生き別れ
言及:有明編第5話亡霊「命の恩人」
療養所の生活は苦痛しかなかった。折れた骨の痛みに加えて今後の不安と焦燥、そしておそらく命を狙われているという残酷な事実が執拗に身体を苦しめた。更に眠りに落ちる度にまた土が頭に降ってきそうで、ろくに眠ることもできなくなった。
身の回りの世話だけはしてもらえたが、声を出すことができないために様々なことで後回しにされた。食べ物もうまく喉を通らなくて何を食べても吐き出してしまうことがあったためか、たまに食事を忘れられることもあった。そんなときは空腹よりも自分の存在を忘れられたことに対して強く胸が痛んだ。
数週間して何とか歩けるようになると、左腕を吊った状態で療養所を追い出された。怪我人だけでなく、避難生活で身体を壊している人がたくさんいるという。少しでもベッドを必要とする人のために空ける必要があった。例のリィア軍が開設した避難所に連れてこられたが、何をどうすればいいのか全くわからなかった。
(僕がエディア王家の人間だってわかったら、殺される)
避難所のリィア兵を見る度に、身体が氷のように固くなった。それは身近に潜んでいる「死」の匂いだった。リィア兵の青鼠色の隊服を見るだけで気分が悪くなる。
(いっそ殺された方がいいのか? 名乗り出たらどうなる?)
しかし、声は一向に出なかった。
(もうダメなんだ。僕は一生このままなんだろうな)
外の広場の隅に座り込んで、何もできない自分を呪った。
(一生? そんなのは嫌だ。こんな人生、今すぐ終わりになればいい)
目の前ではいろんな人がいろんなことをしていた。家族と再会した人、死に別れて泣いている人、ひどい怪我を負って歩けなくなった人、目が見えなくなった人、いろんな人がいろんなことで泣いていた。
(もう嫌だ、何もかも全部嫌だ。このまま全部消えてなくなればいいのに)
どのぐらい座り込んでいたのかはよくわからない。ただ、座ることができなくなってそのまま地面に倒れ込むくらいの時間は経っているのはわかった。痛む左腕を抱えて、冷たい地面に頬を押し当てているとひどく惨めで仕方なかった。眠りに落ちるのはやはり怖かったので、眠くなる度に右手を噛んで何とか眠らないようにした。
(もう早く全部何もかも終わればいいのに……痛くて苦しくて辛いの、全部終わりにできないかな? 姉さんに会いたいよ。父さんに会いたいよ。みんなに、みんなに、会えるかな……?)
広場の隅で倒れているところを見かねたのか、何回か誰かに何かを言われた気もする。しかし結局誰も積極的に関わろうとはしなかった。左腕の他に空腹と焦燥で胸がひどく痛んだ。このまま何となく苦痛をやり過ごしていれば、そのうち姉に会えるだろうという気だけはしていた。とても眠いけど、眠りたくない。既に血の味がする右手を口にしたまま、どんどん手足が冷たくなっていくのを感じていた。
***
「ティロ、ティロなの!?」
急に揺さぶられて、左腕が痛んだ。驚いてはっきり目を開けると、知らない女性に身体を抱えられていた。
「違う、その子はティロじゃないよ」
知らない男性の声が降ってきた。身体を抱えてきた女性はじっと顔を覗き込んだ後、顔を真っ赤にして泣き始める。
「そんな、ねぇ、あなたのご両親は? ご家族はどこ?」
女性は見るからに錯乱しているようだった。
「ああ、ティロ……どこに行ったの、ねえ、あなた知らない? ティロよ、私のティロとエド……港に行ったのよ、あの日……」
ティロという少年のことは知らなかった。わかったことは、この女性がティロの母親であり、そして自分と同じ年頃であろうティロは行方がわかっていないのだろうと言うことだった。
「ほら、この子も困っているから、次を探そう」
泣いている女性は付き添いの男性に抱えられるようにして立ち上がった。この男性はおそらくティロの父親だろうということも何となく察することが出来た。呆然と座り込んでいると、男性に頭を撫でられた。
「君も、頑張って生きなさい」
そして男性は泣いている女性を連れて行った。
(生きるって言ったって、これ以上どうすればいいんだよ……全部全部なくなって、これからどうやって生きていけばいいんだよ!!)
急に激しい怒りが沸いてきた。
(どうして、どうして生きなきゃいけないんだよ! こんなになるまで、めちゃくちゃにされて、生きたくないって思ってるのに、どうしてどうして!!)
(なんで、ティロって奴はいないんだよ! はやくお母さんのところに帰ってやれよ! あんなに心配してるのにさ! どこにいるんだよ、全く!)
港にいたとき見えたものを思い出した。人が吹き飛ばされ叩きつけられた跡。橋を渡ろうとして踏み潰された人々。瓦礫の中から聞こえた助けを求める声。そしてあちこちにへばりついた人間だったもの。
(ティロは……きっと、帰れるならとっくに帰っているんだ。だから、もう……)
顔も知らない少年の死を確信して、また更に怒りが沸いてきた。
(なんで、ティロは死んだんだよ! ティロじゃなくて、僕が死ねばよかったんだ! そうすれば、ティロはお母さんのところに帰れたんじゃないか!)
(あんなにお母さんを悲しませて、本当にティロって奴はどうしようもない奴だな! あんなに探して、あんなに必死になって、あんなに……)
(僕には、もう誰もいないっていうのに!)
(僕は姉さんも父さんもみんなみんないないっていうのに!!)
(なんで、なんで僕だけ助かったんだ!)
(姉さんの代わりに、僕が死ねば良かったんだ)
(ティロの代わりに、僕が死ねば良かったんだ)
(生きなさいだなんて、無責任に言うなよ……)
「でも、生きなきゃいけないんだ」
そう声が出た瞬間、涙が溢れてきた。声にならない声でそのまま泣き続けた。何が苦しくて何が痛いのかもよくわからないまま、泣いて泣いて泣き続けた。誰も助けてくれないし、助けを求めることも出来ない。このままひとりで痛みに耐えるしか、選択肢はなかった。
(誰か……助けてくれないかな……誰でもいいよ……誰でもさ……)
(誰も、助けてくれないなら……自分でなんとかするしかないんだ……)
泣き疲れて空っぽになった頭に何かが入ってきたような気がした。