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自宅……兼事務所(一応、法人名義で借りている)は、東中野駅から少し歩いたところにある。中野からは電車で一駅。歩いて二〇分くらい。
これがまた絶妙な距離なのである。
電車を使えば楽チンなのだが、悲しきことに金がないので歩いて帰ることに。
いつもと同じ道ではつまらないので、入り組んだ住宅街を気の向くまま歩く。
途中でコンビニを発見したので、九%のストロングチューハイを二缶、レトルトご飯、卵、ベーコン、刻みネギ、気になった新作おつまみを購入する。
レジ袋をぶら下げて、また歩き出す。
「こんなところに公園あったんだ――っていけね、独り言」
昔から独り言が多い。家族や友達、色んな人に指摘されてきた。
しかし、三つ子の魂百までとはよく言ったもので、なかなかこのクセは直らない。
「別に直す気もないけど。なになに……へぇ、さくら公園って言うんだ」
銘板には『さくら公園』と記載されていた。滑り台と砂場があるだけの簡素な公園。
名前から想像するに、春になったら桜の花が咲くのだろうか。
「ちぇー、ブランコでもあれば遊んでいこうと思ったのに――――あれ?」
公園の隅にダンボール箱が置いてある。遠目なので確証はないが、箱の上部から白い耳と尻尾らしきものがはみ出ているように見えた。
「なんだ、捨て猫か?」
秋夜の肌寒い中で捨て猫か。ふむふむ。
特段、動物が好きなわけでもない。いつもだったら放置していると思う。
だというのに、酔いのせいなのか、一人になった寂しさのせいなのか、らしくないことをしようとしていた。
ダンボール箱に向かってゆっくり前進していく。
「ん、なんか縮尺合わなくないか?」
思ったよりダンボール箱が大きい。
これだと中に入っている猫の大きさはとんでもないことになるぞ。
「え?」
箱の中身が見えた。なんだこれ。い、いや……さすがに幻覚だろ。
ベタだけど目を擦ってみた――が、どうも見間違えってわけじゃなさそうだ。
「どう見ても美少女だよな。しかも、コスプレ?」
胎児のポーズでうずくまる美少女が箱の中に入っていた。すでに状況が普通ではないのだが、拍車をかけるようにおかしな点が三つほどある。
一つ目は、雪のように真っ白な髪。
街を歩いていたら絶対に目立つが、作り物感がなく自然な色合いだった。
二つ目は服装。現代人が着る衣服とはかけ離れすぎている。
民族衣装、異国のドレスと表現すればいいのか。やや黒っぽい青を基調として、袖や裾に金色の刺繍が散りばめられたシルクの服。
見るからに高級そうで、やんごとなき方々が身に付けるようなものだった。
しかし、その美しいドレスにはススやシミ、砂や泥が付着している。
――――最後に三つ目。これが一番の驚き。
なんとこの美少女、頭からは猫の耳、臀部の辺りからは猫の尻尾が生えている。
ただのコスプレなのかもしれないが、少なくとも頭の耳はカチューシャなどで留められている形跡はない。パッと見では一体化しているようだ。
尻尾の方は脱がせてみないと分からん。さすがに自重するけど。
「とりあえずはあれか? 生存確認ってやつかね? おーい、生きてるかー?」
これが正しい行動なのか。その辺も全く分からない。あまりにも未知との遭遇すぎる。おそらくこの世界の誰にも模範解答は導き出せないだろう。
「…………!?」
呼びかけに反応し、猫耳美少女は目を覚ました。
大きな眼をこれでもかと見開き、飛び起きるようにして距離を取る。
「怪しいものではないんだけどなー」
「っ!」
正面切って見つめ合う形になる。
にしても、桁違いの美少女だな。顔とか小さすぎんだろ。その割に目はクリっと大きく、鼻や口はこじんまりとしてバランスが良い。
歳はハタチ前くらいかね。まだあどけなさがある。
顔は良いんだが、胸が小さいのが残念だな。おまけにチビだし。うーん、俺の好みではないなー。揉めば分かるが、結局はデカイ乳が最強なのよ。
「取って食ったりしないから……って、おいおい」
猫耳美少女は少しずつ後退り、適度に離れたところで逃げ出してしまう。
地味にショックだ。初対面の女子に嫌われることってあんまないんだけどなー。
けど、色々とワケありそうだし仕方ないか。トラブルに巻き込まれなくてよかった、とボジティブに考えよう。
なんてすっかり日常モードに切り替えようとしたのに――――バタンっ!
「####……」
日本語ではない言語を呟いて、猫耳美少女は地面に倒れてしまった。
「おい、大丈夫か!?」
駆け寄って肩を揺らすが反応はない。
しかし、きちんと息はしている。どうやら気絶してしまったみたいだ。
「さーて、どうするかー」
とてつもなく面倒なことになる予感しかしない。
自分のことで手一杯なのに、わざわざ火中の栗を拾うような真似は――けど、あれだな。猫の恩返しみたいなさ。なんかほら、ここで助けたら後々返ってくるかも。
思わぬ大金が転がりこんできてさ。情けは人の為ならず。人に親切にすれば巡り巡って自分にも還元される、なんて言うじゃないか。
あとはなんだろうなー。美少女を助ける俺ってカッコいい!
うん、助ける理由があるんだから致し方ない。ふぅー、全くやれやれだぜ。
「よっこらせ。軽いなー、こいつ。あと、やっぱ胸はないな」
上半身を起こして背中にのせる。
女性特有の柔らかさはあるが、残念ながら胸の感触は一切ない。
「この太ももだけで我慢してやろう」
これは体を支えるために必要な行為だ。救護活動の一環である。
あくまで不可抗力として、太ももの柔らかさを堪能したいと思う。
「人通りのない道がいいよな」
最短なら一〇分くらいだが、倍の時間をかけて自宅を目指した。
もちろん、ここは大都市・東京だ。誰ともすれ違わないなんてことはなかったが、特に見咎められることもなかった。東京って変な人が多いからね。
「ただいまー」
誰もいないのに挨拶は欠かさない。無言で家に帰るのって寂しいじゃん。
真っ暗闇の中で探るようにして壁のスイッチに触れる。電気を点けると見慣れた自宅の光景が広がった。シンクに溜まった洗い物、テーブルの上にはカップ麺の容器やお菓子の袋がそのまま置かれ、そこら中に脱ぎっぱなしの服が散らかっている。
この部屋の主は衛生観念が欠如しているな。
まぁ、俺なんですが。はい、すみません。昔からお片付けが苦手でした。
「よーし、下ろすぞー」
猫耳美少女は変わらず気絶したままだ。
もちろん返事はない。では、勝手にやらせてもらいます。背中からソファーに下ろして仰向けにさせると、猫耳美少女は「うっ」と顔をしかめた。
遅れるようにして『ぐぅぅぅぅぅぅぅぅ』と大きな音で腹を鳴らす。
「なるほどねー」
しばらく起きなさそうだし、酒と食材だけ冷蔵庫に入れて買い出し行くか。
***
香ばしい匂いがした。
もう三日近く何も食べていない。こっちに来てからは散々だった。
はっきりと覚えているのは、自分の名前とここではない別の世界からやって来たこと。
それ以外はほとんど思い出せない。
どういう訳か、言葉を理解することはできる。しかし、分かるからこそ実感してしまうのだ。この世界において自分が異端であることが。
「え、なにあれー? 何かの撮影かなー?」
「それコスプレ? 泊まるとこないなら、ウチ来る?」
「君、こんな時間に何をしているんだ? それにその格好は――」
長方形の物体を向けてくる少女たち。発情の匂いを漂わせる男たち。同じ青い服を着た集団。やたらと私に構ってくる。鬱陶しい、ほっといてよ。
次の日からは人目を避けるようにして行動した。
うるさい雑音は消えたけど、知らない土地で一人ぼっち。
どうしようもなかった。夜になると寒くて凍えそうだ。そんな時、大きな箱を見つけた。箱に入って丸まったら暖かかった。
それから、それから……。
「――――ここは」
目を開けると真っ白な天井があった。当然、見覚えはない。
どうしてこんなところに。ボヤけた頭をフル回転する。そうだ、箱の中で眠っていたら変な男に絡まれて――ぐぅぅぅぅぅ。
うぅ、恥ずかしい。お腹からおっきな音が鳴ってしまった。
それもこれも、このいい匂いが悪いのよ!
誰かが料理しているのかしら――――ぐぅぅぅぅぅぅと、またお腹がなる。
ま、まずは状況把握よ! この匂いの発生源を確認する!