馬の名前
予備隊内では乗馬の訓練のための馬が何頭か飼われていた。基本的に世話は14歳以上の上級生の役目で、ティロもよく馬の世話をしていた。
ティロとシャスタの小指の爪が治ってきた頃、予備隊に新しい子馬がやってくることになった。予備生たちは喜んで新しい馬の名前をああでもない、こうでもないとそれぞれ考えていた。
(何だよ、いいじゃん馬の名前なんて何だって!!)
ティロはとにかく自分に話題の矛先が向かないことを祈った。
「なあ、ティロは何がいいと思う? メスなんだってさ!」
馬の名前についての話を振られて、ティロは自分の名前を尋ねられたようにぎくりとした。
(来た! 俺に名前の話はするな……とも言えないし、どうしようどうしよう)
思い浮かばない、というのも薄情であると思われるかもしれない。結局今思うところを正直に言うことにした。
「えっと……今度来る奴は8頭目だろ? だから馬8とか……かわいいんじゃないかな……?」
精一杯考えたつもりだった。
予備生たちの驚いたような、哀れむような表情が一斉に突き刺さる。
(ほら見ろほら見ろ! キオンとスキロスの姉さんのときと一緒だ!)
「そうだな、可愛いかもな……」
「貴重な意見、ありがとな……」
予備生たちはティロの話を聞かなかったことにして、再度馬の名前を何にするかを考え始めた。
(何だい何だい! どうせ俺は名前つけるのが下手くそだよ!)
頭にきたティロはその場を離れ、新しい子馬が来る予定の厩に向かった。
(もっとよく自分のことのように相手のことを一番に考えるのよ、って姉さん言ってたな……子馬の気持ちがわかれば、きっといい名前が浮かぶかもしれないんだよな)
一生懸命子馬のことを考えてみた。しかし、まだ見ない馬のことなど何もわからなかった。
(俺だって一生懸命考えてるんだけどな。でもさ、その人にあった名前って思うと本当にずっとそれでいなくちゃいけないって思って、上手に言葉が出てこないんだよ。だって、俺なんかに名前付けられるなんて、なんか可哀想じゃないか。だからとにかく他と違うことがわかるのが最優先、って思うとああいうのしか出てこないんだよな)
「どうしてみんなかっこいい名前をつけようって思うのかな……」
馬に囲まれていじけていると、後ろにシャスタが立っていた。
「別にさ、かっこいい名前なんか付ける必要ないんだよ」
シャスタはわざわざティロを追いかけてきたようだった。
「大事なのは、相手のことを一番に考えることだ。相手にどうなってほしいかを考えて名前って付けるものだからさ」
「なんでお前に説教されなきゃいけないんだよ」
いじけているティロは、いきなり正論を言われて更にいじけてしまった。
「それは……名前って大事だから、もっとよく考えてほしいな、って思ったから……」
シャスタは普段よりも歯切れの悪い返事をした。
「俺だって一生懸命考えてるの! それでアレなの!!」
それを聞いてシャスタは更に気まずそうに応える。
「一生懸命だったのか……てっきりふざけてるものとばっかり……」
「悪かったな!」
ますますいじけるティロに、シャスタは畳みかける。
「でもちょっと考えてもらいたいんだけどさ、例えばある日いきなり違う名前を名乗れって言われたらどうする?」
(はあ!? 俺がまさにそうなんだよ!! こいつ何言ってるんだ!?)
ティロは内心かなりムッとしたが、それを表明するわけにもいかないので機嫌の悪いふりを続けた。
「そりゃ……悲しいだろうよ」
「悲しい、そうだよな、悲しいよな」
シャスタはティロの隣に来て、しばらく一緒に馬を眺めていた。
「つまり、名前って大事なんだよ。名乗りたい名前が名乗れないってすごく残酷だし、名前で呼んでもらえないっていうのは最悪だ」
「だから何でそれをお前に言われなくちゃいけないんだよ!?」
ますます不機嫌になるティロに、シャスタは低く呟いた。
「そうだよな、俺なんかにそんな立派なこと言う資格ないよな……」
しばらく2人の間には沈黙が流れた。
「あのさあ」
ティロが口を開いた。何故急にシャスタがこんなことをわざわざ言いに来たのかわからなかった。おそらくシャスタの中にも何か周囲の誰にも言えない事情があって、そんなことを言うのだろうとティロは考えた。
(何があったのかを聞くなら今、なんだけど……)
シャスタに過去を尋ねるならば、自分も過去も話す必要があると思った。そして、それは絶対に出来ないことであった。
「なんだよ」
予備隊に来てからほぼ片時も離れず一緒に過ごしてきた。ただ「こいつの隣」という居場所があることがとても心地よかった。
「俺たち、友達だよな?」
ティロは思いついたことをとりあえず口にする。
「何言ってるんだよ、今更」
「だって、特務に上がったらこうやって一緒にいられるとは限らないし、危険な任務でどっちかが先に死ぬかもしれないし」
ティロはこの前の研修で潜入に失敗した特務の話を思い出していた。そうでなくても、特務に上がればずっと一緒にいることは叶わない。最悪死別も考えられた。
「そんなこと言ってたら切りないだろう」
「そうなんだけど」
再び沈黙が訪れた。ティロには目の前に広がる不安が手に取るように見えた。
「そうだ、ずっと前に『お前が弱かったら友達になってない』って言ったの覚えてるか?」
今度の沈黙を破ったのはシャスタだった。
「……そんなことあったかな?」
「もう随分昔だからな。あの時お前がなんか傷ついてるのはわかったけど、どうして傷つくのか俺はわからなかった。今思えば傷つくに決まってるのはわかるけど、あの頃の俺は本当にわからなかった」
ティロはすっかり忘れていたが、シャスタにとっては重要な出来事のようだった。
「正直な話をすれば、俺はお前が強いのを知っていたから絶対お前に敵わないって思った。だからわざわざ友達になろうって言いに行ったんだ、そうすればお前から攻撃されることはないって思った。俺にとって、友達って言うのはそういう存在だったんだ」
(何だ、やっぱり打算だったんじゃないか)
「でも、友達っていいもんだなあって思った。裏切らないし、裏切る必要もないし、一緒にいるだけでいいんだからな。そうだろう?」
「今更何を言ってるんだ?」
当たり前な話をされたのでティロは面食らったが、すぐシャスタにとってそれは当たり前でなかったことに思い至った。誰も信じられなかった路上生活時代を思い出し、シャスタにとってそっちが「当たり前」であった可能性を考えると急に寂しい気持ちに襲われた。
「だから戻ろうぜ、みんな待ってるから」
「……わかった」
今自分が帰るところがあるということで、少し心が温かくなるようであり二度と戻れない故郷が遠くなるようだった。
(俺が今帰るべきところは、予備隊なんだよな……)
「あと、ひとつどうしても言っておきたいことがある」
「何だよ」
「お前、名前つけるの下手すぎるな」
「うるせえ」
その後軽口をたたき合いながら2人は厩を後にした。ただ隣に裏切らない誰かがいるというだけで心が救われることをティロはよく知っていた。しかし、彼と共にリィアの犬として生き直すことはエディアの血を継いでいる者として許されない気もしていた。
そんな複雑な気持ちを置き去りにして月日は流れ、ティロが予備隊に在籍できる日も少なくなっていった。
ティロの拗れた姉愛と見た目のコンプレックス、そしてシャスタとの関係が大分煮詰まってきました。これで予備隊での話は実質的に終わりです。ティロにとって、そこそこ平和な時代でした。
次話、特別訓練から河原に行き着くまでの話になります。かなり落ち込む話になるので心が健康な時に読んだ方がいいと思います。
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