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「俺の名前は野老澤治。職業は『天才』だ」
ここで一呼吸。ジョッキを傾けて冷たいビールを流し込む……ぷはぁ、うまい!
さて、喉も潤ったことだし続けるか。
「自分が『人と違う』と実感したのは幼稚園の頃だった。皆がタイヤ転がしに夢中になっている中、俺はタイヤ転がしの攻略法を売る情報商材ビジネスをしていた。対価は遊具の優先権とか可愛いもんだけど」
ゴールドラッシュで一番儲けたのは道具屋だったということだ。もちろん、当時の俺にはそのような知識はなかったが。
「とにかく、そんな天才的な発想力や着眼点を活かすことで、俺の人生は順調だったのだ。何をやっても上手くいく――そう、大学を中退するまでは」
転落が始まる。
「大学中退後、あらゆるビジネス・事業を立ち上げたがことごとく失敗。いよいよ貯金も底を突き、これからどうしようといった次第である」
喋りすぎて喉が渇いてしまった。セリフが多すぎる。一人で喋る分量じゃない。
乾いてしまった喉を潤すために再びビールジョッキを傾ける。
「一体、お前は誰と喋っているんだ……」
「なんて嘆息しながらツッコんできたのは、親友の御幸颯太。小中高大と俺の周りをうろちょろしている。たぶん、俺のことが好きなんだと思う。ちなみに童貞だ」
新たな登場人物について解説させてもらう。
「ふざけんなっ! 毎度毎度、治がこっちの進学先をパクってんだろ! 小中に関しては中野区の同じ学区だった以上は致し方ない。けど、高校からは違うぞ!」
あーやばい。いつものやつが始まるぞ、これ。
「お前が日比谷に行くと思ったから西にしたのに、制服が嫌だからとか意味不明な理由で一緒になっちまうし! 大学はお前が東大に行くって豪語していたから私立にしたのに、結局は同じ大学で学部専攻まで一緒とか最悪かよ!」
「あー、その話一〇〇回目」
「そうやってお前が毎回ストーカー扱いしてくるから弁解してんだよ! あと、俺が童貞なのは全く関係ないだろ!」
「御幸颯太は自分が童貞であることを気にしている。それもそうだ。俺たちはもう二十三歳。あと七年もすれば魔法使いになってしまう」
「その地の文を読み上げるみたいな口調やめろ! 不愉快だ!」
「上位存在が俺たちの行動を観察してるかもじゃん。これが冒頭場面だとしたらフォローしておかないと」
俺の名前、経歴、状況はきちんと伝わりましたかね。
よろしくお願いします、野老澤治です。我ながら面白い人間だと思っています。
つっても、こっちからは観測できないんですがね。もしいらっしゃるのなら、コーヒー片手に楽しんでください。
「いるかも分からん上位存在より、目の前にいる俺に配慮しろよ!」
「すまん、すまん。ほらラスイチの唐揚げやるからさ」
「五個あったうちの四個は治が食ってたよな!?」
「知っての通り、生活がカツカツで。貴重な栄養源なんだ」
居酒屋で飲むのは不経済なんだが仕方ないだろう。居酒屋の生ビールが美味すぎるのが悪いんだ。脳内での言い訳を済ませ、タバコに火をつける。ぷはーうめー。
「金ないとか言うわりに、タバコはめっちゃ吸うよな」
「そりゃそうだ。タバコないと死ぬよ、俺」
「ドヤ顔で言うな!」
俺レベルになると、むしろタバコを吸わない方が体に悪い。
「パチンコ打ってると、どうやっても吸いたくなるし」
「お前の行動は『貯金ゼロの無職』のものには思えんぞ……」
「違うぞ、颯太。発想が逆だ。こういう人間だから『貯金ゼロの無職』なんだ」
「それを自分で言うな! 誇らしげに!」
「困ってはいるんだぜ? 最近は動画の広告が消費者金融ばっかりだし」
「この間までかなり貯金あったよな。親父さんの遺産だっけ?」
「生命保険と純粋な貯金だな。親父は真面目だったからねー。あの金を固く資産運用でもしていれば、働かなくても生きていけたな。でも、それだとつまらんじゃん? 一度きりの人生だ。挑戦あるのみ!」
世界のためにも、俺の才能を活用しないのは勿体無い。
「結果、謎のイベント会社、パチプロ、不動産投資、仮想通貨、なんか最近はAI事業に参入するとか言ってたけど、全部失敗してるよな」
「失敗じゃない。なぜか時代が俺に追いついてこないんだよ」
遅ぇよ時代。
「……いい加減に就職したらどうなんだ?」
「それが不可能なのは、颯太が一番分かってんだろー?」
「まぁ、な」
昔から遅刻の常習犯。ずっと椅子に座っていることができない。
集団の空気を読むのが苦手、というか無理。社会性が皆無といって差し支えない。
「羨ましいぜ。一流私大を卒業して役所勤めの公務員。超安定だ」
「大学までの経歴は同じなんだから、治にも選択可能な未来ではあっただろ。おそらく、いや、絶対に、治は公務員向きではないと思うけどさ」
「だな、俺が公務員になったら笑い話だ。ずっと体制に反発してきた人間だし」
小中高、どの学年でも月に一度は悪さをするので、何度も家族の呼び出しがあった。
保護者会でも話題になり「野老澤くんと関わらないように」と、親から注意されている同級生もいたらしい。のちに本人から聞いて驚いたけど。
「だから、小中の頃は治のことがめっちゃ嫌いだったよ。仲間集めて悪さばっかしてさ。俺は委員長だから注意しなきゃだし」
「――小中の頃は嫌い。つまり、それ以降は好きってことだよな?」
つい、ニヤニヤしてしまう。
「うるせぇ! 高校の部活が一緒だと、仲悪くなろうにもなれないだろ! バスケ未経験だってのに、すぐレギュラー取っちまうし!」
中学までは野球部だった。ちなみにエースで四番。
高校で辞めたのはなんか飽きたから。あと、バスケ部の方がモテそうじゃん?
「天才ですから。ちょっと齧るだけで何でも出来るんだよな」
「うぜー、事実だから文句言えねー。テストの順位でも勝ったことないしよー」
小中と実力テストの順位は、俺が一位、颯太が二位の不動。高校に入ってからも順位で負けたことはなかった。しかも、俺はテスト勉強をまともにやったことがない。
それがまた颯太の怒りを増長させている。いわゆる神童ってやつだったんですよ。
「いいじゃんか。今の社会的な立場を見れば、颯太の方が勝ち組なんだから」
「……治がこのまま終わるようには思えないんだよ。数年後には大金持ちになっているんじゃないかって期待しちまう。たぶん、同期全員が思ってるぞ」
颯太は照れ臭そうに頬を掻いていた。
「なんだかんだ言って、御幸颯太は野老澤治のことを認めているのだった」
「だからそれやめろ!」
やっぱり、気心の知れた親友と酒を酌み交わすのは楽しい。
十年以上の付き合いだと、昔話だけでも永遠に喋っていられる。自然とジョッキに手が伸びて、酒もどんどん減っていく。
店内は活気に溢れており、店員さんが忙しそうに駆け回っていた。
いいね、まさに金曜日の夜。
――――あぁ、このままずっと酔いしれていたい。
「どうする、二軒目いくか? それこそ日吉さんの店とか」
時刻は二十一時を回ったところだ。
どうやら二時間近く飲んでいたようだった。二軒目にしろ、解散にしろ、この店を出るにはちょうどいい時間である。
「あー、今日アルケミーは貸切らしいんだよ」
「マジか、じゃあ別の店にするか?」
飲み足りなくはある。学生時代だったら、間違いなく二軒目を選択するだろう。
「いや、今日はやめておくよ」
「……この後、ひっそり首吊るとかやめてくれよ?」
「二軒目断ったくらいでそりゃひでーって。俺が死んだら世界の損失だぞ」
「治はどんな予定よりも飲みを優先してきた男だろ。彼女とネズミーランドに行く約束をしていたのに、飲みオールのせいで大遅刻したのを忘れたか?」
くっ、古傷が痛むぞ。そのあとは元カノに全力のグーで殴られました。
あいつ、いいパンチ持ってたな。そういえば最近結婚したらしい。おめでとう。
「あれだよ、次の事業計画を練らなきゃいけないからな」
「んで、次は何をするつもりなんだ?」
「それは次回のお楽しみ」
「要はノープランってことだろ」
「そうとも言う」
颯太の指摘は正しく、展望という展望は全くない。現実逃避のため颯太を飲みに誘ったが、言うまでもなくケツに火がついている状況だ。
「頼れる親戚とかは――――」
「知っての通り、母親は幼少期に癌で、親父は一昨年にくも膜下出血で、残る唯一の肉親だった姉も『世界一周する』とか言って消えてからは音沙汰なしだ」
そんなこんなで野老澤治は天涯孤独な身の上だったりする。
「そ、そうだったな……すまん」
「謝んなくていいって。仮に生きていたとしても、援助はしてもらえなかったと思うし。俺の無鉄砲さは身近な人間が一番理解しているからな。颯太含め」
「まぁ、普段の治を見ているとそうなるのも無理ないか。……だけど、治の強みは『何かやってくれそう感』って言うかさ。お前の魅力が多くの人に伝われば、なんかこう大きなものが生まれそうな気がするんだよ」
やけに神妙な面持ちだ。
「何だよそれ。政治家にでもなれって?」
余裕がある時なら、もっと気が利いた言葉を返せたと思うが、現実にぶち当たっている今は発想も貧困だ。
自分が『何者』でもないと理解するのが怖い。
天才って言葉は、半ば自分に言い聞かせている部分がある。あ、これオフレコな。
「俺は絶対に投票しないな」
「薄情なやつめ」
何なら政治家にはなりたくもない。知り合いに参議院議員がいるけど、話を聞いているだけで、俺のような直情的な人間には向いていない職業だと分かる。
「今日はこのくらいにしとくか。困ったことがあれば言ってくれ、金以外で」
「一番の困りごとは金がないことです」
金さえあれば、大抵のことは解決できると思う。
何度も事業で失敗してきた自称・経営者が言うんだから間違いない。
「まずはタバコとギャンブルをやめろ。んじゃ、また暇な時に声掛けてくれ」
耳が痛くなるド正論を残して、颯太はスタスタと歩いて行ってしまった。ものの数秒で金曜夜の賑やかな街に溶けてその姿は見えなくなる。
「さむっ」
不意に寒さを感じた。十月の夜は思いの外冷える。
なにか温かいものが食いたいな。正直なところ飲み足りないし、コンビニで酒とつまみでも買って帰るか。
それなら颯太と一緒に飲めばと思われるかもだが、二人だと考え事は出来ないからな。今は考えるべきことが沢山ある。本当に色々と。
繁華街を歩く人の流れに逆らい、一抹の寂しさを覚えながら家路についた。