人のことは言えない
リンク:休暇編第3話「クライオの夕暮れ」
滞在先のアイルーロス家に到着すると、ティロの予想に反してなんと部屋が一室宛がわれた。「旦那も子供もいないから部屋も余ってるし、好きに使って頂戴」と屋敷の主のアルデアに言われて、ティロはますます面食らってしまった。
(俺のための部屋だって? 何かの冗談じゃないのか?)
ティロは亡命先でこんないい待遇を受けることを想定していなかった。せいぜいどこかの倉庫の隅か修練場の用具室のようなところで雨をしのげればいいくらいに考えていた。
(いや、客人が来るなら部屋を用意するくらい別におかしい話じゃないよな。何で俺はそんな簡単なことも思い至らなくなってるんだろう……)
「とにかく荷ほどきをして、後は預け入れ先を探す、か……」
荷物についてはアルデアに「大きな荷物ねえ」と言われただけだった。ティロは部屋に運び込むと、レリミアを箱から出した。まだ起きる気配のないレリミアの拘束を解いてベッドに寝かせると、それから持ってきた鎖と首輪で簡単に逃亡できないようにした。一連の処理でレリミアが何度か身じろぎをしたので、覚醒は間近のようであった。
「随分よく眠れてたじゃないか。いいご身分だ」
まだ眠っているレリミアを見下ろしていると、ナイフを持った少年がどこかから見ている気がした。彼を見ないようにして、ティロは一度部屋を出る。レリミアと同じ空気をなるべく吸いたくなかった。
その後改めてシェールから、この屋敷にはアルデアとシェールの他に、セイフとセラスのアルゲイオ兄妹とシェールの後見人でアルデアの従兄弟であるセリオンという男が住んでいると説明された。
ティロは改めてシェールと対面し、その腹を探ろうとした。
(実際こう会ってみると、一体どういう奴なのかさっぱりわからない……国王の息子っていうからもっと偉そうな奴が出てくるかと思ったのに、こいつからは偉そうな感じが一切しない)
王族の息子と言えば、アルセイドがすぐに思い浮かんだ。自分が国王になるわけでもないのに常に人のことを考え、細やかな気配りができるとてもいい少年であった。そんな彼と目の前の男の雰囲気は、あまりにも合致しなかった。
(まあ、隠し子っていう話だから王族の教育を受けていないとか、そういうのもこいつの何やらトゲトゲした態度にあるのかもな。単に俺のことを信用していないだけなのかもしれないけど、それにしてもあからさま過ぎるだろ)
ライラや案内人などから聞いていた話や印象を割り引いても、ティロにとってシェールは不思議な人物であった。おそらく剣技の心得がないことは、彼の立ち振る舞いから察せられた。
(剣技をやってない、ってことはちゃんとした教育を受けてないってことだよな。それで隠し子って奴か? ううん、よくわかんないな)
その後屋敷に戻ってきたアルゲイオ兄妹と共に、ティロは久しぶりに落ち着いた食卓に着いた。コール村以来の素朴で温かい食事に再び涙が流れそうになったが、ぐっと堪えた。セラスが何かを言いたげにずっとこちらを見てきているのも気になったが、それ以上にシェールがその場にいないのも気になった。しかし、質問することも憚られたために何も言わずに食事を終えた。
長くなってきた夏の日が、ようやく地平線の向こうに沈みそうな時刻になった。レリミアの様子を見に部屋に戻ると、彼女は目を覚ましていた。ベッドに腰掛けていたレリミアは、ティロの姿を見るとびくりと身体を震わせた。
「よう気がついたか」
怯えるレリミアを見ると、やはり胸がすく思いだった。自分の手の中に相手の生死を完全に握っている感覚が、とても心地よかった。このまま訳もわからずレリミアを幽閉しておくのも面白いと考えたが、何か情報を与えてより不安がらせたいとティロは考えた。
「ひとつだけ質問に答えてやるぜ、慎重に考えな」
(どうせ「ここはどこなの」とか「あなたは何がしたいの」とか、そういうどうでもいいことを聞いてくるんだろうな。ここはクライオの郊外で、俺はてめえの親父をぶっ殺す。そんだけだ)
「……セドナは一体何者なの?」
予想外のレリミアの質問に、ティロは素直に感心した。
(なるほど、今回の件の立役者についての質問か。こいつはまだあいつのことを信用しているな。そこんところの現実は突きつけておくか)
「お、頭を使ったな。あいつは通称『発起人ライラ』。リィアの今の政治体制に反対する勢力に協力して反乱を起こそうって呼びかけてるおっかない奴だ」
レリミアの顔色が変わった。まさか上級騎士を務めていた男から「反乱」の言葉が出るとは思わなかったのだろう。
「じゃあ、あなたもリィアに反乱を起こそうって言うの!」
(俺か? 俺は……まあ、ダイア・ラコスに恨みは一応ある。でも死んじまったし、今の王様そのものには恨みらしい恨みはないんだが、まあ恨まないところでもないけど恨んでおいた方がいい……よくわかんねえな)
「どうだろうな。その辺はよくわからない。恨みはないこともないが……それとこれとはまた別の話だ」
確実に言えることは、今自分が恨んでいるのはザミテス・トライトとクラド・フレビスということだった。ザミテスへの恨みをぶつけるためにこうしてレリミアを誘拐してきたのだが、具体的なことをまだ彼女に教えるわけにはいかなかった。ティロは話の矛先をライラへ戻すことにした。
「それにライラは最初からお前たちをどうにかしてくれるために女中として潜り込んでる。何かおかしいことはなかったか?」
(別にライラじゃなくても俺が十分怪しかったと思うのだが……?)
「え、そんな、何かおかしかったの?」
ティロはレリミアが母リニアの異変に気がついていなかったことに頭を抱えた。ノチアは気がついていたようだったが、問題を先送りにしているようだった。
「そうか、わからなかったか……お嬢様なんかじゃなくてただのバカだな」
そこで、ようやくレリミアは自分の家族に悪意が向けられていたことを悟ったようだった。
「あなた、私の家族に一体何をしたの!?」
今更怯え始めたレリミアがティロにはとても滑稽なものとしか思えなかった。
「まあそのうちわかるさ。気が向いたら話してやるよ」
俯くレリミアを見て、ティロは大変機嫌が良くなった。
「そうだ、助けを呼んでも無駄だ。ここにいる連中はお前のことを誰も知らないし、お前に手を出したらろくなことにならないって言い聞かせてある。今のお前はトライト家のお嬢さんなんかじゃない、ただの小娘、いや、それ以下か?」
機嫌に任せて言いたい放題言っても、レリミアは何も言わなかった。相手の言葉を奪ったことで、ティロの機嫌は更に良くなった。
「しばらくせいぜい俺に飼われておくんだな」
機嫌は良くなったが、レリミアと同じ空気を吸いたくなくてティロは部屋から出た。一緒のベッドで眠るなど考えたくもないので、どこか適当な軒下か茂みを探そうと考える。
(ここまでは順調だ。後はなるべく早くあいつの預け先を見つけて、連れて行く。それでクライオでの仕事はおしまいだ、それで……)
廊下を歩いていると、ティロは何者かの視線を感じ取った。
(……一体何だ?)
視線の主はわかっていた。そのままティロは場所を変えるために素知らぬ顔で歩き出した。




