威嚇
リンク:休暇編第3話「セラス・アルゲイオ」
クライオの反リィア組織で突如として現れた女剣士セラス・アルゲイオの剣撃を前に、ティロは焦りを隠せなかった。
「何だお前、めちゃくちゃ速いじゃねえか!」
これほどまでに速い剣を受けたことは、エディアにいた頃から一度もなかった。
(嘘だろ、しかもこれで女!? 嘘だ、これは夢に違いない。俺は亡命に失敗したのか……?)
「どうした? 威勢は最初だけか?」
セラスは的確にティロを倒そうと剣を繰り出してくる。その正確さにティロは圧倒されながら、内心惚れ惚れとしていた。
(この速さ、間違いなくエディアの公開稽古でも上位に行けるすごい奴だ。なんでこんな奴がクライオの反リィア組織なんていう訳わからないところにいるんだ? いや、女だからこそ訳がわからないところのほうが伸びるのかもしれない)
剣士として相手に感情を読み取られることは先手を打たれることに等しかった。ティロは内心の焦りも賞賛も全て飲み込んで冷静にセラスと向き合う。
「そんなわけねえだろ」
ここまで相手の技量に追い込まれたことは久しぶりだった。何とか焦りを押さえて、セラスの勢いについていく。
(危ない、一切油断が出来ない。少しでも気を抜けば、あっちの勢いに飲まれるぞ。どうする、どうすればいい?)
「明らかにお前、他の奴らとは違うな」
剣撃の合間に挑発を投げつけ、こちらの余裕を演出してみせる。
「勝手に見くびっておいて」
だが、セラスに挑発は通じなかった。ますますキレを増してくる剣撃に、ティロは防戦を強いられていた。
(畜生、このままだと流石にさっきまで十人相手にしてきた俺が不利だ。さて、俺が勝つにはどうすればいい? いや、逆に考えろ。こいつの剣を分析して、こいつの弱点を探るんだ)
ティロは数手、セラスの剣を受けて考える。
(この的確さと素早さだけなら、俺よりも上かもしれない。速さで負けたことのない俺が言うんだから、間違いない。こいつは俺よりも強くなる素質がある)
素直に負けを認めたとき、ティロの脳裏に活路が閃いた。
(素質があるってことは、まだ素質のままだ。つまり、経験に乏しければ相手を翻弄すればいい。さっきのセイフの試合とやるべきことは一緒だ。それなら……)
ティロは一度セラスから距離を取った。しかし、模擬刀は構えたままだった。
「わかった、本気出してやるよ。実戦形式だ」
ティロが出した結論は「前後左右から翻弄させる」であった。確かにセラスの剣は素早く、相手の数手先を読む力もある。しかし、数手どころではない読みを想定させる実戦形式でどこまで揺さぶれるかが勝負の分かれ道だった。
(俺もさっきまでの試合でそろそろ集中力がヤバい。一気にいかないと、多分負ける)
「勝てないから血迷ったか? 私は構わないが」
セラスも平常心を保っているように見えるが、剣を合わせている限りはその緊張感が伝わってくる。思った以上の相手と出会って、剣が喜んでいた。
「だから本気で来い、行くぞ」
本気、と聞いてセラスの目が光った気がした。
(乗ってきたな。わかるぜ、その気持ち)
先にティロが踏み込むと、セラスもティロを警戒する。しかし、先ほどの勢いは感じられなかった。
(やっぱり、こいつも本格的な実戦形式の経験は俺よりも少ない。基本的にオルドの坊ちゃん相手にしか鍛錬していないから、いろんな奴の癖を見るところまで行ってないんだ)
ティロは公開稽古で、街の子供たち相手に実演として様々な対応をさせられたことを思い出していた。
(強い奴ばかりと試合をしていても強くならない、ってよく父さんが言ってたな。強い相手を超えるだけが試合じゃない、相手をよく知って相手の剣を見定めることが一番だってことかな。父さん、何だかわかったような気がする)
セラスの剣筋は先ほどの試合で大体の感覚を掴んでいた。相手の先を読む判断力は大変優れているが、身体ごと振り回した時にその判断力がついてくるかは少々怪しかった。
(普通はそんなことしないからな。実戦形式だって大体はお遊びがほとんどだし、マジで後ろから狙う奴だっていない。だけど、俺は狙うぞ。そうしないと死ぬからな)
視線ではセラスの剣を真っ直ぐに捕らえ、視界の外で彼女の死角を狙う。しかし、セラスはティロの攻撃にしっかりと剣を合わせてきた。
(ほとんど本能で動いてやがる、上等だ)
そこから先はセラスを倒すことではなく、追い詰めることに集中した。限られた空間を意識すればよい試合形式よりも、格段に意識を広げなければならない実戦形式の方が相手の集中力を削ぐのに適していた。それはセラスも同じ条件であったが、そこまで戦術を練り切れていないようだった。
(おそらく、奴は俺の剣を捌くので今は精一杯だ。余裕を見せているが、そこから攻撃に入ることはできない。剣に焦りが溜まってきた頃、そこが勝負だ)
ティロの感覚の通り、セラスは少しずつ追い詰められていた。実戦形式で感覚を振り回されていることに我慢ができなくなったのか、セラスは剣撃の合間に叫んだ。
「何だ、一体何なんだお前は!?」
(俺は何者かって?)
セラスに問いかけられて、ティロの心に今までの自分がたくさん押し寄せてきた。リィア軍上級騎士三等。一般兵十一等の社会不適合者。予備隊の32番。可哀想な野良犬。どの自分も、今にも死にそうな暗い顔をしていた。
(それで……俺の本当の名前は……)
その次に現れた少年は、とてもいい顔をしていた。模擬刀を持って、守るべきもののために剣を振るのだと嬉しそうによく話していた。そんな自分が久しぶりに戻ってきているとティロは感じた。
(わかった。こいつの剣、似てるんだよ。守るべきもののために持つ剣だ。俺みたいな、何だかわからない奴なんかじゃない。真っ直ぐで、いい剣だよ)
急に後ろ暗い気持ちが押し寄せてきた。無邪気に剣を振るっていた少年が途端に許せなくなり、その笑顔を絶望で塗り替えたくて仕方がなくなった。
「何って……一体何だろうな」
一瞬、我を忘れて本気でセラスを殺そうかと考えた。命を狙うなら取るべき手はいくつか考えられた。すると、あからさまにセラスが怯むのがわかった。
(なるほど、こいつ生意気に殺気を感じ取ったな。面白え)
狙うべき瞬間がやってきた。ティロはわずかに生まれたセラスの隙を見逃さなかった。
「な!」
セラスが短く悲鳴を上げた。懐に潜り込んで一気に剣を横に振ると、セラスの身体は吹き飛んだ。
(真剣なら死んでるんだぞ、バーカ)
仰向けに転がるセラスを見て、試合が終わったことを実感する。試合の緊張から解き放たれてじんじんする頭を抱えて、ティロはようやく呼吸をすることが出来た気がした。




