2.洗礼をもう一度
「朝だぞシトラス!」
掛け声とともに殺気をまとって繰り出される拳を、私は間一髪で頭をずらしてかわす。
お父さんの拳はうなりを上げ、私が頭を置いていた枕をベッドごと撃ち抜いていた。
私は混乱しながら辺りを見回す――そこは十年前に滅んだはずの、生まれ育った家。
目の前に居るのも、十年前に命を落としたはずのお父さんで間違いない。
「おとう……さん?」
お父さんはあの日のように、豪快な笑顔で私に告げる。
「どうした? ぼうっとしてないで、早く飯を食うといい。今日からお前は街に行って、聖教会で洗礼の儀を受けるのだろう?」
私は混乱しながら、お父さんに尋ねる。
「ここは……冥界なのかな? 私は死んで、お父さんたちのところにやってきたの?」
お父さんがきょとんとした後、豪快に笑いだした。
「はっはっは! まだ寝ぼけているのか? 早く顔を洗ってこい!」
お父さんは笑いながら部屋から出ていき、私が一人残された。
頬っぺたをつねってみるが、痛みがある。
夢ではないらしい――その頬っぺたの感触に違和感があり、自分の姿を改めて見下ろした。
まるで子供のような身体――慌てて洗面台に行き、鏡を見る。
そこには、七歳になったばかりの私の姿が映し出されていた。
****
「だーかーらー! 数日後に魔物の集団発生が出るんだってば! だから早く逃げようよ!」
朝食の席で、私は必死に両親を説得しようと努力していた。
「はっはっは! そんな怖い夢を見たのか! だが魔物の集団発生程度、私なら充分あしらえる。心配など要らんぞ?」
「そうよ? シトラス。お父さんは何度も魔物の集団発生を鎮圧しているんだから、怖いことなんてないのよ?」
お父さんはまったく聞く耳を持ってくれないし、お母さんも同様だ。
私も次第に「もしかしたら、ただの悪夢だったのかも」と思い始め、大人しく朝食を口に運び始めた。
悪い夢だとしても質が悪い。
あんなに長くて気分が悪い夢なんて見たくなかった。
人の人生で十年分を生きるほど長い夢なんて、あるのかな?
村の教会前で、他の子供たちと共に荷馬車に乗りこむ。
「シトラス、短い間だけど身体には気を付けてね」
夢の通りに景色が流れていき、お母さんが夢の通りの言葉を私に告げた。
「――お母さん! 魔物の集団発生が出たら、すぐに逃げてね!」
お母さんは苦笑を浮かべながら、私に手を振ってくれた。
近くに座る男の子が、私に尋ねてくる。
「魔物の集団発生が来ても、シトラスのお父さんが居れば怖くないだろう? 何をそんなに怖がってるんだ?」
「……悪い夢を見たから、不安になっただけだよ」
その子は半分納得した様に、流れゆく景色を楽しみだした。
そして馬車は、宿場町へ向かいまっすぐ駆けていった。
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宿場町の聖教会に着くと、恰幅の良い見覚えのある司祭が出迎えてくれた。
私は馬車から飛び降りると、司祭の前に出てカーテシーと共に挨拶をする。
「エルセベッツ・ファステ・ベイヤー司祭様、お元気そうで何よりです」
私が顔を上げると、ベイヤー司祭は驚いたように私を見つめていた。
「……君とは初対面のはずだが、どこかで会ったことがあったかな?」
そこでようやく私は確信した。
ここまでの道のりは、天気の全て、目に入る景色全てが悪夢の通りだった。
そこで違和感を感じ、必死に悪夢の中の記憶を思い出していたのだ。
司祭が洗礼に来た子供たちにフルネームを知らせることはない。その必要がないからだ。
この名前は、悪夢の中で洗礼を受けた後、私が個人的にベイヤー司祭と親交を深めて教えてもらった名前だ。
当然、片田舎の子供が知っているわけが無かった。驚くのも無理はない。
「ご相談があります。お時間を頂けるでしょうか」
ベイヤー司祭はしばらく私の目を見つめたあと「わかった。後で部屋に来なさい」と言ってくれた。
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木製の扉を軽く手でノックする。
「失礼します、シトラスです」
「ああ、入りなさい」
招き入れる声に応じて、私は扉を開けて部屋の中に入る。
「まぁ座りなさい。それで話というのは何かな?」
私は手短に、悪夢で起こった内容――おそらく、これから起こるだろう内容をかいつまんでベイヤー司祭に話した。
ベイヤー司祭は難しい顔で私を見つめていた。
私はおずおずとベイヤー司祭に尋ねる。
「……やはり、信じられませんか?」
「言いづらいが、君が『救国の聖女』の聖名を受ける、というのはとても信じられる事ではない。何か証拠になるようなものでもあるのかい?」
「悪夢で見た通りだとすれば、十年後に国宝の聖玉が砕けます。
隣国トゥーラウ王国へ攻め入った時、聖玉が砕けるのです。
それ以前にもバイトルス王国やウェストニア王国にも攻め入り、その時に亀裂が入ります。
野心家のヘルマン・ラウネス・シュミット宰相を抑え込まなければ、魔神の封印は綻びる一方でしょう。
そして私の処刑が最後の鍵となり、魔神の封印が解かれるのではないでしょうか」
私は『片田舎の小さな農村の娘』が知らない言葉を羅列していった。
全て、悪夢の中で見聞きしてきたものだ。
特に聖玉の話は国家機密。魔神封印の要であり、聖教会の高位司祭と一握りの高位貴族や王族しか知らない代物だ。
ベイヤー司祭は眉間にしわを寄せ、慎重に私を見定めているようだった。
私は単刀直入に用件を伝える。
「――この際、魔神の復活はどうでもいいのです。
数日後、私の生まれ故郷が魔物の集団発生で滅びます。
大型のブラッド・ボアが大量発生するのです。
いくら武勇に優れた父でも、村人を庇いながら対処をするのが不可能な規模になります。
村を救うため、兵士を派遣しては頂けませんか」
ベイヤー司祭は難しい顔で私を見つめ、言葉を告げる。
「……確かに、君のような子供が知るはずのない知識を、君は持っているようだ。
だが君の証言だけで、それほどの魔物の集団発生に対応できるだけの兵力を動かすことはできない。
半端な兵力を差し向けても、被害が増えるだけだろう」
「もう時間がありません! 今すぐ、急いで援軍を送らなければ村が、お父さんとお母さんが襲われてしまいます!
村が襲われた知らせは五日後に到着します! 今から村に派兵してギリギリなんです!」
この街と村の間は馬車で片道三日足らず、村が滅んでからここに急いで報せに来る人間が二日で道のりを踏破するとしたら、おそらく三日後辺りに魔物の集団発生が発生するはずだ。
今すぐ兵士を用意し、急いで出発しなければ間に合わないのだ。
ベイヤー司祭が固く目をつぶり思案した後、再び目をゆっくりと開いて私を見つめた。
「……わかった。街の警備として駐屯している軍の責任者に、話だけはしておこう。
だがおそらく、彼は頷くまい。それでも構わないかい?」
良い訳が無い、けれどこんな荒唐無稽な話を信じろというのが無理筋だと言うのも理解できていた。
私はがっくりと肩を落としながら、ベイヤー司祭に頷いた。
「……はい、それでお願いします。
これで村が滅びても、ベイヤー司祭を恨んだりはしませんので、気に病まないでください」
ベイヤー司祭が、うつむいた私を眺めているようだった。
「シトラス。君は聖神様の加護を、今も持っているのかね?」
私はうつむきながら、ゆっくりと首を横に振った。
「今の私は洗礼を受ける前です。道中で試してみましたが、まだ加護の力を使えない様でした」
私はうつむいたまま、力なく応えた。
ベイヤー司祭は私をしばらく見つめたあと、ゆっくりと立ち上がった。
「……おいでシトラス。祭壇前に行こう」
私は顔を上げてベイヤー司祭を見上げた。
「祭壇前に? 駐屯軍の責任者に話をしてくれるのではなかったのですか?」
ベイヤー司祭がニヤリと私に笑いかけた。
「一足先に、君に洗礼を与えよう。それではっきりするはずだ」
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私は祭壇前で目を閉じて跪いていた。
ベイヤー司祭が夢の通りに、私に聖魔法を施して洗礼を行っていく――それと同時に、私の身体がふわりと浮き上がったような気がした。
驚いて目を開けると、私は真っ白な空間に漂っていた。
「なにこれ……ここはどこ?」
『シトラス、聞こえていますか』
透き通るような女性の声が辺りに響き渡った。
「聞こえてるけど……あなた誰?」
『私は聖神スフィリア。あなたに加護を与える者よ』
「あー、聖神様か。もしかしてこの訳の分からない状況って、全部聖神様のせい?」
『よくわかってるわね。あなたが殺された後、魔神が復活してその世界は滅茶苦茶にされたわ。
そこから人間の文明を立て直すのが難しそうだったから、時間を巻き戻してみたの。
どうかしら? 殺されるまでの記憶がある今のあなたなら、魔神復活を阻止できるんじゃない?』
「そんなことを言われても、私に与えられた加護の力は、癒しの奇跡だけだよ?
それだけで魔神の復活を阻止しろなんて言われても、前回と同じ結果になるだけだと思うけど。
――それにもう、この国の人間がどうなろうと、今の私にはどうでもいいよ」
私に向かって死を願った民衆たち。私を陥れて我欲を追求した醜い宮廷の亡者共。
彼らが苦しんで死んでいこうが、痛む心はあの日、どこかに置いてきてしまった。
『初心を思い出してシトラス。
あなたは”これ以上悲しむ人たちが増えない力が欲しい”と願ったはず。
私はその心に応えて、あなたに救国の聖人の聖名を与えたのよ?
それに今のあなたなら、信用できない人間の区別もつくんじゃない?』
私は十年前のあの日、今日から五日後に思い知ることになる子供たちの泣き顔を思い出していた。
――子供たちが、あんなに悲しい涙を流さなきゃならない世界は間違ってる。
その思いだけは、今でも変わらず胸にあった。
私は小さくため息をついた。
「村の滅亡を救うことはできるの?」
『不可能ではないわ。それを可能とするだけの加護を、今回は与えてあげる。
その代わり、あなたは更なる苦難を背負うことになってしまうけど……それでも構わない?』
「どういう意味? 神の加護が強くなって、苦難を背負うの?」
『強すぎる力は扱いが難しいのよ。前のように大人しい力ではない分、あなたは様々なことで苦労するの。
それを乗り越えて、魔神の復活を阻止してくれるかしら?』
「どうして私なの? もっと他に聖女に相応しい人だっているんじゃないの?
私はもう、あんな悪意の坩堝に身をさらすのは嫌だよ」
聖女になれば、また貴族社会に組み込まれて行く。
あそこは魔神よりもおぞましい醜い亡者たちの楽園だ。
近寄るだけで魂が穢れる気持ちになる。
『もう魔神復活まで時間がないの。今はあなたが最も聖女に近い人間なのよ』
「……私なんかが聖女に最も近いだなんて、この国の人間はどれだけ腐ってるのかな。
救う気持ちが失せて行く話ね」
『あなたは自分が思っているより、ずっと綺麗な心を持った人間よ。
前回だって、あなたに救われた人間は大勢いたわ。
大丈夫、自信を持って頂戴』
「……そう、わかったよ。じゃあもう一度だけ、やってあげる。
でもまた失敗したら、今度は別の人に頼んでね」
『心配しなくても、こんな奇跡は二度も起こせないわ。次に魔神が復活したら、その世界は最後よ。
そのことを忘れず、今度こそ選択を間違えないで。
――あなたの新しい聖名は”ファム・エストレル・ミレウス”、最も強い力を持つ聖名よ。
これが私の最後の力。あとはあなたが自力で頑張って』
聖神様が名前を告げた途端、世界が目を開けて居られないほど眩く光り輝いていた。
私は目をつぶり、その温かい光を浴びていた。
祭壇前で跪いていた私は、ゆっくりと目を開けた。
「まさか、聖名が前回から変わるとは思わなかったです」
ベイヤー司祭も、戸惑いながら私に告げる。
「君の夢では、『新しき救国の聖女』だと言ったね。
だが今回は『新しき原初の聖女』だ。
こんなに長い聖名は、伝承でも聞いたことがない」
聖名は普通一つだけだ。
聖名が二つ続くだけでも特別なのだと、十年前に教わった。
それが三つも続くのだから、それはもうとんでもなく特別なのだろうと私でも分かる話だ。
私は祭壇前で立ち上がり、ベイヤー司祭に微笑みかける。
「聖女として認定してもらえた、ということでいいのかしら?
では、駐屯軍の責任者に会いに行きましょう」




