絶望からの
私が10歳のときに母親は家を出ていった。
いい母親ではなかったけれど、飲んだくれでどうしようもない父親から私を守ってくれる唯一の大人だった。
父親は酒癖が悪く、酔うと乱暴になり母親と私は怯えて暮らした。
しかしお酒が入っていないときの父親はとても優しくて、母親のことも私のことも愛してくれた。
母親はそんな父親から離れられないでいた。
怪我をさせては反省して謝る父親を母親はいつも許してしまっていた。
しかし私が10歳の誕生日を迎えた日、母親は何も言わずに消えた。
私は誕生日パーティをしてもらえると思っていたので家でおとなしく待っていた。
料理を作っている気配はない。
私は外食にでも出かけるのだろうと思っていた。
外が暗くなっても母親は帰ってこなかった。
時計が23時を回っても母親は帰ってこなかった。
私はいつの間にか居間にあるソファで寝てしまった。
お腹はぐぅぐぅなっていたが食べるものはなかった。
誕生日だし、ケーキを食べられるとずっと思っていた。
その日、父親は深夜に帰宅した。
大声でご機嫌で帰宅した父親は私に気がつかずに自分の寝室へ行ってしまった。
私はその音で目が覚めた。
母親の靴は玄関になかった。
いつも使っているカバンもなかった。
母親は帰ってきていなかった。
私はそのまま自分の部屋で寝た。
お母さんに何かあったのかもしれないなんて、そのときには思わなかった。
ただ眠くて、何も考えられなかった。
────
朝になり、父親は大声で怒鳴っていた。
「なんで起こさないんだ!遅刻するだろう!」
階段をドタバタと降りていく音が聞こえた。
「おい!どこ行った?朝飯はどうしたんだ?」
父親はわめいていたが返事はない。
私は階段を降りてそれを黙ってみていた。
「ユラ、お母さんは?」
私をやっとみつけた父親は私にそう聞いた。
「お母さん、昨日から家にいないよ。」
「なんだって?!」
父親は母親に電話をしているようだった。
『お客様のおかけになった電話番号は現在使用されていないか…』
父親は何度もかけ直していた。
「なんだよっ!」
父親は携帯電話を投げつけた。
「仕事に行く。お母さんが帰ってきたら連絡するように言ってくれ。」
そう言うとボサボサの頭のまま家を出ていってしまった。
私はお腹が空いて食べるものを探そうと冷蔵庫を開けた。
冷蔵庫の中には調味料やビールばかりですぐに食べられるものがなかった。
私はお腹が空いたまま学校へ行った。
お友達は私を見て昨日と同じ服を着てどうしたの?と言った。
私は着替えもしないで寝てしまい、そのまま学校へ来てしまったようだった。
給食の時間になるまで私は耐えた。
────
母親は私の前から完全に消えてしまった。
何も言わずに、何も残さず。
父親は毎日怒り狂って酒を飲んだ。
私はなんとか家のことをした。
料理はできないけどお小遣いで食パンを買ってきてマーガリンを塗って食べた。
着るものがなくなって洗濯もした。
父親は私のことまで考える余裕がないようだった。
いつも怒っていて話しかけるのも怖かった。
いつも母親にかわいく結ってもらっていた髪の毛も自分ではできずにいつもボサボサの髪をしていた。
私は学校でも口数が減り、お友達も私に話しかけなくなった。
私は孤独になった。
先生も私を見ているのか見ていないのかわからなかった。
私は透明人間になったのかもしれない。
────
私が中学生になっても母親は帰ってこなかった。
父親は家事のほとんどを私にやらせた。
私にお金を渡して食べるものや日用品を買うように言った。
部活にも入らず、勉強も遅れをとっていた。
人と話すことが怖くなり、目も合わさない学校生活が続いた。
学校へは給食を食べるためだけに行っていた。
そしてそれは始まったのだ。
『イジメ』だ。
最初は些細なことだった。
みんなに無視されるのには慣れていたし、一人でいたかったからそれは問題なかった。
しかし私を見てクスクス笑ったり、机や椅子を蹴っては喜ぶ人が出てきた。
イジメはだんだんエスカレートしていった。
私には相談できる大人がいなかった。
父親はいつも怒っていて、話しかけても無視された。
私は日記を書いた。
ノートにその日あったことをすべて書いた。
私ができることはそれくらいしかなかった。
それでも学校へ行かないといけない。
給食を食べないと死ぬと思ったからだ。
────
中学2年になろうという頃、父親は一人の女の人を連れてきた。
「この人と結婚することにした。お前の母親になるがあまり期待するな。この人にはこの人の人生がある。」
父親はそう言って『カナ』さんを紹介した。
カナさんはとても派手な格好で綺麗な人だったが優しそうではなかった。
「私、子供って嫌いなのよね。絶対にお母さんなんて呼ばないでよね。」
「はい。」
私はそれ以上カナさんと話をしなかった。
部屋に行けと父親に言われた。
もう私の居場所は自分の部屋しかない。
カナさんは仕事もせずに毎日家でダラダラと過ごしているようだった。
朝食の時間にはまだ寝ていて、父親と私は食パンを食べて仕事と学校へ向かった。
父親はカナさんに何も言わなかった。
私も何も言わなかった。
学校でのイジメはひどくなっていた。
教科書はビリビリ破かれ、トイレに入るとドアを叩かれた。
先生も気がついているだろうけど私が何も言わないのをいいことに知らんぷりすることにしたようだ。
ある日の給食の時間、イジメの首謀者の女子が私の机を蹴った。
私が楽しみにしていたクリームシチューは机の上で倒れて私の制服にかかった。
それを見てまわりの生徒たちはクスクス笑いながら「汚い」「臭い」「帰れ」と言った。
私は心の中で何かが切れるのを感じた。
私は立ち上がり汚れたまま教室を出た。
先生が目で追っているのはわかったけど話しかけては来なかった。
私はそのまま家に帰った。
カバンも何も持たずに家に帰った。
追いかけてくる人は誰もいなかった。
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家に帰るとカナさんが誰かと楽しそうに通話をしていた。
私が帰ったのをチラリと横目で見た気がしたがそのまま部屋に向かった。
私はすべてがどうでもよくなった。
私がここにいる意味なんて何もない。
クラスメイトを笑わせるために生きているわけではない。
机の上にあるカッターが目に入った。
私は躊躇わずに腕を切りつけた。
赤い血が流れてきて触ると温かかった。
こんな私でも生きているんだと思った。
止まることなく流れる血を見て私は笑った。
『私も生きていたんだ』と思った。
薄れていく意識の中で階段から音が聞こえた。
「あんた学校はどうしたのよ?」
カナさんがいつもの調子で怒っているようだった。
「もう死ぬから関係ない。」
私はそれだけ言って目を閉じた。
ふわふわして気持ちよかった。
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私は死んでいなかった。
カナさんはすぐに救急車を呼んでくれたようだった。
父親もさすがにやってきていた。
学校から校長と教頭と担任が来ていた。
大人たちは誰が悪いだとか誰の責任だとか大声で責め合っていた。
私はどうして死ねなかったのだろう。
「うるさい!」
私はそう叫ぶとベッドの中に潜った。
看護師さんがやってきて病室からみんなを出した。
それでも廊下から大人たちの声が聞こえてきた。
『うるさい!うるさい!うるさい!』
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私は鎮静剤を打たれて眠っていた。
目を開けると泣きはらした顔のカナさんがいた。
私の顔を見ると「ごめんね」とだけ言った。
それからカナさんは私に話しかけるようになった。
しかしイジメについては何も聞かなかった。
退院してからはご飯を作ってくれるようになった。
真っ黒焦げの何かわからない食べ物を食べさせられた。
父親も私に気を使うようになった。
お酒はやめると言って毎日早く帰ってくるようになった。
私の腕の傷はかさぶたになった。
学校はイジメの事実は認められなかったと父親に報告したようだった。
家で問題はありませんか?と聞かれて父親は何も言えなくなってしまったようだった。
そんな父親を見てカナさんは睨みつけていた。
「ユラ、明日から学校行きなさい。」
父親はそう言うとそそくさと自分の部屋に行ってしまった。
カナさんは「無理しなくていいよ。」と言ってくれた。
私は考えるのが面倒くさくなっていた。
もう別にどうでもいいよ。
そして私は次の日から学校へ行った。
何事もなかったかのようにクリーニングされてきれいになった制服を着て学校へ行った。
教室に入るとクラスメイトたちは私を睨みつけた。
「本当に迷惑。」
「何また学校来てんのよ。」
私に聞こえるように大きな声でつぶやいていた。
先生も何もなかったかのようにいつも通りだった。
私はまた透明人間になった。
私は何か言われてもされても気にしなかった。
何か反応をしたら相手が喜ぶとわかっていたからだ。
私は日記だけは続けていた。
気持ちを吐き出す場所はここにしかなかった。
私がいつものように日記を書いているとドアをノックしてカナさんが入ってきた。
「ユラ、私は怒ってる。」
私はカナさんが机の上に置いたものを見た。
私は無言でカナさんの顔を見た。
「復讐するよ。」
カナさんはニヤリと笑った。
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