自分会議(姉の名前)
ライラが河原から完全に立ち去ったのを確認して、ティロは茂みの中で緊急自分会議を開くことにした。
「あのさあ、これっていいのか?」
(いいか悪いかで言えば、よくはないよね)
(手放しで賛成は絶対出来ないけれど、あの場面では間違ってもいないと思う)
いつものように一生懸命考えて思いついた名前をけなされるより、自分の考える最高な名前を彼女に送ることができただけでも及第点ではないかとティロは思い直した。
「そうだよなあ、大体俺に名前をつけろっていうのが間違いなんだ。剣技に関してはちょっと自信はあるけど、名付けに関してだけは間違いなくダメな奴だっていうのも自信があるくらい俺はダメな奴だぞ」
(スキロスとキオンも危なかったもんね)
(あの時の姉さんの顔、なかなか忘れられないんだよな)
(予備隊の時もバカにされたね)
(多分世間一般でバカにされるレベルなんだ、俺の名付けはさ)
「大体、名前ってそんなに大事なのか? みんな大事に捉えて意味を込めるだの親の名を送るだのいろいろ言うけどさ、俺にはそんな名前じゃなくて中身をもっと見たいというか、名前はただの通過点であってそんなに大事じゃなくない? みたいな考えが先に来て何でもよくなるんだよ」
(そういう人もいてもいいんじゃない?)
(何でも苦手があるのは当たり前だからさ)
「そうそう、俺が名前付けるのが下手なのは今に始まった話じゃないからそれはいいとして……問題は彼女だよ」
一瞬もう二度と合わなくてもいい、と思った彼女だったが姉の名前をつけてしまった以上関係を断つ気は全くなくなっていた。
(それでどうするの、これから)
(これから彼女のことをライラって呼んでいけるのか?)
「うーん、どうだろう。さっき呼んでみて、やっぱり姉さんのことしか思い浮かばなかった」
(ダメじゃん!)
(無理だって!)
「わかってる! わかってるんだよ! 俺だって苦しいんだって! 何で俺が愛した女は実の姉でもう死んでるんだって! もういつだって気が狂いそうなんだ!」
頭の中で優しい姉の姿が何度も何度も蘇って、茂みの中で叫びながらしばらくのたうち回る。
(とりあえず落ち着こう)
(十分もう狂ってるからさ)
「そうだった、俺はもう狂ってるんだ。すごいな、素面なのに狂ってる自覚があるぞ」
全てを仕方ないこととして捉えると、あまりにもどうしようのないことばかりで全てのことがどうでもよくなってきた。
(意外と素面のほうが狂ってるのかもよ)
(薬やってはじめて世間に顔向けできるような奴だからな)
「ああ……なんで俺こんなにゴミみたいな奴になっちまったんだろうな」
(しょうがないよ、もうゴミなんだから)
(ゴミはゴミらしく眠剤でも入れて寝ようぜ)
早く寝た方がいいのはわかっていたが、気がかりがあった。
「そうなんだけどさ……今後のことだよ、今後。もし、彼女とこれ以上の仲になったとして、彼女をライラと呼んでそういうことしなくちゃいけないのか?」
今のところ何もなかったが、これから彼女と男女の関係になることも十分想定された。その際のことを考えると、元から眠れないところが更に眠れなかった。
(別にそこまで考えなくていいんじゃない?)
(そもそも、彼女とそういう仲になりたいか?)
「どうだろう……確かに彼女は可愛いし、何故か俺のこと気に入ってるし、こんなところにわざわざやってきてくれるし、俺は今のところ彼女に対して嫌な気持ちはないしな」
(わかるよ、確かに可愛い)
(可愛いし、やっぱり女の子に好かれると悪い気はしないよな)
「でもさあ……可愛いからこそなんで俺は姉さんの名前なんか付けちゃったんだろうなって思うんだ」
(それは自分が悪い、諦めよう)
(過ぎたことは忘れてとにかく前を向こう)
「そうだよな……今は彼女がライラになっちまったんだ。ライラ……ライラ……」
(ライラって呼んだら、彼女は笑ってくれたね)
(それだけで何だかドキドキしたもんな)
「ライラ……姉さん……畜生! ライラは俺のもんなんだ! 誰にも渡さない!」
「だって姉さんは俺だけの姉さんだもん! 他の誰にも渡したくない!」
「いやでも姉さんの名前渡しちゃったの俺だ! 全部俺が悪いんだ!」
「俺のバカ! アホ! ゴミ! 死んじまえ死んじまえあの時姉さんと埋まってりゃよかったんだ畜生!!!」
(それで、結局これからどうするの?)
「しょうがないだろ! 彼女がライラになっちゃんだから! もう彼女をライラって呼ぶしかないじゃん! いいよもう彼女も可愛いからさ! 俺の中で可愛い女の子は全部ライラ! もうそういうことにしよ! ライラは姉さんの名前じゃなくて概念! ライラは可愛いものの総称! 姉さんは永遠に姉さんだし、彼女も彼女で可愛い! もうそれでいい! 俺は彼女をライラと呼ぶ! もうそれしかないんだから! もうもうもう!」
(大丈夫か?)
「大丈夫なわけないだろう! こんなに死んだ姉について素面で一人で喚いている奴なんか世界中探したってどこにもいやしないって! ああ畜生! なんで姉さんは死んじゃったんだよ! あいつらさえ来なけりゃ、今頃俺と姉さんは二人きりでそりゃもう、一体、どうなって、いたんだ……?」
ふと、災禍の後に無事隣の市まで辿り着いた未来を想像する。名前も立場も無くした15歳の姉と8歳の自分がどうやって生きていくことになったのかを考えると、やはりあまりいい未来は見えなかった。
(あんまり考えたくないよね)
(そもそも弟なんだから……)
それに、年頃だった姉は自分を養うために他の男と結婚をしていたかもしれないと思い至り、自分で想像して自分で激しく落ち込んでいるはずもない相手の男を殺さんばかりの激情に駆られた。
「そりゃ俺は今でこそ社会の恥でゴミでクズだよ! でも元はと言えば国王とデイノ・カランの孫だぞ? ちゃんと逃げたとしたら俺一体何やってんだ? 姉さんと二人きりで、きっと夜も一緒に寝るんだろうなあ……」
想像の中なら何でも出来るので、幾度となく繰り返した限りなく都合のいい妄想を試みる。
(寝るだろうね)
(不安で抱き合ったりしただろうね)
(抱き合う)
(そう、抱き合う)
(姉さんと寝ながら?)
(そう、抱き合う)
「そんで抱きしめながら俺が姉さんは俺が守るとか言ってさ、姉さんはそんなこと言ってもあんたはまだ子供じゃないとか言ってさ、でも俺は子供だからって姉さんを守れないわけないとか言ってさ、そんで俺がもう少し大人になってなんだかんだあってやっぱり姉さんは俺のことが好きってことになって、そんでずっと一緒にいてもいいとかになってさ、12歳と19歳くらいなら何とかなるんじゃないか? そんでさ……」
(それで?)
ひとしきり都合の良い妄想を重ねて、ある程度気が済んだ。
「その先はなんかどうでもよくなった」
(それはよかった、じゃあ寝ようか)
「あああ……でも眠れるかな」
茂みの中で寝転び、懐から睡眠薬を出して口にする。自分会議をとりあえず終えても、赤毛の優しい顔をした彼女の笑顔の奥にどうしても美しい銀髪の姉の姿を見てしまうことだけは逃れられないことだというのは確かだった。
剣都編で示されていた通り、こいつは本来行動しながら考える性格であまり後先のことは考えません。その結果は事件編で示されている通りです。そして姉のことになると何を言っているのかわからなくなるのはいつものことなので、気持ち悪いなと思っていてあげてください。
次話、ライラの素性告白と左遷通告の心中です。
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