4.朝食と服
ミユウ・ハイストロ
類まれなる戦闘能力、世界トップ級の怪力、そして殺されても蘇る超再生能力を持つ不殺族。
本来は男だが、訳あって現在は少女の身体になっている。
アストリア・ナルトリフ
ミユウの許嫁である魔術族の少女。
お淑やかで優しい反面、愛しい相手に対する加虐趣味を持っている。
「は、はひ、はひ……」
ティークによるくすぐりの刑から解放されたのは、開始から三〇分経った頃。森全体に日光が行き渡った頃である。
アストリアは朝食の準備を終えると、「もう結構ですよ」といいながら指を鳴らす。
それを合図に、ティークは光となって霧散した。
残されたミユウは汗と涙で濡らし、髪を無造作に乱している。
頬の筋肉がつり上がったまま、ピクピクと痙攣する。
とても人前に晒せるような状態ではない。
そんな彼女の姿をアストリアはニコニコと笑いながら、見つめていた。
「いかがですか? 少しは反省されましたか?」
「反省、しました」
「それは結構です。もうこれに懲りたら、逃げだそうと思わないことです」
「ご、ごめんなひゃい」
「では、朝ご飯にしましょう。要塞を出られてから、何も召し上がっていないでしょ?」
「最後に食べたのは五日前かな?」
「そうだったのですか?! それで……」
アストリアの視線の先には地面にできた小さな穴。それは昨晩ミユウの拳で作り上げたものだ。
万全な体勢の一般男性でも、素手であれだけの芸当はできない。
それをミユウは疲労と空腹に苛まれた状態で繰り出したのだ。
「流石は不殺族ですね。油断していれば、お腹に大きな穴が開いていましたよ。やはり、くすぐりに弱い身体にしておいて正解でした」
「ん? 何か言った?」
「いいえ。何でもありません。そうですね。まずは湖で顔を洗ってきてください。それから朝食にしましょう」
「う、うん……」
覇気のない返事をして、ミユウは湖に向かうため、立ち上がろうとする。
しかし、くすぐられたことにより体力が奪われ、足だけで立つことが難しい状態にあった。
「大丈夫ですか? 歩けないようでしたら、肩をお貸ししましょうか?」
「手伝いなんていらないよ。一人で行く」
正直移動するのでも一苦労で、手伝いが欲しいという気持ちもあった。
しかし、自分をこのようにした張本人の手を借りるのは癪だったので、アストリアの提案を断る。
仕方なく、四つん這いの姿勢で移動することにした。
「くっ。お、重い……」
大きく膨れた胸が重い。
前進する度、振り子のように大きく左右に揺れる胸につられ、全身がよろけてしまう。大量の水の入った袋を首から提げられているようだ。
「逃げることに必死だったとはいえ、よくダッシュできたもんだよ」
やっとの思いで湖の縁に到着する。
片手を伸ばし、水をすくおうとした瞬間、ミユウの動きが止まる。
水面を覗き込むと、そこには一人の見慣れない少女の姿が映っていたからだ。
顔を土埃で汚し、黒髪を四方八方に跳ね上がらせたその少女は、そこはかとなく幼さの残った美少女だった。
最初はそれが誰なのか分からなかったが、数秒後にはその正体が自分自身であると理解できた。
「これは……今のあたしの顔?」
頭では理解できても、精神的にはまだ受け入れきれていない。
目の前にいる少女は全くの他人だ。まだ昨日の髭を蓄えた男の姿の方が現実味がある。
しかし、しばらくの間付き合いになるこの姿を、否応なく受け入れなければならないのだ。なんとも情けない話ではあるが。
「いかがしましたか?」
なかなか帰ってこないミユウを心配したのか、いつの間にか近づいてきていたアストリアがミユウの背後から頭を出す。
「え? いや、別に何も」
「もう。まだ汚れたまではないですか。仕方ありませんね。私がお手伝いを……おや?」
ハンカチを取り出し、それを水面に手を伸ばすアストリア。
そこには水面から覗き込む、もう一人のミユウの姿があった。
「あっ、なるほど。ミユウさん、ご自身の顔に見とれていたと。もう自惚れさんですね」
「ち、違うよ! まだこれが自分の顔だって受け入れきれていなくて」
「うふふ。冗談ですよ。本当ミユウさんは可愛いんですから」
「むぅ! 誰のせいでこんなことになったと……」
「はいはい。私が悪うございました。さあ、じっとしていてください」
アストリアはハンカチを水に濡らすと、ミユウのふくれっ面を丁寧に拭いていく。
そして、意地を張るミユウを肩に担いで、食事の用意された場所に連れて行った。
ーーー
「はぁ~。食った食った」
アストリアの用意してくれた朝食を食べ終えたミユウは、後ろに倒れる。
要塞で出されるものといえば、野菜の欠片が入ったスープ一杯のみ。それに毎日ではなく、十日に一度のペースで出される。おかげで十年間はずっと空腹状態だった。
なので、今回の朝食は久しぶりの食事と言ってもいい。
数種類の果物だけではあるが、今までのものと比べても雲泥の差である。歯を使うだけで食べた気になれる。
「申し訳ございません。もう少し揃えたかったのですが、何分こちらと町の往復には時間がかかりますから」
「気にしなくてもいいよ。満腹とまではいかないけど、結構お腹には溜まったからね。あと少しだけ休んだら、町まで歩ける体力も戻ってくると思う」
「うふふ。それはよかったです。さて、次の問題は……」
「?」
アストリアは大の字になって寝そべるミユウの姿をじっと見つめる。
「ミユウさん。まさか、その姿で人前に出られるおつもりですか?」
「え? どういう……なっ!」
目線を自らの全身に落とすと同時に、ポッと顔を赤くした。
そこには木の枝でボロボロになった布で、辛うじて大事な部分だけを隠している、ほぼ裸の姿があったからだ。
しかも、年頃の麗しき女性の身体。
それが自分自身のものとは分かっているが、女性耐性のないミユウにとって、あまりに刺激が強すぎる。
すぐさま手と足を使って、残り少ない布きれが落ちないよう抑える。
「ちょっと! 気づいているなら早く言ってよ!」
「あえてずっとその姿でいらっしゃるのかと思っていましたから。世の中には裸で人前に出ることに興奮を覚える方も少なからずいらっしゃると聞きますし」
「あたしは露出狂じゃないよ!」
「安心しました。要塞で過ごす中で変な趣向に目覚めてしまったのかと内心ヒヤヒヤしました」
「あたしを何だと思ってるの。そんなものに目覚める余裕なんてなかったし」
「まあ戯れはここまでにして。流石に今のお姿では悪目立ちします。まずは衣装をどうにかしなければいけませんね」
「じゃあ、アストリアの服を貸してよ。何着か持ってるんでしょ?」
「嫌ですよ。今の汚れたミユウさんに着られたら、服が内側から汚れてしまいます」
「何気に酷いこと言われた! 仮にも許嫁が半裸で人目にさらされるよりも自分の服が汚れ方が嫌なの!」
「当たり前です」
「ええ……」
それが愛おしい人物に対する発言なのだろうか?
「そうですね。ちょうど湖もあることですし、そちらで身を清められた後なら構いませんが」
「それはちょっと……」
アストリアの指さす先には湖がある。
確かに簡単ではあるが、身体の汚れを落とすことはできる。
しかし、自分の身体とは言え、年頃の女性にはまだ慣れていない。
残り僅かに残る布を取り払うだけでも勇気が要る。その上、全身くまなく触るとなると、更に勇気が要るのだ。
「得意の魔術で身体を綺麗にしてくれないの?」
「私の技術では無理ですね。汚れだけを浄化するのは思っているより難しいですから」
「じゃあ、一層のこと魔術で服を作ってよ。鎖とか簡単に出せてたじゃん」
「確かに可能ですが、衣服のような繊細なものとなると、形を保てるのはせいぜい三時間ほど。町に着いた瞬間、服が消えて、ミユウさんの肌が晒されてしまいます」
「あ~。最初から裸でいるより、そっちの方が嫌だな」
「しかし、服を作るというのはいい案ですね」
「まさかそこら辺の草を編んで作るってわけじゃないよね」
「流石にそれは無理ですが、もっと簡単な方法がありますよ。まあ、できるかどうかは彼の気分次第ですが」
「彼?」
アストリアはニコッと笑うと、右手で指を鳴らす。
すると、仰向けになっているミユウの上に一体の魔獣が姿を現し、のしかかる。
「ひ、ひぃ!」
必死になってティークから逃れようとするが、既に手足を拘束されていた。
「ちょっと! あたし、何か悪いことした?!」
「まあまあ。慌てないでください。別にミユウさんをくすぐる目的でティークさんを召喚したわけではありませんから」
アストリアからのアイコンタクトを受けると、ティークの全身が光り出し、ミユウの身体を包み込む。
そして、その光は一着の衣類へと姿を変えた。
故郷にいた娘たちが着用していたような簡素な服である。
立ち上がり、自分自身の姿を繰り返し確認する。
「何これ?」
「うふふ。すごいでしょ? ティークさんは自在に姿を変えることができるのです。本来はミユウさんを苦しめるための能力の一つなのですが、今回は特別に私からお願いしました。この方法であれば、ティークさんの気分が変わらない限りは永続的にその姿を維持していただけるでしょう」
「気分次第って。場合によっては、町の中で裸になる可能性もあるってこと?」
「大丈夫ですよ。私が指示を出していますので、勝手に姿を戻すことはないでしょう。ティークさんは私に忠実ですからね」
「ほ、本当……」
シンプルでありながら、所々に細かな飾りが施されている。
とても自分を拷問するために生み出されたスライムであったとは思えない。
しかし、拷問器具を身につけて歩いているようで、どうも落ち着かない。
スカートの裾が足に当たるだけで、ビクッとなる。
「ミユウさんが不安がるのは分かりますが、今は我慢してください。町に着いたら、ミユウさんの服を買ってあげますから。ね?」
「ん~他に方法がないなら仕方ないか」
「ありがとうございます。もう少しだけ休んだら出発しましょうか」
「うん」
「あ、そうです」
アストリアは自分の身なりを簡単に整えると、胸に手を当てて大きく息を吐き、ミユウの両手を手に取る。
「ミユウさん。今後ともよろしくお願いいたします」
母親のような優しさと子どものような無邪気さが混ざった、アストリアの笑顔。
あまりにも美しく、可愛らしいその表情に、思わずミユウの心臓がドクンと音を鳴らした。
【アストリアの魔術講座】
今回は私の召喚獣であるティークさんについて説明しますね。
ティークさんは通称”拷問スライム”と呼ばれるスライムの一種です。
寄生した相手の苦手とすることを重点的に責め、徹底的に苦しめます。
そして、対象者の苦痛の感情を、自身が顕現するために必要な魔力に変換し、摂取するのです。
まさに”拷問スライム”の名にふさわしいですね。
他にも様々な能力を持っているのですが、それはまたおいおい紹介しましょう。
ティークさんの召喚方法は、ミユウさんが要塞に拘束されている間に古い文献から見つけました。