終わりの時
いつの間にか秋めいた。
通りに並んでいるイチョウの木が黄色く色づいていた。
私は先生やクラスメイトたちに無視されながらも学校へ通っていた。
カナさんと弁護士の笹川先生は学校の裏サイトをみつけてそこに投稿していた人も突き止めた。
裁判は複雑になっていて私にはよくわからなかった。
2学期も半分が過ぎた頃、加害者にあたる女子生徒が急にSNSで晒される事件が起きた。
私は担任に呼ばれて心当たりがないか聞かれたがまったく身に覚えがなかった。
私を1番に疑うのは仕方のないことかもしれないが気持ちのいいことではなかった。
カナさんも怒って笹川先生から学校へ苦情の電話をかけてもらっていた。
個人を特定できるような書き込みで、ぼかしが入っていたが顔写真も晒されていた。
瞬く間にネットニュースになり、私が腕を切って入院したことや加害児童の父親が暴行罪で起訴されたことなども明るみに出た。
テレビ局は校門の前で生徒たちにインタビューしては教頭先生に追い払われていた。
私がビショビショにされて撮られた写真で出会い系サイトになりすましで登録されたことやその写真もどこから出てきたのかネットに晒されていた。
笹川先生のところには取材依頼が殺到していた。
うちの電話も鳴り続け、インターホンを押して取材しようという記者もやって来た。
私は登校することもできなくなって学校を休んでいる。
「笹川先生が記者会見をしてもいいかと聞いているんだけど。」
夕食のときにカナさんが困った顔で私とお父さんに話した。
「場所は笹川先生の事務所で、ユラのことは名前や写真を出さずにやるっていうんだけど、ユラが嫌ならこのまま対応を続けるって。どうしたい?」
私は家に来る記者がいなくなるならやってほしいと言った。
お父さんも笹川先生にお任せしたいと言った。
数日後、笹川先生は事務所で記者会見をした。
テレビ局や新聞社、ネットニュースを扱ってる人まで予想より多くの人が集まった。
笹川先生は今どういう状況でどんな裁判を起こしているのかを話した上で、今後同じような目に遭う子供が出ないように啓発の意味も込めてご両親と本人と一緒に戦っている。と話していた。
テレビでは他のクラスメイトたちに匿名でインタビューした映像や再現VTRなども流れた。
明らかなイジメの行為を見ていたはずのクラスメイトたちは『可哀想だったけど何もできなかった』『止めたかったけど自分がターゲットになるのが怖かった』などと自分の立場を正当化するようなことも言っていた。
主犯格ではない取り巻きの女子生徒の親が匿名でインタビューを受けて、『うちの子は気が弱いので主犯格の子に逆らえなかった。』などと裏切るようなことも言っていた。
私はすべてがどうでもよくなってしまった。
何も変わらない。
イジメてた子だけは責められて辛い思いをしているかもしれないけど、それ以外の子たちはまるで知らんぷりだ。
私はもうやめたいと笹川先生に言った。
先生は何も言わずに示談の話を進めてくれた。
カナさんも「やった奴らは二度と同じことはしないだろうね。」と言って私の頭を撫でてくれた。
示談が成立するとネットでの反応はほとんどなくなった。
笹川先生は取材に対して、「加害児童には制裁になったと思いますがそのまわりの環境はそんなに変わっていないように思います。残念なことです。」と言ってくれた。
3学期になって私は学校にまた通うようになった。
クラスメイトや先生は相変わらず私を空気のように扱った。
カナさんが「人生は長い。中学校生活3年くらいの人付き合いなんて長い人生の中のほんの少しだよ。卒業しちゃえば二度と会わなくなる人だっているんだから。」と言ってくれた。
私は未来を考えて、今は修行のターンだと考えた。
いろんな人がいるということを学ぶ時間だ。
だからといってこちらも壁を閉ざすわけではなく、人にされて嫌なことはしない。
普通に話しかけるし、無視されても怒らない。
最初はキツかったけど徐々にクラスメイトたちも打ち解けてくれるようになってきた。
主犯格だった女子生徒はずっと登校拒否状態で学校に来ていなかった。
取り巻きだった子たちはそんなこと気にもしていなかった。
私の学校生活は平穏を取り戻しつつあった。
自分の態度1つで相手の態度も変わるということを学んだ。
被害者側にも改善の余地がある。
イジメられている最中には気がつけなかったことだ。
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私はカナさんと仲良しになった。
今では一番の親友だ。
いつでも話を聞いてくれて、それは違うとか間違ったことにはちゃんと指摘もしてくれた。
お父さんとの仲もとてもよくなった。
私は幸せだった。
学校でも嫌なこともなく過ごせるようになった。
すべてはカナさんのおかげだと思っている。
カナさんが私に復讐するよって言ってくれてなかったら私はこんなに笑ってはいない。
もしかしたらこの世にもいなかったかもしれない。
それなのに。
カナさんは急に倒れた。
血を吐いて苦しそうにしていた。
私は無我夢中で救急車を呼んだ。
カナさんは病気だった。
膵臓ガンという名前の病気で、転移もしているという。
私は目の前が真っ暗になった。
確かに日に日に痩せていく姿を見て痩せ過ぎだなとは思っていた。
でもいつも笑顔で、上手じゃない料理もしてくれて。
いつもそこにいてくれた。
そのカナさんが今は病院のベッドで苦しそうにしている。
お父さんもすぐに駆けつけた。
「お父さん、カナさん苦しそうだよ!死んじゃいそうだよ!!」
私はお父さんを殴った。
お父さんは私の両手を掴んで、「ごめん」とだけ言った。
白衣の先生がやってきて意識のないカナさんを診ている。
「先生!カナさんをたすけて!」
私は泣きながら先生にお願いをした。
先生は悲しそうな顔をして何も言わずに病室を出ていってしまった。
「どうして何もしてくれないの?!」
私はカナさんに抱きついて思い切り泣いた。
「カナの希望で延命治療はしない約束になってるんだ。」
お父さんは泣きながらカナさんの頭を撫でた。
「どうして?こんなに苦しそうなのに!」
私には理解できなかった。
「カナは毎日幸せだって言ってたよ。俺とユラと暮らせて。残りの少ない人生にユラを助けることができて良かったって。生きる希望になったって。ユラのおかげで長生き出来てるって喜んでたよ。」
「まだありがとうって言ってないよ!親孝行だってこれからしたいよ!まだ時間がほしいよ!!カナさん!!」
私はそう叫んでカナさんの手を握った。
温かかった。
カナさんにつけられている機械がピーピーと警告音を鳴らした。
すぐに先生がやって来た。
お父さんは私を抱きしめた。
カナさんについていた機械はそのままピーーーと鳴った。
今まで出ていた数字は全部が0になっていた。
看護師さんは機械の音を消した。
先生は聴診器をあてて、目を開いてライトをあてていた。
「午後3時18分 御臨終です。」
そう言って私たちに頭を下げて病室を出ていった。
お父さんはその場に泣き崩れた。
私は信じられなくてカナさんの手を握った。
温かかった。
「お父さん!カナさん温かいよ!生きてるよ!」
お父さんは私の手を取った。
「カナは天国に行ったんだよ…」
私は声も出せずにカナさんをみつめた。
そんなわけない。
そんなわけない。
────
カナさんは死んでしまった。
あっという間に骨になってしまった。
カナさんは病気と戦いながら、私と一緒にイジメとも戦ってくれていた。
イジメには勝てたけど、病気には勝てなかった。
私はご飯を食べることができなくなった。
お父さんは心配して無理やり食べさせようとしてくれたが食べると吐いてしまった。
私はフラフラになって机に倒れ込んでしまった。
その時、私の日記から封筒が出てきた。
『ユラへ』
カナさんからの手紙だった。
私は泣きながら読んだ。
何度も何度も繰り返し読んだ。
私は下に降りていってご飯を食べた。
吐きそうになったけど我慢した。
私は生きないといけない。
カナさんは私が元気に生きることを望んでいた。
私はカナさんが大好きだ。
だから食べることにした。
お風呂にも入って、学校にも行くことにした。
カナさんに見られても恥ずかしくないように。
私は前を向いて生きなくてはいけない。
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