処刑実習
ティロとシャスタの情報局での研修は続いていた。
「ところで、利き手ってどうやって見るんですか?」
左手の小指の爪を剥がされたティロは涙を浮かべて情報局員に問う。
「簡単だ、一番最初に研修を受けるために一筆書かせた。その時にペンを持っていた手をよく見ておく。こういう観察も特務では重要だからな」
(やっぱり剣以外も左手で出来るようにしておいたほうがよかったかな……今更遅いけれども)
爪が完全に戻るまで一か月ほどは痛む手で剣を振らなければならない。いっそ右手で持ってしまいたかったが、既に引き返せないところにティロは立っていた。
「他は右なんだから、右手でも剣を持ってみればいいじゃん」
「ええ、無理だよ……」
シャスタの素朴な提案に、社会的にも物理的にも死に直結することを想定してティロは答える。
「そうかな……出来ると思うけど」
先ほどの尋問やシャスタの何気ない提案で、ティロの心は始終ぎくぎくとしていた。
(俺がエディアの王族だなんて、デイノ・カランの孫だなんて誰も思っていないからそういうことを言うんだ。疑っているなら最初からこんなことをさせてもらえるはずがないんだ、きっとそうに決まってる)
それでもリィアの特務の懐に入っているのはあまりいい気分ではなかった。
(特務にあがったら毎日こんなこと考えて生活するのかな……嫌だな……でも俺にはもう選択肢がない)
次の実習まで時間があった。情報局員は痛みで落ち着かないティロとシャスタに話しかけてくる。
「確かに俺たちの仕事はまともじゃないし、人の嫌がる部類のものだ。だけど、実際に革命家を相手にしたらそんなことも言ってられない。あいつらはどこにでも潜り込む。最近は連れ合いを無くした老人を囲んで、可哀想がって味方ヅラして財産をむしり取っていく。奴らは善意の寄付による活動資金と言い張ってるが、実際はどんなもんなんだか」
ティロは革命家について学んだ際、革命を建前に資金を集めて私服を肥やす革命家も多いという話を聞いていた。
「最近もビスキで暴動が起こった。鎮圧しに行った警備隊員が殺されて、権力者の末路だって奴ら見せしめに死体を吊してた。何かあるとすぐ吊す。標語も吊すし、人も吊す。これは革命家の習性みたいなものだ」
情報局員が冗談交じりで言うと、思いの外シャスタが神妙な顔になっていた。
「どうした? そのくらいで痛がってると革命家に掴まったらひとたまりもないからな」
未だにシャスタが小指の爪を気にしているのだと思った情報局員は更に話を続ける。
「あいつら自分が敵だと思った奴には容赦しないからな。だいぶ前になるが、帰ってこない潜入の奴がいた。そいつが見つかったときは、目も耳も舌も腕も足もない上に背中には『犬の末路はこうなる』って刻まれていた。俺たちも諦めてたけど、まさか生きて帰ってくるとは思わなくて随分気落ちしたもんだ」
その光景を想像して、ティロは「随分気落ち」どころではなくなった。
「……その人はどうしたんですか?」
「その場ですぐ楽にしてあげたそうだ。それが本人のためだ。奴は立派だった、俺はあいつを忘れない」
情報局員は遠い目をして、それから2人に向き直った。
「さて、次はお待ちかねの実習だ」
情報局での実習は先ほどの拷問体験の他に、革命家の処刑執行もあった。情報局員の指示でティロは立ち上がったが、何故かシャスタは座ったままであった。
「……どうした?」
「いや、何でもない。ただ処刑ってだけでちょっとなあ、って」
ティロは過去にシャスタから「情報局に入りたい」と聞いたときに一瞬彼の正気を疑ったのを思い出した。仕事内容もわかっていてこの仕事を志望していると思っていたが、どこか及び腰なシャスタが不思議で仕方なかった。
「いつもなら率先して『俺がやる!』とか言いそうなのにな」
「それは頼もしいな、さあ行くぞ」
ティロと情報局員に促されて、ようやくシャスタは立ち上がった。
「君たちの実習のために執行を遅らせていた連中がいるんだ、運のいい奴らだな全く」
情報局員に連れられて、2人は処刑場になっている中庭に連れて行かれる。待機していると、拘束された男女が4人連れ出されてきた。
「我々の命運が尽きようと、同志たちが必ず我らの遺志を受け継ぐからな!」
「黙れ、大人しく死ぬんだ」
中庭の処刑台に拘束され、頭に袋を被せられた男女は口々にいろいろなことを罵っていた。
「我ら忠実なる自由の僕に! 全ての自由を我らの手に! 自由と平等を奪い返すその日まで! 不屈の魂こそが救われる!」
そのうち、彼らは同じ調子の言葉を暗唱し出した。
「何ですか、あれは」
「あれが悪名高い『聖獅子の誓い』だ。あいつらは更生の余地がないからな、こうするしかない」
思想犯を取り締まって片っ端から殺していた時代は過ぎ、今は軽めの思想犯は思想矯正の名の下で強制収容所に送られるのが定番であった。先ほどの革命家に資金を流していた男は即刻収容所に連れて行かれた。
(あれが『聖獅子騎士団』か……)
聖獅子騎士団とは自由や平等を謳いながらその実態は危険な反社会集団で、独自の理想的な共同体を武力で広げることを目的としていた。そのために略奪や誘拐は厭わないならず者たち、というのがティロの知っていることだった。
重度の思想犯及び反乱を企て実行を試みた者には銃殺刑が用いられていた。ティロとシャスタにも拳銃が渡される。実戦で使われる機会はほとんどない拳銃だったが、予備隊ではしっかり銃の扱いも叩き込まれていた。2人は拳銃を手に、それぞれ処刑対象者の後ろに立った。
「この世界に真の自由を!」
4人いるうち、女は1人であった。まず手始めに情報局員が女の頭部を打ち抜いた。
「さあ、やってみろ」
ティロも同じように、喚く男の後頭部に拳銃を当てる。
(こいつは死んだ方がいい奴だ、そうなんだ、だから俺が殺さなきゃいけないんだ)
頭ではわかっていても、引き金を引く手に力が入らない。ティロの脳裏に様々な思いが過っている間に、シャスタはあっさり引き金を引いていた。それに釣られて、ティロもようやく引き金を引いた。喚いていた男たちはそれ以降静かになった。
「……なんだ、こんなもんか」
シャスタが小さく呟いたのを、ティロは聞き逃さなかった。
「さあ実習はこれで終わりだ。後片付けは君たちの指が治って情報局に入ったら手伝ってもらうからな」
情報局員からはこれから2人で予備隊に帰るよう指示された。ティロは少し様子のおかしなシャスタが気になっていた。
「まだ痛いのか?」
「ああ、俺掴まって拷問されたら洗いざらい吐いちまうかもしれないな」
シャスタは包帯の巻かれている指を過剰にさすって見せた。そのおどけた態度に先ほどの動揺は見られなかった。
(……そりゃ、人殺しなんていい気分じゃないよな)
ティロは処刑の瞬間過ったことを思い出していた。エディアで助けられなかった市民、自分の間違った判断で処刑されたアルセイド、そして自分の間違った判断で殺された姉。その他様々なことが思い浮かんだ。
(俺はもう立派な人殺しだからなあ)
今日人を殺したことよりも、今更人を殺しても特に心が痛まない自分がとにかく恨めしかった。




