメリカ人でも、ブラジル人でも、中国人でもないのだろう。
俺が知る限り、猫の耳と尻尾が生えている民族はこの地球上に存在しない。
「その、ごめんなさい。一から説明してもらえると助かる……」
「分かった。簡単に説明するぞ」
洗濯機、洗面台、ドライヤー、歯ブラシ、トイレ、バスタブ、シャワー、シャンプー、リンス、ボディーソープ、それぞれの使い方や概要を説明する。
モノによって理解度はまちまち。歯ブラシとかは使っていたみたいだ。
「大体こんな感じだけど、大丈夫そうか?」
「う、うん」
初めて見るであろう機器や道具に、猫耳美少女は目を丸くしていた。
「で、あとそうだ。お前のことはなんて呼べばいい? 地の文(脳内)では『猫耳美少女』になってるんだけど、長くて面倒でさ」
「今更!? どうしてこのタイミングなのよ!?」
「え、なんとなく?」
「何よそれ……まぁ、いいけど――――サリィ、よ」
「へぇ、サリィね。名前は可愛げあるんだな」
率直にいい響きだなと思った。
「名前『は』ってどういうことよ! それで、あんたは?」
「俺がどうした?」
「もう! 察しが悪いわね! あんたの名前よ!」
そういえば俺も名乗ってなかったな。
「あー、俺は治」
「お、さ、む――――おさむ、治ねっ!」
なぜか猫耳美少女――いや、サリィは嬉しそうだった。噛み締めるように、俺の名前を何度も繰り返している。
しかも、なんか可愛らしい笑顔を浮かべて。名前を教えただけなんだがなぁ。
「治様と呼んでくれ」
何だか小っ恥ずかしくて、いつもの軽口で誤魔化した。
「あんたなんて『治』で充分よ!」
「はいはい。じゃあ、着替えとタオルは適当に持ってくるから」
「覗かないでよ!?」
出た、テンプレみたいなセリフ。ラブコメじゃないんだからさー。
「覗かん覗かん。貧乳のシャワー見たってなんも興奮せん」
「なっ!? ひ、貧乳って言うな! 見てもないのに憶測はやめてよね!」
「見てはないけど背負った時に分かったぞ。安心しろ、お前は歴とした貧乳だ」
あの感じだと寄せて『B』あるかないかってところだな。
「殺す! 絶対に殺す!」
「ちょ、やめ、おい! 悪かったって!」
柳眉を逆立てて、サリィが勢いよく襲い掛かってきた。
飯を食ったこともあってか、さっきよりも断然パワーアップしている。
なんとか謝り倒し(それでも顔面に三発は食らった)、サリィには大人しく浴室に入ってもらった。
「さてと、着替えとタオルを用意しないとな」
俺の服を着てもらうしかないのだが、残念ながら部屋着的なものを持ち合わせていない。普段は高校時代のスポーツウェアをパジャマ代わりに使っている。
それはさすがに申し訳ないので……あ、このパーカーとかいいんじゃないか?
俺の身長は一八五センチ。我ながら恵まれた体格をしている。
つまり、俺のパーカーはサイズがデカい。見るからにチビのサリィなら、ワンピースのように着こなせるんじゃないだろうか。
「入るぞー。はい、いち・にの・さん。――よし、脱衣所にはいないな。んじゃ、サリィ! タオルと着替え置いておくからな!」
キチンとノック。ラッキースケベを回避して目的を達成する。
酔いも回っているし、いくら貧乳とは言っても、裸なんて見ちまったらムラムラが抑えられなくなると思う。
多少は信頼してもらっているようだからな。それを裏切りたくはない。
「ありがと!」
浴室からサリィの声が返ってくる。やけに上機嫌だ。
ふぅ、いい加減にタバコ吸わないと死ぬ。そのままベランダへと直行した。
「スッキリしたぁ! シャワーって最高ね!」
一時間くらいしてサリィがリビングに戻ってきた。
頬が上気して、真っ白な肌が朱色を帯びている。白銀の髪にも艶が戻り、薄汚れていたさっきまでと比べ、明らかに見違えていた。
おまけにオーバーサイズのパーカーが、こじんまりとした体躯をより引き立たせ、否応なく異性であることを意識させられてしまう。
不覚にも見惚れてしまった。ちくしょう、今日の夜は悶々とするかもしれない。
「って、臭っ! なんか煙臭いんだけど!?」
「タバコだよ、タバコ」
そんな男の内情などお構いなしで、部屋のタバコ臭に苦情を言ってくる。
「獣人は嗅覚が鋭いの! 他にもお酒の臭いとか色々するし! そっちは我慢できたけど、この煙の臭いだけは無理! 私がここにいる限りは禁止よっ!」
自身のニオイ問題が解決したこともあって勢いが凄まじいな。
「えーと、家主は俺なんだけど?」
「うるさい! とにかくそれ控えて! 臭いから!」
横暴すぎる。え、マジでどうしよう。タバコ吸えないとガチで死ぬ……まぁ、いいや。面倒なことは後回しだ。きっと明日の俺がなんとかする。
それよりも気になることがあった。
「つか、軽くスルーしたけど獣人って何よ?」
「う、うん……その、察していると思うけど、私ってこっちの生まれじゃなくて……」
「へーなるほど。やっぱそうなのか」
「お、驚かないのね?」
「こういう手合いは初めてじゃなくてな」
その手の異形(?)に対しては耐性がある。昔、色々ありましてね。
現代科学を持ってしても、分からないことは無数にある。
宇宙を構成している物質のうち、人間が発見しているものは5%もないとか。この世の中には不思議がいっぱい。
自分が知らなかった知識や見え方があるのは当然のことだ。
「そう、なんだ。理解が早くて助かるけど……」
「んで? サリィは何をするためにこっちに来たんだ?」
「……ごめんなさい。これ以上のことは何一つ覚えてないの。目が覚めたらこっちの世界にいて、記憶もなくて途方に暮れていたとこで……」
「記憶喪失ってやつか。じゃあ、帰り方とかも分からないってことだな」
「う、うん」
「まぁ、そのうち思い出すだろ。ってことでよろしく。ふぁ~、そろそろ寝ようぜ」
色々ありすぎて疲れた。酒も入っているので超眠い。
「ちょ、ちょっと! 私の今後についてはどうするの!?」
丈が余ったパーカー袖を振り回しながら、サリィが必死に訴えてきた。
「あれ、その話ってしたよな?」
「してないわよ!」
もう流れ的に、と自己完結してしまっていた。
「いや、服も貸したしさ。泊まるアテもないんだろ? このまま『はい、さよなら』ってわけにもいかないし、サリィの身辺が落ち着くまではここにいろよ」
「い、いいの……?」
おもちゃを強請る子供のように上目で見つめてくる。
その仕草は反則だ。あまりの可愛らしさに、抱きしめてしまいそうになる。
「それ以外に選択肢ないだろ」
「で、でも! 私、何も返せないよ?」
「だから何もいらないって」
困った女の子を助ける俺かっけぇ、って自己陶酔はできたからな。
「それじゃあこっちの気がすまないのよ! も、も、もし望むのであれば……その、た、多少エッチなこととかも……受け入れる……し…………」
こちらを直視できないようで、顔を斜め四十五度に傾けている。隠しきれていない顔の半面は心配になるほど真っ赤になっていた。
「多少ってどんくらいよ?」
興味本位で聞いてみる。エロいことは大好きだ。
「そ、それは――――む、む、胸を触ってもいい……とか…………?」
「あ、なら大丈夫。貧乳興味ないんで」
やれやれ、こちとら初心な童貞じゃないんだぞ。颯太なら喜ぶかもしれないけど、俺にとってはただの生殺しだ。ABCで言うとこのBくらいは期待しちゃうよね。
提案されたところで断るけどさ。義務感でやる行為には全く興味がない。お互いに好意があるのが大前提だ。行為と好意、なんちって。
「また貧乳って言った! 治のバカ! いいもん! 今後、頼まれたって絶対に触らせてあげないんだから!」
「はいはい、じゃあそういうことで。これからよろしくな」
ぷりぷりと怒るサリィを無視して話を進める。
「私の話はまだ――いえ、じゃあ治。これだけは言わせて」
「ん?」
「ありがとう、これからお世話になります」
サリィは恭しく頭を下げる。なんつーか、こういうのって照れ臭いな。
「お、おうよ。しゃーないから、お世話してやるよ」
――――こうして、俺とサリィの共同生活がスタートしたのだった。
「んじゃ、俺は軽くシャワー浴びて寝るから。サリィはそこのソファーで先に寝てくれ。えーと、毛布はどこだっけな」
「え、そっちのベッドは使っちゃダメなの?」
「同じベッドで寝るか? 言っとくが、一◯◯パー手ぇ出すぞ?」
さすがに同衾をして辛抱するのは無理だ。悶々として眠れない、みたいなラブコメ展開はない。迷うことなく手を出す。
「何を堂々と宣言してんのよ! 違くてっ! こういうのは普通、女の子に譲ってあげるものじゃないの!?」
「再三繰り返すが、家主は俺なんだけど?」
「レディーファーストよ!」
「その概念、そっちの世界にもあるんだ――って、おい! ベッドを占拠するな!」
正当なる領有権を主張するが、賊によって不法占拠されてしまう。
「おやすみー」
俺の抗議を無視して、サリィはベッドで寝入ってしまった。盗人猛々しいとはまさしくこのことである。
やっぱ、こいつ外にリリースしてもいい?
「はぁ、やれやれ」
結局、俺がソファーで寝ることになりましたとさ。